封切りから半年。各地の上映と『阿賀に生きる』のこと

 4/15の封切りからまる半年が過ぎました。10月19日現在、沖縄シアタードーナツ、香川ホールソレイユで公開中。こんなに長く、途切れることなく劇場公開が続いているのは、ひとえに口コミと「この映画を観たい。上映してほしい」という声の力だと思います。ほんとうに嬉しく、ありがたいことです。10/30~深谷シネマ、12/2~Morc阿佐ヶ谷でのアンコール上映に加えて、11/18~別府ブルーバード劇場での上映も決まりました。初日には監督トークにも伺います。是非、地域で頑張っているミニシアターを応援してくださいね。

南紀白浜、三段壁

 一方、この秋は週末ごとに自主上映会も全国で開催。10月に入ってから、青山ウィメンズプラザ、創価大学、南紀白浜のクオリティソフト社内のホール、朝日新聞社内イベントホールに、監督トークで呼んでいただきました。

 どの会場にも主催者の方の澄んだ志と情熱、集まられた方の清新であたたかい「気」が通っていて、心が揺さぶられました。

 

女性たちが実行委を務められた青山ウィメンズプラザでの上映会。満員御礼でした
創価大学では授業の一環として教室で上映。フィールドワークに繋げていくそうです
南紀白浜での上映会はクラファンのリターンで実現したもの。自然栽培でみかんを育てるイベファームさん主催

 

ここでも実行委は女たちが元気

 

朝日新聞社さんのイベントホールで、ボンマルシェ読者さんを招待して開かれた上映会
ボンマルシェ編集部の皆さま。記事は10月下旬に載るそうです

  

『杜人』の旅は、さまざまな出逢いを運んできてくれます。

 実は1992年に公開されたドキュメンタリーの名作『阿賀に生きる』(佐藤真監督)を、私はこれまで観ていませんでした。それが、9月24日新潟シネ・ウインドに大熊孝さん(新潟大学名誉教授)が来てくださり、声をかけてくださったことから10月10日、16ミリフィルムで観る機会を得ました。『阿賀に生きる』30周年イベントで、大熊先生、撮影の小林茂さん、キーパーソンの旗野秀人さんらも集結。大熊先生のミニ講演やシンポジウムもありました。

アテネフランセで開催された『阿賀に生きる』制作30周年記念イベント

 この映画は、ご存知の方も多いと思いますが、文字通り阿賀野川流域で暮らす3組の老夫婦の日常を捉えたものです。湿地帯の、重く植物の根が絡み合った土を耕し、昔ながらの稲作を続ける長谷川さん夫婦。この川をゆく舟のほとんどを造ってきた遠藤さんご夫婦。そして、餅つき名人の加藤さんご夫婦。70代後半から80代前半の、永く自然とともに暮らす主人公の顔、言葉、動きには、人間という動物の本質が凝縮されているようでした。

 それは、自然の恵みと厳しさを両方知ってその懐に抱かれるように生きているということ。そして、暮らしの中で人と人が団子のようにくっつき合って、それが他の生きものにも通じ、情となって通っていること。

大熊孝先生のミニ講演。科学者の視点を超えて生活者の視点、生きものとしての人間観に貫かれていました

 かつて阿賀野川で遡上してくる鮭を「鈎(かぎ)流し」と呼ばれる一本釣りで何尾も釣ったという長谷川さんが、飲みながら「鮭の母性っていうのはよう……」と話し始めるとき、それは隣にいる妻のことを話しているようでもあり、生きもの全般を語っているようでもあり……。そのうちにぱたりと眠ってしまうシーンが、いまも目の奥から離れません。というか、思い出されて仕方がないのです。

 かつては木舟造りの名人だった寡黙な職人、遠藤さんが、長いブランクを経て舟造りを教える決心をして、出来上がった舟が滑るように川をゆく様子を見た日の嬉しそうな目とわずかに綻ぶ口元。

 80歳を超えた加藤さんが杵を振り下ろす様子、つきたての餅を一気に運ぶ動きには、とても真似できないと目を見張ります。

 この映画を撮ったのは20代の若者たち。ほぼ素人の七人が家を借り、3年間住み込んで、その地の風を感じ、土の匂いを嗅ぎ、川音を聞き、地域に暮らす人々と食べ、話し、笑い、生活して創り上げた一本の映画。フィルムの時代、膨大な製作費を集めた委員会の代表を大熊先生が務め、1400人から3000万の寄附が集まり、足りない1000万は、ロバート・レッドフォードが代表を務める映画祭の賞金で見事に補填されたそうです。

 大熊先生のミニ講演での「川の定義」、深く心に刺さりました。

「川とは、山と海とを双方向に繋ぐ、地球における物質循環の重要な担い手であるとともに、人間にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾の中に、ゆっくりと時間をかけて、人の“こころ”と“からだ”をつくり、地域文化を育んできた存在である」

 遠藤さんがガラスが1枚空いたままの窓をそのままにして、そこからツルを伸ばして咲く朝顔を愛しそうに眺める姿は、人間の進むべき未来を示しているようです。

 彼らは皆「新潟水俣病」の患者、被害者でもありますが、それが声高に叫ばれることはありません。

 いまは亡き監督の佐藤真さんは、どんな想いで彼らを、川を、撮り続けたのか。

「この映画はね、100年生きるよ」と言われたそうですが、映画に刻まれたいのちの在り方は永遠だと思います。

百年後に生かすために、いまデジタル・リマスター版制作のためのカンパを募っていらっしゃるそうです。
詳しくは(有)カサマフィルム 代表 ⻑倉徳生さん e-mail: nagakura★kasamafilm.comまで(★を@に変えて送信してください)

 またまた長くなりました。金木犀が満開です。どうぞ、去り行く秋を、満喫してくださいね。

 どこかの会場でお目にかかれたら幸せです。

   2022.10.19 前田せつ子

 

矢野さんと、矢野さんの秘書、マネージャー、現場スタッフ……数えきれない役を務める岩田彦乃さん。二人の笑顔はいつも自然体
実家の金木犀もいまが満開

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願いは地域に根を張っていくこと

 青梅から新潟、そして南会津へ。秋の旅は続いています。

 青梅にあるシネマネコは昨年オープンした木造のミニシアター。6月に上映してもらった時がちょうど1周年記念で、初の満席御礼となったことも重なって、スタッフの方も喜んでくださいました。その後、アンコール上映も決まり、その延長線上で企画されたのが、シネマ✖️ライヴ企画〜山口洋ライヴイベント『未来につなぐ青梅の杜』。

 音楽を担当してくださった山口洋さんが、『未来につなぐ青梅の杜』をテーマに寄せられた写真・動画とコラボレーション。『杜人』と青梅を音楽でつなぐ、という志が漲る特別なライヴが、圓城寺裕子さん、熊田路子さん、遠畑瑞枝さんの「チーム青梅」を実行委として秋分の日に開かれました。

 ライヴ中の写真はお届けできないのですが、リハーサルと終了後の写真から雰囲気だけでも味わってください。

映像はHEATWAVEの作品に長く携わってきたアート・ディレクターの渡辺太朗さんが担当。テーマ別に選んでつないで、本番では動的に表現

 

当日のギターはこの三本!
青梅らしい、でも、誰にとってもきっと懐かしい風景。ジーンとする
山口さんは写真から受けたインスピレーションを音楽に変え、その場の空気を震わせていく
満席のお客様からたくさんの拍手をいただいて、無事終了。上映は10/13まで続きます!

 一般の方から「青梅」限定でお寄せいただいた写真はどれも、上手い下手など関係なく想いが溢れ、胸を掴まれるものばかりでした。映画の後のライヴという長丁場でしたが、お客様からは「青梅の魅力を再発見した」「なぜか涙が止まらなかった」「見慣れた風景なのにとても愛おしかった。この風景を大切に残していかなければ」「胸がいっぱい。このまま持ち帰ります」などの声が聞こえてきました。

 一夜限り、青梅限定のライヴ・イベント。生のギターが生み出す波、渦は、確かにその場の空気を震わせ、心に風と光を通すものでした。

シネマネコ初のライヴとなりました

 さて、9月24日は新潟へ。高田世界館に続いて新潟県内で2館目の公開となるシネ・ウインド。

市民映画館という名の通り、市民に愛されていることが伝わるミニシアターでした
嬉しい満席の札!

 ここで公開してもらえるようになったのは、星野千佳さんをはじめとするまちの方々の熱い想いと働きかけのおかげだと思っています。星野さんは大地の再生の手法で砂防林の松林の改善作業を続けていらっしゃり、この日は一緒に活動されている地域の皆さんもたくさん観にきてくださいました。なんと、『阿賀に生きる』製作委員会代表も務められた新潟大学名誉教授河川工学の大熊孝教授もみえて、10月10日に都内で開催される『阿賀に生きる』公開から30年記念イベントのお知らせもいただきました。

 アフタートークでは、星野さんと新潟大学農学部の粟生田忠雄先生にご登壇いただき、土中環境、新潟という地域の特性についてのお話をいただきました。

「新潟は日本列島の背骨。新潟が変われば日本が変わる」

 矢野さんの言葉を満席のお客様に伝えられた星野さん、矢野さんとともにこれからもフィールドワークを行いつつ研究を続けられる粟生田先生に、満席の会場からたくさんの拍手がおくられました。

とてもあたたかい空気で包まれた客席には、宮大工の小川棟梁、大地の再生メンバー、佐藤俊さんのお母様も!
シネ・ウインドの井上さん、9/30までよろしくお願いいたします!
(写真右から)星野千佳さん、斑鳩建築の小川棟梁、粟生田先生、初めて新潟で大地の再生講座を開かれた大島さん。松林の改善活動に参加したい、と仰って帰られるお客様もいらっしゃいました!

 さて、新潟からローカル線で南会津へ。

 

稲刈りを待つ黄金の波
かつては清流で、鮎釣り客で賑わった水無川。護岸工事ですっかり表情を失ってしまったとか
戦後、農業、林業を学ぶ学校として建てられた校舎を移築した奥会津山村道場
シンボルツリーの巨大な楡の木。弱っているのが気になるけれど……

「南会津地域をひらく未来研究会」主催の上映会は会津田島駅からすぐのホールで。

 

郡山や那須塩原からも参加してくださいました
実行委の馬場浩さんは自然農の農業者で南会津町議。同じく実行委の湯田芳博さん、馬場さんのご家族の皆さん、お世話になりました!

 上映後のフリートークで印象に残ったのは、会場からのこんな声。

「こういう映画、都会ではいいかもしれないけれど、このあたりじゃ受けないんじゃないの? 店の軒先にはどこでも除草剤が売られてる。自然が多すぎて慣れてしまって、草は敵以外何物でもないんだから」

 発言されたのは、70代を過ぎて有機農業を始められた方。近い言葉を、屋久島に撮影に行った時にも聞きました。でも、除草剤を撒いていた通学路も、「僕らが(風の)草刈りしますから」という提案が通って変化の兆が見えてきていつとか。もともと住んでいる人の意識も、移住者の視点、意識で変わっていくこともある。同じものを別の角度から見ると、別の良さが見えてくる。良いも悪いも見方次第。

 上映会に集まってくださった方は、それぞれに自分の地域をよくしたいと思われている方ばかり。実行委の馬場さんも、長く周囲から「農薬も肥料も使わないなんて、うまくいくはずがない」と変わり者扱いされてきましたが、いま国は輸入肥料価格の高騰で有機栽培を奨励する方向に動いています。

 封切りから5ヶ月と10日。この間、舞台挨拶&トークに伺ったのは計34会場、68回。上映をきっかけに『杜人』の根が少しずつ、その地に張っていくのを感じています。

「大事なのは、『足るを知る』ではなく『足らざるを知る』なんです」。矢野さんの言葉ですが、だからこそ、循環が生まれ、いのちは息づいていく。ここから、視点が変わり、行動が変わっていくことを、心から願っています。

   2022年9月26日   前田せつ子

『杜人』の旅は始まったばかり

 もうすぐ封切りから5カ月が経ちます。全国の映画館や自主上映会場を訪れながら、人生でもなかなかないくらいの濃厚な時間を味わわせていただきました。

 昨日、こんなメールを富山の「ほとり座」という映画館からいただきました。

『杜人』上映では、鑑賞後にお客さまが声をかけてくださることが多く、作品に励まされてとてもうれしそうに、驚いたことやさまざまな気づきをいっしょうけんめいに話してくださいました。「いまとても晴れやかな気持ち」とおっしゃってくださったお客さまもいらっしゃいました。そうやってお客さまと交流していると、いつの間にか劇場ロビーの『杜人』掲示コーナー前は観賞後のお客さまが何人か集まって共鳴しあっている、作品はそんな時間ももたらしてくださいました。

 即決して4/16から上映してくださった大阪・第七藝術劇場さんからは、こんなお言葉を。

『杜人』の上映、改めましてありがとうございました。当初の想定以上のロングランとなり、作品の持つ力観られた方々の口コミの力を見ることができました。

 9/12からアンコール上映が始まっている鹿児島・ガーデンズシネマさんからも、こんなコメントをいただきました。

 大地の呼吸を取り戻す。すごい方がいらっしゃるなと思いました。映画を知ることで大地も人の世も風通しがよくなり、生きやすい世の中になってくれればと願うばかりです。

 映画館の方がこんなふうに捉えてくださったこと、心からありがたい気持ちでいっぱいです。何より、映画が人と人、人と地域をつなぐ役割を果たしてくれていることが嬉しいです。

 自主上映会を開催してくださった方からは、こんな感想がシェアされていました。

「矢野さんは、すべてが渦として見えて、感じている方なのだと思うけど、この映画も大きな渦を作ってるなと思ったのでした。それにチョイ関われて、ホントによかったですよ。みなさんも主催者になれますので!」

「『杜人』によって伝えられたもの、私たちも身の回りから小さな変革を。種子はあちこちに蒔かれた。私たちもそれぞれの歩みを見つけよう、つづけよう」

「大きくてたくさんの人を対象にしたイベントではなく、小さく、より深く学び会えるイベントにしたい、と実行委員で何度も話し合って創りあげてきた。今、私たちに出来ることを、掴んだ瞬間」

 客観から主観に。客体から主体に。他人事から自分事に。人を繋ぎ、地域に根差してはじめて『杜人』は息をしていく。そのことを、しみじみ実感しています。

 主催者になることは、そこに自ら種を播くこと。実行委同士が繋がり、集まってくださった方々と話し、地域のことを考えることは、その種に水をやり、育てていくことです。ちょっと勇気を出して、小さな上映会を地元で開いてください。きっと、見えてくる風景が変わっていくと思います。

「杜人」の旅は、その名の通り、草の根の運動。是非、一緒に育てていただけると嬉しいです。

     2022.9.13 前田せつ子

  

111歳! 日本最古の映画館、高田世界館でも現在上映中!
若き支配人、上野さん
ナナゲイさんを訪れる日がまた来ますように
Morc阿佐ヶ谷、上映中です!
こんなにお洒落なロビー!
9/4、満席の横浜歴史博物館
東村山での上映会も140席が満席に。実行委の皆さん、ありがとうございます!
稲穂も稔ってきました。まだまだ旅は続きます!

地域密着型イベント「未来へつなぐ青梅の杜」

 各地でアンコール上映が決定していますが、9月になると引き続きのCINEMA AMIGOに加えて、鹿児島ガーデンズシネマ、青梅シネマネコ、山口情報芸術センターでの再上映がスタートします。

 青梅では、シネマネコでのアンコール上映に合わせて、地元の応援団“チーム青梅”が独自イベントを企画。
 題して「シネマ×ライヴ企画 山口洋ライヴイベント『未来につなぐ青梅の杜』」。

 地域✖️映画✖️ライヴの地域住民参加型のイベント、是非チェックしてみてください。

 (以下、主催者からのお知らせを転載します)

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「杜人」のサウンドトラックを手掛けた山口洋氏(HEATWAVE)が、特別企画として、青梅の映像に合わせてギターを生演奏する、音楽(山口洋)と映像(青梅)のコラボレーション。

「未来へつなぐ青梅の杜」をテーマ に、映像と音楽が響き合うことで広がる無限の世界を体験できる貴重なライヴです。 そこで、青梅の自然やそこに生きる人々を撮った写真や動画を大募集。 青梅は、東京にあって自然に恵まれた環境で、古き良き時代の面影が残る町並みや、人々のつながりが残る町。写真や動画を 募集することで、地元の人にとっても、日々大切にしている美しい風景を多くの人と共有できたり、当たり前すぎて気に留めなかった 青梅の良さに気付いたり、地域を見直すきっかけともなるでしょう。 市民参加型で、青梅の杜を探し、地域の宝を未来へ残していくためのアクションへとつなげます。 後半は、前田せつ子監督も参加して、山口洋氏との息の合ったフリートークを展開します。
「未来へつなぐ青梅の杜」ライヴに青梅の写真、動画を大募集!

「未来へつなぐ青梅の杜」をテーマとした写真、動画を募集します。あなたの周りにある、未来につなげていきたい、 大切に守っていきたい、元気を取り戻してもらいたい、そんな思いを込めた写真や動画をお送りください。

【募集要項】
1 動画は 3 分以内、mov か mp3 ファイルでお願いします。1GB 以下。音楽・音声は載せないこと。

2 写真は何点でもご応募できます。jpg/jpeg データでお願いします。10MB 以下。
こちらで、スライドショーのように他の作品と合わせて編集することをご了承ください。

3 撮影対象物は、テーマに即した青梅市内の風景、建物、人、動物、植物等。

4 ご応募に際しては、被写体の使用許諾をいただいた上でご応募ください。

5 撮影場所は青梅市内限定とさせていただきます。

6 応募者は青梅市民以外の方もご応募いただけます。7 お名前、メールアドレス、撮影場所をご記入の上、以下の宛先までご応募ください。
データが大きい場合はファイル転送サービス等をご利用ください。
【応募先】 omenomori⭐︎gmail.com(⭐︎を@に変えてください)
【応募締切】9 月 10 日(土)23:59 まで
【発表場所】9 月 23 日(金・祝)にシネマネコで行われる山口洋さんのライヴイベントで、山口さんの生演奏とともに シネマネコのスクリーンで上映されます。ご覧いただくには「杜人」特別鑑賞チケットが必要になります。 ※ご応募いただいた方全員の作品が上映できない可能性もあります。

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【シネマ×ライヴ企画 山口洋ライヴイベント「未来につなぐ青梅の杜」】

■日時:9 月 23 日(金・祝)16:00~17:41映画上映、18:00~ライヴイベント(前田監督とのトーク含む 2 部構成)

■場所:シネマネコ(東京都青梅市西分町 3 丁目 123)
■料金:特別鑑賞チケット 3900 円(映画鑑賞チケット及びライヴ鑑賞チケット含む、1 ドリンク付き)
■予約開始日:9 月 1 日(木)から申込受付開始。

■予約方法:9 月 1 日(木)以降、以下の URL よりお申し込みください。

https://omenomori0923.peatix.com 

■お問い合わせ先:omenomori⭐︎gmai.com(⭐︎を@に変えてください)

※映画鑑賞チケットのみ、ライヴ鑑賞チケットのみの販売はございません。 ※座席指定はできません。お申し込み順に前列から順の座席となりますのでご了承ください。 ※座席番号は、当日、上映の 40 分前より配布いたします。

前を向かないで、足元を向く〜矢野智徳さんトーク@ゆふいん文化・記録映画祭2022.7.24

 猛暑と豪雨が続いた夏も、そろそろ終わり。ヒグラシが鳴きはじめ、朝夕の風も変わってきました。

 豪雨災害の被害に遭われた地域の方におかれましては、まだまだ大変な状況が続いていることと思います。心よりお見舞い申し上げます。

 

 さて、7月にご招待いただいた「第24回ゆふいん文化・記録映画祭」に続いて、秋には「第31回しまね映画祭」のテーマ作品に選んでいただきました。歴史ある地域に根づいた映画祭にこうして選んでいただけたこと、本当にありがたく、光栄なことだと思います。

 ゆふいんでは上映後、矢野さんと1時間のトークをさせていただきました。この日は朝から「昔のまち歩きツアー」があり、矢野さんも参加。ゆふいんには、四国八十八ヶ所巡りのミクロ版とも言える道があり、この一部をめぐる映画祭のイベントでした。

 矢野さんと巡ると、自然も水の流れも豊かなゆふいんの風景も、また違って見えてきます。水辺、亀の井別荘、そして金鱗湖……。

 このツアーで感じたことも振り返りながらの矢野さんのお話がとてもよかったので、文字起こしを掲載します。かなりのボリュームですが、いま、とても大事な視点が示されています。どうぞ、お読みください。

 矢野です。よろしくお願いします。今日久しぶりに九州のゆふいんに寄らせていただきました。昨日は広島に、1ヶ月前にやらせていただいた、樹齢1000年の欅の木がある古い神社の環境改善の状態を確認に、半日寄らせていただいて、作業して、今朝ゆふいんのフィールドワークを見せていただくということで、作業着のまま……実は着替える予定でいたんですけど、残念ながら時間がなくなって(笑)、このまま登壇させていただくことになりました。今日はよろしくお願いいたします。

○矢野さんの映画を撮りたい、という話を受けて、矢野さんはすんなり許諾されて、一緒に映画をつくりましょうって進んできたわけですか?

 私は何も協力できなくて。前田さんに映画を撮らせてくださいって言われて、いやぁ、映画撮るって大変でしょう? っていう話をして。僕からは経済的な応援もできないし、現場は春夏秋冬、雨風台風も関係なく動いてましたから、簡単に仰ってるというか、映画を撮るってそんなに簡単にできることなのかなって思っていたんですけど、どうしても撮りたい、同行させてくれっていうことを言っていただいて。大変でよかったらどうぞっていう感じで、気楽に、どうぞっていうふうにお話ししました。

 でも、本当に雨の日も炎天下も昼も夜も関係なく、ずーっと一生懸命カメラを回してついてきてくれていて、やっぱりこの前田さんは本気だな、本物だなっていうか。現場のことをいろいろ話しながら、一緒に現場の人たちに合わせて行動を共にしてくれた。3年間丸々ですから、普通の方ではできないことをやっていただいて、結果としてこういう映像にして見せてもらったときに、僕らは本当に現場の裏方、社会の表とは違う裏方的なところで、この現実、実情をなんとか表に繋ごうと思ってやってきたんですけど、それを見事に表に繋いでくれる役を担ってくれたというか。おかげさまでこうやって上映始まって多くの方に知っていただいて、また新たな動きが生まれてきています。すごいことをやってくれた。

かつて、人の動線と自然の動線は、相乗的に機能し合って循環型に保たれていた

○ゆふいん文化記録映画祭の中のイベントの一つとして、今日午前中にゆふいんの昔を巡る体験ツアーというのが行われまして。矢野さんも同行していただいて、そのとき一緒に同行したスタッフが、他の人たちは立って周りを見渡しているところで、矢野さんは、しゃがんで土を見たりとか、これは視点が全然違うっていう話をしてたんですけど、矢野さんから見て、今日立ち寄った亀の井別荘のいまの状態ってどうなんですか?

 やっぱり由布岳を中心にゆふいんの自然は、九州の中でもトップクラスの生態系の豊かな場所だと思うんですね。そこにお遍路さんのような、88箇所の小さな、四国をミクロにした形の巡回路ができている。水脈と植物とお参りする場所がちゃんと設定されていて、それを巡りながらゆふいんという場所と生態系とか、人と自然の関わり、人の生活の仕方、そういうものを代々繋ぐような学びのシステムが生まれた。学びながら人と自然の関係を、人の生き方を再確認していく、そういう文化があったんだなって、見せてもらいました。でもこの時代ですから、コンクリートやアスファルトが造られて、人の動線もどんどん広げられて、住宅も木造建築からコンクリートになって、ゆふいんも日本列島も、ミクロもマクロも相似形のように、やっぱり開発の波が行き渡ってるんだなっていうのを実感しました。

 亀の井別荘の素晴らしい木造建築で、それから敷地含めて高木や下草を含めた豊かな生態系と人の生活、土地利用がうまく繋がれてきた歴史背景があったと思うんですけど、その場所が、高木を含めて地面がやっぱり滞って、息の苦しい状態になっている。

 88箇所、人の動線が整備されて、その「点」に当たる場所はどこも空気や水がよく通るポイントになっている。「脈」の「点穴」的な機能のように、言ってみれば「鎮守の杜」のミクロ版のように、ああいう場が設定されていると思うんですね。人の動線と自然の動線、脈の機能が相乗的に機能しあって循環型に保たれていく。そういう場を地域の方が守りながら、その場の機能を学びながら、実用と学びをセットにして、代々それを次の世代に繋ぐっていう歴史と文化があった。これから問われるのは、自然の生態系の循環の脈の機能と、人の土地利用含めた自然と人が共存できる、そういう視点と技術、学び、実用、それがちゃんと保たれていく地域づくり、ゆふいんの街並み整備ではないか、というのが実感です。

○即断はできないと思うんですが、今日行っていただいたところっていうのが、よく集中豪雨とか台風のときに土石流とか起きやすいところなんですけれども、環境再生的な視点で見ると、どうやったら改善できますか?

 金鱗湖ですかね。金鱗湖の場所、大きな自然の溜池みたいな場所になるわけですけど、脈の合流点。大きな由布岳の袂にある大きな脈の合流点が金鱗湖であって、そしてその脈を大事に保全しながら育みながら活用していく一つの手立てとして、そこに天祖神社っていうのがつくられたんだと思うんですね。神社の境内を大事に保全しながら活用していくっていうことが、地域の方達によって「結」の作業で繋がれて、「結」の作業をしながら代々その視点と技術が引き継がれていくっていう背景、歴史があったと思うんです。それが、江戸時代から明治時代になって、西洋文化、文明、技術がどんどん入ってきて、戦後、特に戦後の動乱期、日本列島改造を含めて急速に人中心の開発がなされてきた。すごく便利になった。便利になった分、実は自然の機能が無言のうちに損われていくっていうことに、気づかないで来てしまった時代が、現代なんじゃないかなと思うんです。

 結果として、気づいてみると、地球の3つの環境分野「大地」と「生物」と「気象」っていうこの機能が、全部異常になっちゃったっていうのがいまの時代なんですね。異常生物のまさに極めつけがコロナになっていると思いますし、大地も2019年の19号台風のときには日本列島が全域的に下流から上流まで、急峻な日本の風土の流域が一度に氾濫しているんですよ。ありえないことなんですよね。詰まるだけ詰まったんだなっていう。流域が、大地が、脈が、もういよいよ目詰まりしましたよということを見せてくれた災害が19号台風。水源域、高山帯までが崩壊するような状態が起きてしまっている。どの分野もそういう異常を起こしている状態なのに、まだ復旧は「固めて元に戻していく」作業っていうか。そこにあるものをゴミにして、自然が置いていってくれたものを、必要だから置いていってくれたものを、状態を、人優先の環境整備、開発にまた戻していくっていう。

 ここまでやられてるのに、ここまで無言に自然は訴えかけてきているのに、人社会はまだ変えないのかっていう。結局経済なくしてはありえない社会になってるから、経済を優先する、生活を優先するっていうことになると、自然に譲るっていう昔の視点はいとまがないっていうか、余裕がないというか。その余裕のなさをもう一度本当にグッと堪えて、我慢して、足元から見直してみると、復旧再生っていうのはどういう段を踏んでいかないといけないのか、見えてくるんじゃないかなっていうふうに思うんですけどね。

あきらめたくなったら、前を向かないで足元を向く

 私もね、この大地の再生を始めた頃は、もうこんなに開発して傷めて詰まらせてしまった大地の再生はそう簡単じゃないというか、できないんじゃないかっていうのをすごく思ったことがあるんですね。でもそのとき、映画でもお話ししたように、あきらめたら終わりだよなっていう実感があって、あきらめないで、じゃあもうとにかく前を向かないで、足元を向こうっていうか、先は考えないで目の前のできることから始めよう、あきらめないでできることから始めようっていうふうにして始めていったとき、実はこの再生は人が全部やらなくていいんだよっていうことを自然が教えてくれた。

 作業してると、次々に自然が応援してくれる実態が見えてきたんですよね。僕らが脈の改善をしていくと、大地の機能が応援して再生していくし、そうなると動植物の呼吸が再生してくるし。その大地と動植物、いわゆる生物環境が相乗的にプラスの動きを始めると、結果的に気象環境、空気と水を中心とした地上と地下の対流が相乗的にまた、つまり雨風が人の作業を応援してくれるっていう。

 それが実際に起きてきて、1ヶ月前に改善したあと現地に来ると、自然の生態系がどんどん応援してくれて、人がやった作業の桁違いなエネルギーを生み出す。本当に10倍以上の力で改善してくるんです。

 福聚寺さんにご依頼いただいたときも、初めて行ったとき、僕は逃げて帰らないといけないと思ったんですよ。ここに関わったらもういのちを失うなっていうか、自分のいのちが取られてしまうぐらい大変なエネルギーを必要とする環境改善になるなって思っていたので。正直、もう相談がこなければいいなと思って、黙ってそのまま帰ってきたんですけど、その年の暮れの31日に奥さんから電話がかかってきて、正月明けにすぐ来てくださいって言われて。31日まで連絡がなかったんで、ああ福聚寺は行かなくてよくなった…って実は内心ホッとしてたら、電話かかってきて、土壇場で正月早々に行かないといけない話になって、行ってみたらもう抜け出れない。

 あそこの環境改善の境内整備の業者会議の日だったんですけど、そこに行って僕が話したことを設計士さんが、それは面白いって、そんな視点があるんだったらみなさんやってみようじゃないかって職人さんたちに言ってくれたんですね。だから結果として抜け出れなくなっちゃった。それがもう運の尽きで、その後3年間工事を継続していくようなことになりました。

○他の土地でもそういうことが?

 結局みんな、みんなそうだったんですよ。でも途中から「あきらめなくていいんだ」っていう、人が1やればいい、あと10は自然が桁違いに後押ししてくれるんだということがわかってきたので、僕は一般の社会の人たちに、このことを伝える作業をしていかないといけないなって実感するようになって、それで講座を断らないようにしたんですね。スタッフが講座もスケジュールも時間も経済もパンクしますって言ってきたときも、とにかく断らないでやれるだけやっていこうって、一件も断らないでやろうって。そうやったら1年で全国、沖縄から北海道まで行くようになった。

○以前(1974年)多摩川の決壊があったんですね。『岸部のアルバム』というドラマにもなったので、ご存知の方も多いと思いますが。場所は狛江で、すごい広い田んぼだったところに団地をつくったんですけど、それから少し経ってから決壊があって。お話を聞いていたら、団地だとかコンクリートのものが郊外でいっぱい建ってきたときなので、それも影響あったのかなって思ってしまったり。あの頃は川が決壊して家が流されるのってあまり見る光景じゃなくて、それがいまは毎年のようにもっとすごいことになっている。あのとき、多摩川が決壊したときは災害はそう起こってなかったのになぜだろうって考えてたんですけど、今日映画を見て納得できました。

 いま仰る多摩川の決壊したところ、支流の野川と合流してるところですよね。特に野川沿線の流域の開発が高度成長期にすごく広がっていって、コンクリートだらけになっちゃったんですけど、そのコンクリートの水路が多摩川に直接流される状態になって、その水の勢いが強いために、多摩川の放流と合流したところで渦を巻くように停滞して、水量が上がっていく状況になっていた。その水量が上がることによって、その脇の土手が崩れ、住宅が流されるっていうようなことが起きてくる。

 ここ半世紀、全国規模で、一級河川を中心とした河川整備が住宅整備、道路整備と合わせて進んでいった。結果的に各流域が大地に浸透していく機能を失って、それで表面を流れて行くようになった。それが一気に表層から河川に流れ出す。

 沖縄から北海道まで、清流だった一級河川が、急速にふだんの雨が降っただけで泥水の出る流域河川に変わってしまっていますね。このことが実は問題視されていないんですよ。そういう一つ一つの自然が無言で訴えてきている現象を大事に拾い上げて、部分と全体を繋ぐ生態系の健康チェック、トータルで環境を見るっていう、そういう方向で科学的検証っていうか、なされていけば、もっと違った目線が見えてくるんじゃないかと思います。

○ズボンを大事に履いておられるのが素晴らしくて、真似したいなと思うんですけど、ご自分でやられてる(継ぎをあてられている)のでしょうか。

 これはあの、奥さん作です。継ぎ当てが好きなんで、もうこれ20年以上なんですよ。もう売られてないものだから、大事にしたくて継ぎ当てを頼んだんですね。初めはベタって貼られてて。表側から。普通継ぎ当てって裏からするんじゃないかと思うんですけど、表からベタベタ貼ってて、ちょっとこれはないんじゃない?っていう(笑)。しかも色違いの。いまは紺色の布を見つけてきてくれてやってくれるようになったんですけど、前は白っぽかったんですよ。雑巾を貼り付けたみたいな。それがだんだん腕が上がってきて。こうやって昔の人たちは大事に使ってたんだなって。もう随分縫割れているんですけど、その度に強くなるというか。だから、なんかこれ、ファッションのようにとられちゃっているんですけど、全然そんな意図はないんですよ。でも、やってるうちに、愛着が湧いてきて、奥さんのほうがちゃんとやってくれるようになって、こんなふうになっちゃった。

生きものたちとの共同生活、共同作業

○山の木が伐られて太陽光パネルが立っているところがありますが、山の環境的によくないことじゃないのかなと思うんですけれども、矢野さんから見てどう思われますか。

 木を伐ってその土地を利用するということは、全てが悪いわけではないと思うんですね。伐った木を大地にあてがってやって、元の大きな木がやってくれていたように、地上と地下の空気や水が対流できるような脈の機能をそこに再生してやって、それで人が土地利用していく分には十分開発は循環型に作用してくれると思うし、本来の機能が損われない状態が保たれるわけですよね。

 高木が生えている大地は、そこを草に、芝生とか牧草とかグリーンにすれば済むかっていうと全然そうじゃない。牧草は緑だから、山の木をどんどん伐って牧草地にしてけばいいかっていうとそうじゃなく、水脈の機能と地形の機能と植物の機能を、ちゃんと人がセットで見越してそれをカバーするだけのケアができればそれは循環型になるし。

でも一回やったから終わりじゃないわけですよ。壊したからには壊した機能をケアし続ける、そういうメンテナンスがいる。それを昔の人たちはずっとやってきた。

 里山の整備も含めてですね、流域整備は、実はずーっと人が、大地の機能を壊した分、手入れをし続けて「保全」「育成」「活用」っていう3つの段階を、どの地域もちゃんと技術として継承して繋いできているわけですよね。コンクリートを張ったから終わり、手入れが大変だからコンクリートにするとか、木を伐るとか、そういう発想が実はのちに問題を起こすことになる。

 だから映像に出てくる「杜」という字、『傷めず、穢さず』とは、『もともと備わってた自然の機能を、傷めずに穢さずに大事に使わせてください』っていうことだと思うんですよね。その視点、気持ちと技術があったら問題が起きればちゃんと感覚で測定できるし、測定しながらケアしていくと、生きもの的な関わりになって、循環型でつき合っていける。それがいまでいう「SDGs」っていう世界だと思うんです。それが日常的にいまの時代にあった形で各地域ちゃんと保たれていけば、人と自然は昔のように「循環型」で「共存型」の風土を保つことができると思うんですよね。

○水脈や空気の道を少しでも流すような、私たちが日常的に自分の庭や畑でできることがあったら教えてください。

 ふだん、機械とか大きな道具を使わなくても、一般の方が日常的に環境改善できる手立て、手法、それは「のこ鎌」と「移植ゴテ」。

 のこ鎌は地上の植物とか、地表面の自然の風通しをつくっていくときに、草を払ったり、ものを払ったりしながら使う日常的な道具。移植ゴテ(剣スコの小さいようなもの)は、風や雨が動き大地の中に浸透していくときの、表層5cmの水脈をつくってやれる道具。

 その水脈は水筋としての溝だけではなくて、小さな点穴というか、小動物たち、たとえばモグラとかセミとかアリとか、日常的な小さな動物たちが生活に合わせて大地に穴を掘っている、その作業と同じだと思うんですけど、基本的には表層5cmの、大気と大地を繋ぐ地球表面の一番境界面、その境界面のきっかけを空気が大地に入っていきやすいように繋いでやることが一番大事で。その下には植物の根がすぐあるわけですよね。植物が小動物たちの送ってくれる空気を受けて呼吸をしながら、また根で大地へ空気を送っていくっていうことを、風と雨が地上と地下を繋ぎながら、動植物とスクラム組んで循環の機能を地表面で担っているわけです。それを応援するように、自分たちの生活している敷地や道や場を、植物を中心に根の周りを、呼吸をしやすいように空気を送ってやるようにぽこぽこ掘ってやると、それがみんなの生態系の連携を生んで地下にどんどんひび割れが入っていくんですよね。それが大地に脈として繋がっていって、それを動植物たちが応援してくれて、大地の土壌と地質の機能がさらに応援してくれて、地下水脈が育ってくるわけです。

 本当に小さな生きものたちが、自分たちの生活空間を日常的に地上と地下で繋いでいるように、人の住環境の身近なところに地表面が塞がらないように掃除をする、ものを整理する、脈の動線を塞がない、草刈りをしてやる、木の枝を軽く払ってやる、そういう風通し作業を地上と地下で繋いでいってもらったら、みんなの生きものたちの共同生活、共同作業になっていきますから、それを実感していただいたら、こんなことができるんだっていう発見がきっとあると思うんですね。どの方も、個人でも家族でも集落でも、生きものと自然との結作業ができていく。これが環境改善を相乗的にプラスに繋いでいってくれるエネルギーになっていくと思いますから、それをぜひ学んでいただいたらありがたいと思います。

○最後に、もう二言ぐらい言い残されていることがあればお願いします。

 じゃあ一つだけ。現代土木で全国的にやられてる土木整備の大きな一つの問題点。

 大地は地球上どこをとっても「土」と「石」と「木」、この3つが組成というか、この3つの組み合わせでできあがっているわけですね。ところが現代土木は、この中の木をゴミにして出してしまう。開発のとき産業廃棄物として大地の中に有機物を組み込んではならないように、土の中に植物、有機物を入れてはならない法律もできてしまっている。私たちも、映画にも出てくる仙台の現場で伐採された樹木を活かそうと敷地に組み込もうとしたら、そこに生えていた植物たちを大地の中に組み込むのは法律違反だっていうことで、住民の方に訴えられちゃった。最終的には弁護士さんがうまく受けて解決したんですけど、そういう法律になってしまっているぐらいなんですよ。

 明らかに大地の健全な組成として、有機物がない土と石の大地をつくっていったら、有機物は生きられなくなる。いま、生物環境の一番大元の環境機能を損ねる開発になってしまっているんです。単純なことなんです。

 昔の土木がなぜ「土木」という字なのか。ここを本当に見直してもらったら、この言葉の意味も「杜」の意味も見えてくると思うんですね。建物は、実は一本の植物の機能そのものなんですよ。大地の中に根を張り、地上に枝を広げて、光合成をしながら息をしている。建物は植物から生まれたわけですけど、その建物は大地の土と石と木、植物の根っこを含めた、そういう組成の中で空気と水が循環し、縁の下から柱も壁も屋根裏も含めて、空気と水が循環する住環境であることが、建物の本質だと思うんですね。それが大地が呼吸できない状態のコンクリートの打ち方になり、密閉型の空間にして、中に人工的な空調機を入れるっていうシステムで息づいている建物は、どうしても自然の機能が損なわれた別の環境になっている。大地も含めた大元の環境が見直される必要があると思うんです。

 難しいことはいらない。単純にこれだけ、大元の機能が損なわれてるっていうことをいまの時代が単純に見直して、研究をし直していってくれたら、急速に環境改善が見えてくると思うんですね。そのことの大元をぜひ見ていただけたらと思います。

佐竹敦子監督、纐纈あや監督とトーク!

 8月15日。終戦の日。東北地方各地では、養鶏場の鶏たちが1万5000羽豪雨で流されたり、果樹や水田、畑に土砂が流れ込んだりしています。手をかけた作物、生きものがそんな目に遭うのは、どんなに辛いことでしょう。お金には換算できない痛みだと思います……。どうか、足元を見つめて、新たな気持ちで一日を始められることを祈ります。


実家に帰省中訪れた周防大島からの海。時にスナメリも現れるという。このさざなみ一つ、人間には真似できない

『杜人』封切りから4ヵ月。この間、さまざまな劇場を訪ね、たくさんの方々との出逢いがありました。人と人との繋がりも大切な「脈」。各劇場にその劇場ならではの歴史と個性があるように、そこに足を運んでくださる方々にもその地域らしさがあります。そこで舞台挨拶(アフタートーク)をさせていただき、サイン会の時に直接話ができるのは、何にも代え難い貴重な機会です。

前橋シネマハウスで辰巳玲子さん(写真左/『ホピの予言』ランド・アンド・ライフ主宰)、田中優子さん(炭座主宰)とトーク

 

かつての教え子も、秩父の友人たちも、たくさん来てくださいました
広島・横川シネマで溝口支配人(写真左)、ハチドリ舍の安彦さん、大地の再生中国支部の兼田汰知さんと

 そんな中、尊敬するドキュメンタリーの監督お二人と話をさせていただく機会を得ました。

『マイクロプラスチック・ストーリー~ぼくらが作る2050年』(2019年)の佐竹敦子監督と、『祝の島』『ある精肉店のはなし』の纐纈あや監督。お二人と話せたことは、これからの『杜人』と私自身を考えるうえで、大きな示唆と展望を与えてくれるものでした。

NY在住の佐竹監督(写真右)は中学の時から8ミリ映画を制作! ドキュメンタリーはNYに移住してから撮り始めた。まさに運動の塊のような人!胡桃堂喫茶店の影山さんの見事なナビゲーションで、90分濃厚なお話を伺いました!

 詳しい説明は公式サイトの予告編や紹介文を観ていただくとして、『マイクロプラスチック~』を観てから、心底プラスチックを使うのはもうやめよう、と思いました。それくらい骨の髄まで沁み渡る、学びと確信、希望に満ちたドキュメンタリーです。

 それでいて、押しつけがましさとは無縁。気がつくと子どもたちと一緒に「海の生きものたちが自分たちの出したゴミで苦しむなんて許せない!」と怒りが込み上げてきて、社会を違う方向にシフトしたい気持ちがムクムクと頭をもたげてくる。

「この映画に出てくる子どもたちの軸になっているのは“Justice”なんです。貧困や差別、社会的には弱い立場にある家庭の子が多い。その子たちのJusticeの軸が震えるんです」

 佐竹さんの言葉は、「ベルサイユのばら」のクライマックスに震えた小学生の自分を貫き、いまも響き続けています。

 子どもたちがNY市庁舎まで「プラスチック・フリー」のバナーを掲げて歩き、そこに市長が現れるシーンはもう革命そのもの! でも、その革命は、フランス革命とは違い、共感と民主主義に裏打ちされている。それを子どもたち自身が学び、調査し、考え、行動に移したことが何より尊く、胸を打つ。

 まだご覧になっていない方は、是非観てください。

 そして佐竹監督とのこの日のトークは、こちらで9月末まで観られます。

 有料(当日のオンライン参加費と同額)ですが、会場を提供してくださった胡桃堂喫茶店を応援する意味でも、是非ご覧いただけると嬉しいです。

 8/1佐竹監督とのトークは初対面、初トーク・イベントでしたが、8/6纐纈監督とのトークは、小金井での「杜人」自主上映会のアフタートークでした。

 纐纈さんとの出逢いは2015年。前年の街路樹伐採問題で矢野さんに初めて逢い、その年の6月に国立で開かれたWSで「この人の自然を観る目、手法はみんなが知るべきものだ!」と確信した私は、友人の紹介で纐纈さんと初めてお逢いしたとき、いきなり「映画を撮ってほしい人がいるんですけど!」と話を切り出したのでした。でも、纐纈さんは固辞され、二度目もやはり固辞されて、2018年4月、ついに「私に撮れるでしょうか?」と纐纈さんに相談にいったのでした。

「想いは、技術に先行します。前田さんなら大丈夫。私にできることはなんでもします!」

 纐纈さんのその言葉の源泉を、この日、私は知ることになりました。この日のトークは、実行委のおひとり、小金井市議の片山かおるさんがアップしてくださいました。

 文字通り、纐纈さんがいらっしゃらなければ、陽の目を見ることはなかった映画『杜人』。改めて、人という動物の美点は、時空を超えて想いを繋ぎ、紡ぐことができることだと感じ入っています。

纐纈あやさんに教えていただいたことだけで、一冊本が書けそうな……!

 さて、猛暑もそろそろピークアウトしつつある8月後半。この暑さも、豪雨も、きっとひとりの意識の変化で、風穴をあけることができるはず。

 8月下旬は宇都宮、宝塚、富山、逗子、そして熊本、日田(大分)で上映がスタートします。8/25には自然・有機農業で有名な埼玉県小川町で大きなイベントも。ここからの旅にも、是非おつき合いください。

帰省中に観ることができた、はしもとみおさんの木彫展。同じ生きもの同士、この地球で互いに補い合い、人間だけがいいとこ取りせず、暮らしていけますように(写真は宇宙に行ったライカ犬、クドリャフカ。みおさんは地球に帰還することのなかったクドリャフカを、こうして地上のかたちとして私たちの目の前にそっと置いてくださった。永遠の記憶のよすがとして)

     2022.8.15 前田せつ子

 

 

ゆふいん文化・記録映画祭から福岡へ!

 熱い浜松からいったん東京に戻って、さて、英語の作業! どういう言葉が適切なのか、頭をひねりながらシノプシスを書き、英語字幕もなんとかギリギリで間に合わせてもらって、とある国際映画祭に応募しました。身の程知らずは重々承知ですが、クラウドファンディングのストレッチゴールとして約束したこと。英語字幕はもう少し練ってから完成させ、インターナショナル・エディションを仕上げていく予定です。

 さて、7月の後半戦は九州! 7月22~24日に開催された「ゆふいん文化・記録映画祭」に行ってきました。

大分空港からバスで由布院へ

 2020年は開催が叶わず、今年第24回を迎えた同映画祭はこんな想いで行われています。

想いのこもったひと言、ひと言。その反骨に惚れ惚れする
「杜人」のページは、こんな感じ

 今年のプログラムはこちら。

 

 せっかくなので、できるだけ他の映画も観たいと早めにゆふいんに到着。『つつんで、ひらいて』(広瀬奈々子監督)、『明日をへぐる』(今井友樹監督)の上映とトークも鑑賞させていただきました。

 

いいなぁ。映画祭って!

『つつんで、ひらいて』は不世出の装丁家、菊地信義さんを捉えたドキュメンタリー。そう、本ってこういうもの。手のひらに載せたとき、ページをめくったときに込み上げてくる嬉しさと興奮。表紙の文字、細部のデザインに宿る息遣い、指先から伝わるものに徹底的にこだわった装丁家が一生をかけて追求したものを、丹念に掬い取った力作でした。

『明日をへぐる』は、和紙をつくる原料「こうぞ」の栽培・繊維にする行程に古くから従事してきた村の人々が伝承してきた手業と「結」に迫る貴重な記録。どちらも時代の波にさらわれてしまう前に、遺しておかなければならない文化、営み、人の想いを、執念とともにフィルムに刻み込んだ貴重な作品。観ることができてよかったとしみじみ思いました。

 翌日は「由布院のむかしを巡る」体験ツアーに参加。矢野さん、秘書の岩田さんも間に合って、一緒にまちを巡りました。

矢野さんも参加。一緒に廻る

 矢野さんと歩くと、水と緑、風が豊かな由布院にも、滞りができているのがはっきり感じられます。いつも氾濫するという水路の合流地点はコンクリートで固められ、植物も水の流れも息苦しそうでした。

かつてはもっと緩やかな流れだっただろう
氾濫を繰り返すため、固められたという水路の合流点
この季節にモミジが赤くなっているのは、「呼吸が苦しいんですよ」と矢野さん
印象的な言葉が刻まれた石碑

 名物の鶏鍋定食をいただき、ずっと観たかった『教育と愛国』を観て、寺脇研さんが進行役を務められたシンポジウムも聴き、それから「杜人」上映と矢野さんとのトーク。

進行役を務めてくださったのは、映画評論家の野村正昭さん。聞けば、「杜人」を紹介してくださったのも野村さんだったとか!

 この時の矢野さんのお話は後日改めて掲載しますが、最後のひと言は人間のつくった勝手なルールへの疑念でした。

「土と石と木。自然界はその3つで成り立っている。でも、土木の現場では、土と石しか組み込んではいけないことになっていて、木が排除されている。無機物と無機物をつなぐのは有機物。植物を排除すると自然界のバランスが狂うんです」

 会場からは「森林を伐採して進むメガソーラーについてどう思うか」などいくつも質問が飛び出して、この映画祭ならではの気迫を感じました。

 奇しくもこの日は矢野さんのお誕生日。

「66歳!? 見えないですね!」と驚きながら、皆さん歌と拍手でお祝いしてくださいました。

 大企業の後援があるわけではなく、すべて実行委の皆さんの想いと手で賄われている映画祭。それは、浜松同様、運動の原点を見せつけてくれるものでした。

写真右から矢野さん、大谷隆広実行委員長、事務局の藤重睦美さん、一番左が「山荘わらび野」の主人でもあり、実行委でもある高田淳平さん

 さて、怒濤の7月の最後を締めくくったのは、矢野さん、そして音楽の山口洋さんの故郷でもある福岡県。

 kino cinema天神は4月15日封切りの前に「上映します!」と連絡をくださった映画館です。

お洒落なエントランス
光栄です!

 出来たばかりのお洒落なビルの3階、3スクリーンの劇場で、これから上映される映画のラインナップにグッと来ました。とくに『掘る女』、絶対どこかで観たいです。

 福岡は大地の再生九州支部のメンバーをはじめ、たくさんの方がチラシを撒いてくださって、舞台挨拶に伺った30日、31日は両日満席!

暑くて熱い福岡天神!

 九州の“掘る女”No.1、No.2(?)とのアフタートークは、とても充実した時間になりました。

いち早く「杜人」を見つけてくださった青松支配人、ありがとうございます!上映はまだまだ続きます!
大地の再生九州支部の轟理子さんと出口容子さん。轟さんは「大地の再生士」として屋号「杜のひととき」で活躍中。
出口さんは発足したばかりの「いのちの地下水をつむぐ会」副代表でもあります

 生ビールと揚げ物は絶対禁止!を貫いた7月は、たくさんの激励とエール、美しい風景と人の脈が織りなすタペストリーに何度も感動しながら、すべての行程を終えることができました。数十年ぶりに再会した同級生、数年ぶりの大地の再生メンバー、初めて逢ったのにすでに旧友に思える同志の皆さま、映画愛に溢れた劇場の皆さま、本当にお世話になりました!!

      2022.8.4   前田せつ子

由布院の「割烹サトウ」の鶏鍋定食、美味でした
どんな場所でも、水脈のチェックは欠かしません
山があって、水田があって。この風景をずっと

福島から山形、そして浜松の奇跡へ!

 さて、上映が相次ぐ7月の折り返し地点、7月15日は福島へ向かいました。東日本大震災以降、「福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク」という市民団体をやっていますが、そこで出逢った有機・自然農業に勤しむ方々も観にきてくださって、久しぶりの再会を歓び合いました。

福島有機農業ネットワークの馬場浩さんは南会津から、長谷川浩さんは奥会津の山都町から来てくださいました

 フォーラム福島は、フォーラム山形に続いて出来たミニシアターで、東北地方の文化・芸術を育んできたところ。近くにイオンシネマが出来るニュースが飛び込んできたときは、なんと反対運動まで起きたとか。それほど地域の皆さんに愛されてきた劇場で、開館時から関わり、永く支配人を務める阿部さんは、エンタメ業界一筋で生きていらした方。今度ゆっくり映画のお話を伺いたいと願いつつ、お蕎麦を食べて別れました。

キジ汁蕎麦!

 

「非常に面白い視点ですね!」とすぐに上映を決めてくださったフォーラム福島の阿部支配人

 翌日はフォーラム山形。8.11山の日まで続く「山をめぐる映画の旅」特集のトップバッターに選んでいただき、錚々たる顔ぶれに身の引き締まる思いでした。

こんなラインナップで「山をめぐる映画の旅」、8/11山の日まで続きます!

 30分のアフタートークでは、「深い森の中に矢野さんが佇んでいるチラシのビジュアルがとても印象的。ひとり矢野さんはどこを見つめているのか。世界の終わりを見つめているようにも思える」と客席から質問が。「やってもやってもキリがなく、大地は詰められていく。絶望しないのだろうか」と。

「わずか5cmの小さな点穴が遠くの尾根まで伝わって、一瞬で空気と水の循環を促すことを矢野さんは知っている。自然が再生する力を信じている。絶望している暇はないと思う」と答えましたが、そんな答えでよかったのかはわかりません。

「山形国際ドキュメンタリー映画祭」も開催されるフォーラム山形は、フォーラム・ムービーネットワークの第1号館。ここからいくつものドキュメンタリーの名作が世界に羽ばたいていきました。森合支配人と最初から応援してくださった千歳さん。お世話になりました!
ナレーションの光野トミさんのご友人、「お話」を語られる井上眞理子さんから、咲いたばかりの紅花の花束を
山形に来たら冷やしラーメン! フォーラム山形さんに近所の名店「金長」を教えていただきました

 7月17日、18日は曇天時々雨の予報が見事に外れて、夏の雲と青い空が絵のように広がる日に。まず訪れたのは遠州灘をぐるりと囲む防潮堤。東日本大震災後に急ピッチでつくられた防潮堤の周辺は空気が動かず、周辺の松は傷み、苦しい表情を見せていました。

高さ13~15m、総延長17.5km。2020年に完成した国内最大級の防潮堤。この下にコンクリートの塊が
苦しい表情を見せる松

 日本三大砂丘の一つ、中田島砂丘も観てから訪れたのは、浜松シネマイーラ 。今年2月、まだ封切り前のこと。他のドキュメンタリーの上映館リストを見ながら榎本支配人にお願いの電話をしたところ「そんなふうに一方的に説明されても、正直言ってあなたの映画はうちでは上映できないと思うよ」という返事が返ってきました。

浜松の繁華街からほど近い、歴史ある映画館、シネマイーラ。席数152

 

 聞けば、都内がアップリンク吉祥寺単館でスタートする(規模の小さい)映画を、地方館でかけても席は埋まらない、とのこと。映画を気軽に観られる時代、ただでさえ映画館人口は減っているところにコロナ禍がもたらしたものは深刻で、どこのミニシアターも忍耐を強いられています。電話口から伝わってきたのは並外れた映画への想いで、最後に「まあ、環境に意識の高い人は多いから、地元の人たちがそういう運動を起こしてくれるなら別だけどね」と言われたとき、これは受けて立たねば! と思ったのでした。

 電話を切ってすぐに連絡したのは、浜松で「ナインスケッチ」という造園業を営む田中俊光さん。大地の再生東海支部のメンバーでもある彼は「わかりました! やりましょう!」と二つ返事で受けてくださいました。

 田中さんが繋いでくださったお二人の市議、倉部光世さん(菊川市)、鈴木恵さん(浜松市)と山口雅子さん(執筆業)と5人でZOOMミーティングを開いた時、私は運動の原点に引き戻された気がしました。

 ポンポン飛び出すアイデア、誰々さんにも入ってもらおう、プレ・イベントを開くといいよね、そしたら、あの人にも入ってもらって……と、みるみるネットワークが広がって実行委員会が発足。6/19のキックオフ・イベントには、50人以上が県内から集まってくださったのでした。

6/19のキックオフ・イベントは、地元の新聞にもこんなに大きく載りました!

 シネマイーラ での舞台挨拶初日、客席は満員御礼。5人並んで挨拶をして、客席からも言葉を頂戴しました。翌日もほぼ満席。「シネマイーラ を杜人でいっぱいにしよう!」という当初の目的は本当に達成され、「いーら杜人」と名付けた実行委員会の皆さんの情熱と行動は、この後もシネマイーラ に奇跡をもたらしたのでした(1週間7回の動員数583人は最高記録だそうです)。

浜松でこんな風景が見られるなんて!
写真左から倉部光世さん(菊川市議)、鈴木恵さん(浜松市議)、山口雅子さん(執筆業)、田中俊光さん(造園家)、榎本支配人

 「杜人」が目指すのは、映画の成功よりも、自然界の生きものたちと人間が「結」を取り戻す一助となること。目的と手段は容易に入れ替わるものですが、山口雅子さんが牽引する実行委員会から学んだのは、運動の魂と言ってもいいものでした。

 学びへの情熱と善き未来に向かって行動する志。人が人であることの意味と希望を痛感しながら、杜人の旅はまだまだ続きます。

 7月17日、真夏の空が広がる中田島砂丘の防潮堤から浜松の街を見る
こんなところになぜ巨大な水溜り?と思ったら、砂丘に天然池は珍しくないとのこと
突然の案内役を引き受けてくださった松下克己さん、お世話になりました! 防潮堤がもたらす自然の変化、観続けたいと思います

     

               2022.7.28 前田せつ子

奈良、徳島から山口・ワイカムシネマ、シネマ尾道へ。上映会場、上映館はすべて満席!

 おかげさまで、全国41館の劇場で上映していただけることが決まり、7月は最も上映が相次ぐ月になりました。上映館のない地域では自主上映会が始まり、舞台挨拶・アフタートークも地域を移動しながら連続開催。果たして、すべてを無事に乗り切れるか、私にとっては正念場でもありました。

 7月6日、奈良宇陀市へ出発。名古屋を経由して近鉄を乗り継ぎ、気持ち良い山々に囲まれたところに着きました。

「Hi Studioもとたねしゃ」。ここは野外撮影場所でもある

 自主上映会が開催されたのは「Hi Studio もとたねしゃ」。写真家・木下伊織さんの「『美しき大地の再生』写真展」と同時開催されました。

写真家・木下伊織さんと近くに住む北森克也さん

 

「美しき大地の再生」写真展
この地を選んで移住され、小山田竜二さんとDIYで古民家を再生された
3日間、3回ずつ上映していただきました

 7月7日の上映会&トークには、地域の方を中心に京都からいらした方もあり、トーク後の質疑応答では地域の子育てを含む環境についての熱い意見も。地域で子どもたちを育てていくかつての結を感じました。
 この日の朝には、近くにある「龍鎮神社」にも案内してもらいました。水音が心地よく響く中、数分歩くと、自然が彫刻した見事な水脈と点穴に目を見張りました。

全てを浄めてくれるような水の流れ
龍鎮神社
水脈と点穴!

 その後、大阪で高速バスに乗り継ぎ、一路徳島へ。視界が開け、海が眼前に広がると空の風景もダイナミックに変化し、光の粒がグッと輝きを増します。

なんて綺麗な光なんだろう

 徳島駅で待っていてくださったのは、チラシのデザインを手がけてくださった山下リサさんと主催である「コープ自然派しこく」の中西真夕さん。美味しい居酒屋で食事をして、真夕さんが始められたばかりのゲストハウスで一泊。

こんなに素敵な朝食だったのに、桃しか食べられなかった…

 実は翌朝、生まれて初めての目眩(?)に襲われました。猛暑の移動のせいか、着いた瞬間生ビールを飲んだのが悪かったのか……。頭の芯が定まらなかったのですが、熱はなく、午前中は休ませてもらって、なんとか上映会場に向かう車の中で立て直しました。そして、いざという時のためにスタンバイしてくれていた「森の学校みっけ」主宰の「らんぼう」こと上田直樹さんに久しぶりに再会。お二人に助けられて、無事にトークが終わった時は本当にほっとしました。

 文化の森ミニシアターは満席。そして、ここで「大地の再生四国支部」発足宣言がなされたのでした。

山下リサさんとらんぼうに助けていただきました

 思えば、徳島で体調を壊したことは、頼れる方々がいらっしゃる場所だったからだろうと後から思いました。私ひとりのトークだったら、どれほど大変だったことか。リサさん、真夕さん、らんぼうという強力な布陣があって、「いざという時はなんとかしますから大丈夫!」と仰っていただけたことが何より効く安定剤になった気がします。

山口情報芸術センター

 7月9日。実家から姉の車で向かったのは山口情報芸術センター[YCAM]。10時の開館前に到着すると、すでに長蛇の列が。見ると、高校の同級生。「地元なので、友達もいっぱい観に来てくれるはずです!」と上映のお願いをしたものの、正直どのくらい来てもらえるのか、不安がありました。でも、持つべきものは同級生、怒濤の勢いでチラシを撒いてくれたおかげで、なんと100席が満席、補助席も出してもらうことに。

ま、まるで、ライヴのような…
温かすぎるホームグラウンド

 山口は「地元スペシャル」ということで、父が90歳の時に撮った短編(といっても、アップリンク主催ムービー制作ワークショップの修了制作)「100歳に向かって走れ」(2018)を同時上映してもらったのですが、私にとっては緊張の連続でもありました。

 94歳になった父が黙って最後まで観られるのか、途中でいびきかいて眠り込んだりしないか、88歳の母は腰が痛くならないか、トイレは大丈夫だろうか……。

 そんな心配は杞憂に終わり、二人は2本立て2時間、最後までちゃんと観てくれました。さすがに40分近いトークは長かったらしく、我慢できずにトイレに立った父でしたが、終了後は「元気をもらいました!」と女性陣に囲まれ、人生最大のモテ期が襲来したのでした。

長時間、お疲れ様!
ワイカムシネマの前原美織さん、お世話になりました!

 7月10日はシネマ尾道へ。

大林宣彦監督も愛した歴史ある映画館

 真夏の日差しが降り注ぐ中、歴史ある映画館で、「教育と愛国」「スープとイデオロギー」という名監督のドキュメンタリーと並んでかけてもらえるという栄誉に預かり、さらに120席ある客席は満席。

どっちも観たい! 聴きたい!
広島でも、皆さんにたくさんチラシを撒いていただきました

 2018年7月、西日本豪雨で被災した広島で上映してもらえることには大きな意味がありました。

 一緒に登壇した下村京子さんは、矢野さんの「被災現場に入りたい」という申し出を、ボランティア・コーディネーターをされていた松田久輝さんと繋いでくださった大地の再生のメンバー。炎天下、十数日間現地に泊まり込んで被災地支援をされる姿は深く胸に刻まれていました。

写真左から兼田汰知さん、上村匡司さん、下村京子さん

「おとめちゃん」こと上村匡司さんは京都で造園をされていたのですが、大地の再生に出会って、下村さんと「上下コンビ」を結成、中国地方から九州、そして四国まで年間を通して大地の再生の旅を続けられています。

 兼田汰知さんは西日本豪雨でご自宅が被災、土砂で家財道具が流されました。

「被災してわかりました。人間、何があっても大丈夫なんです」という言葉には、お金のためでなく、子どもたちが生きていく未来のために、大地に呼吸を促し続ける覚悟が漲っていました。

 この日のトークの詳細はこちら

美味しい珈琲と梅ジュース、モヒート(ノンアル)の出店も!
シネマ尾道の支配人、河本清順さんを囲んで

 翌11日は編集段階で的確なアドバイスをくださった尾道在住の映画監督、田中トシノリさん(「スーパーローカルヒーロー」「RESONANCE ひびきあうせかい」)、そして珈琲屋さんや農業に加えて「ジャイビーム!」というスーパーパワフルな映画を撮られた竹本泰広さんと登壇しました。

 3人に共通するのは、衝撃的な人物との出逢いが映画を撮らせたこと。そこにあるのは「この人、すっげェ!」という感動を「共有したい!」という初期衝動のみ。その人を特別な人として紹介するのでなく、みんなの中にある想い・力に共振・共鳴させたかったことだと話をしながら思いました。

田中トシノリさん、竹本泰広さん、そして大三島から来てくださった藤田さん、ありがとうございました!!

 奈良から始まった西日本の旅は、「ヤドカーリ」というアジト、もといゲストハウスで一層ディープなものとなりました。

 

大崎上島から来てくださった三須磨さんとは4年ぶりの再会でした。ヤドカーリの村上さん、お世話になりました!
瀬戸内レモンがたっぷり!
賀羅加波神社の大欅にも逢いにいきました
風格を漂わせる由緒正しい神社。銀杏の木は天然記念物ですが、あまり元気がありません

 さて、この後、旅は東日本(福島、山形)へと続きます。そして、浜松の奇跡へ。つづく!

7月2日、100年以上の歴史を誇る上田映劇。赤尾さん、岡さんのおかげで、たくさんのお客様にお越しいただきました!
キャパが150席もある映画館をやっていくのは大変なこと!編成担当の原さん、支配人の長岡さん、どうか頑張ってください!


2022.7.20 前田せつ子

奈良、徳島、山口、広島へ!

 

 今年初の線状降水帯に関する警報が出ました。また、この季節がやって来ました。

 2018年6月末から7月頭にかけて、私は高速バスで実家のある山口に帰省していました。この頃、骨粗鬆症の母の骨折が相次ぎ、入退院の繰り返し。父は認知症を危ぶまれ、頻繁に帰省していたのでした。

 帰省中は雨続き。私は7月7日〜8日の気仙沼講座を撮影したかったので、5日夜に実家を出て、高速バスに乗りました。

 バスの中で実家から車で1時間のところに住む姉と何度もやりとりしたのは、避難警報が出ているけれど避難すべきか否か。姉の家は避難所よりも高台にあり、しっかりした躯体。川のそばとはいえ、裏に住む足の悪い義父、義母を連れて避難するのは逆に危ないのでは? とやりとりを繰り返したのでした。

 私は、いざとなったら姉の家より高台にある神社やお寺に避難させてもらうのがいいのでは、と提案しました。結局、河川が決壊する寸前で雨は収まり、事なきを得ましたが、実家の両親にもいざとなったら、避難所に指定されている中学校まで早めに避難するか、さもなくばお隣の鉄筋造の家の2階に躊躇せず避難させてもらうよう念を押しました。

 さて、一旦家に寄って、7日に気仙沼の現場に行きましたが、そこには広島からのボランティア・スタッフもお二人みえていました。

 その夜、お二人はご自宅にいるご家族と何度もやりとり。止まない雨、家にも帰れない娘さん。家の裏山が崩れてきそうだとSOSを発される奥様。翌日、土砂が家に流れ込んできたお一人は、急遽気仙沼から広島の竹原まで帰られることになりました。

 それが2018年、西日本に甚大な被害をもたらした平成30年豪雨(西日本豪雨)でした。

「杜人」には、矢野さんが大地の再生のスタッフに呼びかけ、支援も募って行った被災地支援の様子も収められていますが、奇しくも4年後にあたる7月9日から、広島・シネマ尾道と山口情報芸術センターで上映がスタートします。

 山口では7月9日(土)10時30分〜上映回の前後にご挨拶とアフタートークを行います。

 地元スペシャルということで、2018年当時90歳だった父を撮った「100歳に向かって走れ」を同時上映。

 これは、2018年3月から半年間受けたアップリンク主催ムービー制作ワークショップ15期の修了制作で、本当に初めてつくったドキュメンタリー(とも呼べないようなものですが)。

 カメラはハンディカム、編集はiMovie(?違う簡易ソフトだったかも)、3日間くらいで編集した粗く拙い作品ですが、生涯に一度くらい父に「主演男優」を経験してほしくて、山口情報芸術センターに上映のお願いをしたら、「高齢者が元気になる作品は大歓迎です!」とかけていただけることに。

 当日は父も母も一緒に行く予定ですが、たぶん「杜人」の途中で爆睡してしまうはず。いびきがうるさくなったら強制退出しますので、どうかお許しを。

 そして、広島では7月10日(日)9時〜上映回の後に、4年前に呉市安浦町中畑の支援を繋ぎ、自らも泊まり込みで支援をされた下村京子さん、上村匡司さん、兼田汰知さんという大地の再生メンバーを迎えて、当時を振り返りつつ、これからどうやって私たちは自然と関わっていくのか、というお話をしたいと思っています。

 さらに、11日(月)には、広島在住の映画監督、田中トシノリさん、農業も映画作りもされている竹本泰弘さんと共に、ドキュメンタリーの可能性についてお話をさせていただく予定です。

 順番が前後しましたが、7月7日(木)は奈良県宇陀市で「Hi Studio もとたねしゃ」を造られた木下伊織さんの『美しき大地の再生』写真展と『杜人』上映会の、10時〜の上映後、トークをさせていただきます。

 伊織さんはずっと矢野さんと大地の再生を追いかけて素晴らしい写真を撮られてきたプロのフォトグラファー。初めてお会いしたのは2018年7月。やはり4年前です。

 今回、写真展を拝見できるのも楽しみです。

 

 続いて7月8日(金)には徳島市にある文化の杜ミニシアターで、コープ自然派しこく主催の上映会があり、午前の部と午後の部の間(12時〜)にトークをさせていただきます。

 こちらはご好評いただいている杜人のチラシのデザインもしてくださったベテラン・デザイナー、山下リサさんの想いから始まった上映会。

 奈良と徳島の上映会は、もしかしたらもう満席かもしれません。どうぞ、ご確認のうえ、お出かけください(山口と広島の劇場は当日券のみの販売です)。

いま、初めて近鉄特急で名古屋から奈良に向かっています。

 小さな国土に多様で豊かな自然、風土が凝縮されているこの国の底力が目に飛び込んできます。

 どうか、もっともっと大地が、植物が、すべての生きものが息づく未来でありますように!

      2022.7.6 前田せつ子