能登支援と「公益」としての杜の財団

なんと、半年も間が空いてしまいました。いったいこの間、何をしていたか?

「杜人」の旅の他には、ずっと国立第二小学校の樹木(いのち)の緊急避難プロジェクトに関わっていました。

昨年のGWの4日間に40本。次の土曜日に追加で6本。桜並木をはじめとする全46本を救出してからずっと、二小の校庭にできる限りたくさんの木々を戻してあげたいと、国立市教育委員会と協議を重ねてきました。それが子どもたちの願いだったからです。

でも、いったん決めた計画はなかなか変更できないのが人間社会。特に「公」は、どんなにそちらのほうがあらゆる面で優っていたとしても、難しい。変えられないのは計画なのか、それとも人間の意識なのか。その時々の状況に応じて変幻自在に動きを変える自然界とのあまりの違いに、何度も打ちのめされる日々でした。

どんなに話し合いを重ねても交わることはなく、市教委は「校内に戻せる木は2箇所2本程度」と言って譲らず、他の木々は引き取り手(里親さん)を見つけることになりました。「樹木を救いたい」と手を挙げてくださった里親さんは、なんと13名(法人、個人)! 東京、埼玉、静岡、千葉、茨城、栃木、そして長野の全15箇所に奇跡的にいのちを繋いだ木々のほとんどを無事引っ越しさせることができました。とはいえ、この夏の暑さは樹木にとっても苛酷で、いまも緊急事態は続いています。

開発という名で大量の樹木伐採が進むなか、小さなまちの小学校で起こった樹木救出プロジェクトは「安全とは何か」「樹木とは何か」を突きつけながら、現在進行形です。

樹木を「いのち」として捉えるか否かで、人は全く異なる選択をする。この物語は、いずれきちんとした形でご報告したいと思っています。

さて、この1週間、台風10号に翻弄された日本列島。大きな被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。

過去最高となる記録的豪雨で何度もニュースで取り上げられた小田原(神奈川県)で9月1日、「杜人」上映会と矢野智徳さんの講演会が開催されました。

新幹線や小田急線も止まる中、午前の上映会は中止されたものの、午後2回の上映には300名近くの方が集まってくださったとか。矢野さんの講演会には240名を超える方々が参加されたそうです。

矢野さんは武蔵野丘陵からの「脈」の要としての明治神宮外苑の意味(江戸時代の治水土木の凄さ)に加えて今年1月から毎月通っている能登被災地支援の報告をされたと聞きました。

1月から8月まで、これまでに全8回。1月は輪島市に住むかつての講座主催者さんと連絡が取れないことから、安否確認の意味も込めて山の中腹にあるその方のお宅を訪ねたそうです。

斜面の上から石が転がってくる暗闇の中、倒木で車の入れない山道を3km歩いて辿り着くと、その方が驚いた顔で犬と一緒に迎えてくださったとか。聞けば、孤立集落となったその地域では、自衛隊のヘリが来て3時間以内に避難するか止まるかの選択を迫られた。他の家族は避難を決めたが、その方だけは犬のために止まる決断をして今に至る、と。

震度7にもかかわらず、囲炉裏や太い梁のある150年の古民家はびくともせず、水は沢から引き、米も餅も漬物もあるから食べるには困らず、薪で暖を取り、夜はろうそくを灯してその空間を味わってきた……。その方の暮らしぶりは、一般的な「孤立集落」のイメージとはかけ離れていたそうです。

そして矢野さんらは、3kmの山道にリアカーで資材を運び、斜面変換線に「脈(空気と水の通り道)」を通すことから始めたとか。

そんな話を矢野さんに聞いたのが2月。ずっと能登へ行きたいと思い続けて、ようやく実現したのが5月。これまでに人の縁が繋がり、土地の縁がつながった輪島市、珠洲市、能登町で初めて「能登再生講座」が開催された時でした。

ここからは写真をメインにご覧ください。

輪島市の東山集落。斜面変換線に沿って通された水脈。3kmの山道を資材を載せたリアカーで行ったり来たりの作業はどれほど大変だったことだろう
震度7でもびくともしなかったという築150年の(もちろん木造の)家。黒光りする梁が美しかった

一緒に避難することができなかった犬や猫もたくさんいた
輪島の朝市の近くにある重蔵神社。もともとこの神社への参道に露店が集まったのが輪島朝市の発祥という
境内には七つの社がある。ここは商売繁盛、五穀豊穣の稲荷社

被災地でもやることは同じ。空気と水の通り道を確保して、人にも、その他の生き物にも、ひと息つける環境をつくること。大地の再生Tam Tam支部(滋賀)からのメンバーや日光、神奈川から参加された方もいらした

被災して水が出ないにもかかわらず、十数名を泊めてくださり、南インドカレーや釜で焼いたピザを夕食に出してくださった輪島市のご夫婦。ほとんど寝ずに準備された朝食は本当に美しく美味しかった

珠洲市。被災されたご家族が1週間前に引っ越していらした家には豪華絢爛な欄間が

被災地で必ず問題になるのがトイレだけれど、木があって土があれば作れる「風の縄文トイレ」。大きな木のそばに50cmくらいの穴を掘り、炭や枝葉、粗腐葉土を入れる。発酵は微生物がやってくれる
講座参加者さんの6割は近隣から、4割は他県から。結作業はダイナミックな渦のよう

コンクリートの水路には穴をあけて空気と水の通りをよくする

まだ慣れない台所で見事なホストになってくださった珠洲のご家族。思わずゲストハウスかと勘違いしてしまうほどに

以前、国立で存じ上げていたみわふくさんに再会。縁あって能登町で「梅茶翁」という茶房&宿泊施設をされることに。ここでの講座は継続して開催されている

50名近い参加者さんは地元の方々に加え、南三陸からの方も。矢野さんの恩師、堀信行先生も何度も同行され、調査・研究をされている
「アスファルトのヒビには小石と共に有機物を入れてやることが大事なんです」という矢野さんの言葉に深く頷く参加者さんが多かった

能登の風土が凝縮された「梅茶翁」の敷地に皆で風を通していく
大地の再生関西支部から支援に駆けつけたメンバーも

皆で帯状に水脈に沿って風の草刈り、水路の脈通し。風が心地よく吹き抜けていく

能登には、風土と人間の切っても切れない関係が確かに息づいており、矢野さんの言葉がスッと水が浸透するように受け入れられるのを感じました。東日本大震災後のようなコンクリートによる復興は決して行われるべきではなく、大地の脈を人間の脈で繋ぎ、足元から「流域生態系循環」を取り戻していくこと。それが、地味でも確実な減災・防災、そして真の復興への道なのだと確信しました。

能登支援活動は、昨年12月19日に設立された一般社団法人「杜の財団」によって行われており、奥能登の拠点となる地域で継続的に続けられ、これからも続いていきます。が、もともと(一般に言う)「財」がある財団ではないので、現在は赤字。先に書いた二小樹木の緊急避難プロジェクトも財団の支援(公益活動助成)を受けていますが、こちらも大赤字。

財団は支援を募っていますが、9月からは会員制度も始まり、双方向のスピーディな情報交換、やり取りをしながら「学びの場」「公益の源」として育てていくそうです。

次世代にこのかけがえのない風土と、自然と共に生きる知恵と手法を伝え継いでいくために。

リンカランフィルムズも全力で杜の財団を応援しつつ、「杜人」の脈を次に繋いでいきます。

また、能登で「杜人」上映会を開催される場合は上映素材の無料貸し出しも行っていますので、お気軽にお問い合わせください。

 

 2024年9月2日 前田せつ子

進化する『杜人』の旅と二小の桜の物語

2022年4月15日の封切りからまもなく2年。三度目の春を迎えようとしていますが、3月はまた全国でたくさんの自主上映会が開かれる予定です。

3月2日は山口・岩国、3日は大分・速見郡、9日は東京・北区、神奈川・大倉山、大阪・富田林、10日は岡山・新庄市、20日は岡山市、岐阜・飛騨、23日は鹿児島・春日神社、奈良・生駒市、24日は栃木・日光……と続きます。上映会に参加された方が次は主催してくださるケースも多く、中には大地の再生ワークショップと連動して開いてくださるところもあります。こんなふうに草の根で広がっていくことを夢見ていたので、本当に嬉しいです。ありがとうございます。

本当は全ての上映会に伺いたいところですが、主催者さんが監督トークで呼んでくださる場合に伺っています。なぜ『杜人』を撮ったのか? から制作過程、公開後に各地域を訪れて感じたこと、いま起きている問題、そこから始まった新しいプロジェクトについて、などお話ししています。

大事にしているのは参加してくださった方からのご発言。個人、地域で抱えている問題、個人、地域でできること、社会全体で取り組んでいくべき課題、私たちが目指したい未来について一緒に話すのは何より貴重な時間です。

最近では、議員時代(生活者ネットワーク)の同期や現役議員さんが主催してくださることもあり、上映後のトークで森林管理署の署長さんや現場担当者の方、自治体の首長さんとご一緒することも。

私に話せることは限られているので、最前線で取り組んでいる方と並んでお話しするのは憚られるのですが、矢野さんが見ている世界、未来、他の地域の実践例を共有することで、具体的に問題解決につながる道筋が見えてくることを願っています。

1月、西東京での生活クラブ地域協議会主催の上映会。満席でした

生活者ネットワークの議員は交代制。市民のバトンをつなぐために駆け抜けます

高知県香美市の上映会。森林管理署の署長さん、市長さんも登壇

打ち上げも会の一部。物部川流域をどうしたらよくしていけるか、熱い議論が交わされました

2月25日にはデンソー有志グループSOLEIL&ARUKUKIさん主催の上映会に伺い、主催者さんの熱き志、参加者さんの真剣な眼差しに圧倒されました。

デンソーは世界的な自動車部品メーカーですが、持続可能な社会、地球のための社会変革を宣言しています。今回、社員さんの寄附からなる基金から上映会を開催してくださいました。参加者の半数以上は社員の方で、矢野さんがやっていることに興味を示し、賛同してくださったのは凄いことだと思いました。

「限界を高めていくと、それが限界を超えた時のダメージが大きくなるんですね。つまり、簡単に壊れるものは、ちょくちょく壊れるけれど、大きな災害にはならない。何があっても大丈夫、と作られたものほど、壊れたら大きな災害になる」

「そういった意味では、完璧なものではなく、低いレベルでの『ガス抜き弁』を追加するような設計思想が最も重要かも。それは、個々の人間でも、組織でも、社会でも同じ」

全く異なる分野の方からこうした言葉が出てくることの大事さ。東日本大震災後の「復興」は「何があっても大丈夫」の方向に舵を取られて、自然と人間との距離が大きく開いてしまいました。能登の復興はそうではない方向にいかないと、滞り、淀みは肥大化するばかり。ますます大きな災害につながる危険を孕んでいると思います。

バブル景気の時代も、移植ゴテとノコ鎌を持ち、泥だらけで大地の呼吸と循環を促し続け、いまも自転車操業で動き続けている矢野さんと、こうした時代の先端を行く企業の技術者(元技術者)の方が手を携えて「懐かしい未来」へシフトすることができれば……。希望の光が差してきます。

あたたかく、志は熱過ぎる実行委の皆さま。次なる展開を期待しています!

さて、『杜人』のつづきとも言える二小の桜の物語も、新たな展開を迎えています。伐採直前に矢野さんはじめ大地の再生ネットワークで奇跡的に救出した約40本の木々のうち、8割の木々は春に向けて芽吹きを始めています。でも、二小校庭に戻せる木は願うより少なく、いま引き取り先(里親)を探している最中です。

ありがたいことに、いま何人かの方に手を挙げていただいていますが、場所はあるし、是非引き取りたいけれど、費用面が……という方が多く、これからそこをどう超えていくか、話し合い、知恵を巡らしているところです。

昨年12月に設立した一般財団法人「杜の財団」とともに、「いのちの経済」へ社会全体でシフトしていく仕組みづくりに取り組んでいくことができたらと思います。

そして、「樹木も人も、同じいのち」と当たり前に思える社会になれば……。

そんな第一歩(?)とも言えるコンサートがこちら。

仮移植にかかった費用も赤字なのに、二小への本移植費用も賄わなければならず、さらに里親も探さなければならない〜つづく つながる〜くにたちみらいの杜プロジェクトを見るに見かねて立ち上がってくださった「応援する会」主催のイベントです。

カンパ集めと里親探しに全力で取り組んでくださって、そのあたたかさとまっすぐな姿勢に感動します。コンサートもきっとそんな時間になるはず。昨年の救出劇から猛暑を乗り越え、必死にいのちを繋いでいる桜たちの映像も上映します。

まだまだお伝えしたいことはあるのですが、また次に。

よき春をお迎えください。

 2024.2.26 前田せつ子

能登からの緊急メッセージ〜2024年の始まりに〜

新年の挨拶もためわれるような元日となった2024年、大地震及び事故で亡くなられた方々、御関係者の皆様に心よりお悔やみを申し上げます。そしていま、心身ともに辛く苦しい状況にあられる皆様に、一刻も早くひと息つけるあたたかい環境が整うことを心から祈ります。

1月13日には「土中環境」でお馴染みの高田宏臣さんの現地報告「令和6年能登半島地震 被災地調査報告と災害復旧を考える」がオンライン(地球守ラジオ)でありました。奇しくも1月1日、ご家族で七尾市滞在中に地震に遭われた高田さん。すぐに現地入りし、現在氷見市を拠点に支援活動を始めていらっしゃるとのこと。現地からの生々しい報告を聞くことができました。

「報道で聞くのと現地で直に人と触れ合って聞くのとでは全く違う。たとえば3000人が集落に取り残され孤立していると聞くと、都会の人は大変だ!と思ってしまうが、実はみんなそんなに困っていなかったりする。それが能登の良さ。たとえ断水してもどこに水源があるかをみんな知っているし、食べるものもある。助け合う地域の関係も育まれている」

「元日、自分自身が七尾市の海沿いのホテルで大きな揺れに襲われたとき、咄嗟の判断ができなかった。加湿器の水がこぼれたから拭かなくちゃ……など、どうでもいいことに意識が行く。息子に『お父さん、逃げなきゃ!!』と言われて我に返った。震災の記憶、津波の記憶を我が事として伝え続けていく大事さを痛感する」

「液状化とは泥水が噴き出してくること。もともと地盤が悪かったわけじゃない。人間が地面をガチガチに固め続けて、水が滞留する環境をつくってきてしまった。それが地震で崩壊につながった。観察して回ると、コンクリート杭を打ち込んだ建物は壊れていない。だが、同じ斜面の低いところにある家屋が液状化で崩れ、滑り落ちている」

「かつては地震や台風が来ても液状化しにくい環境を人間がつくっていた。鎌倉時代の水脈調査では地中3mにぐり石を入れて水の通り道をつくり、建物自体に負荷をかけない技術が見られる。だから何百年も持つ建物がつくれた。そういう叡智を取り戻されなければ! これから進む復興が誰のための、何のためのものなのか、しっかり考えていかなければ」

「地震の加速度は地面の中の滞水が原因。地面をただただ固めるやり方では、今度更なる地震が起きたとき、ますます酷い状況に見舞われるだろう。能登には小さな集落がたくさんあり、道路に亀裂が入ったらそこに小石を詰めて直す『道普請(みちぶしん)』が当たり前に行われていた。現在の建築が目指している方向は、部分的には良いとしても、こうした災害を引き起こす原因をつくってもいる。美しい再生、本当の豊かさ、安心とは何なのか。能登の良さを失わないように、ここから学んで良くしていければ!」

高田さんの現地報告には、能登が元々持っている自然の美しさ、ライフラインを失っても生活できる本来人間が持っている強さ、助け合う関係の豊かさへの想いが滲み出していて、国家が巨額を投下して一律に行う「復興」の危険性を強く警告するものでした。

急遽つくった呼びかけチラシだそうです

このイベントの動画は後日アップされる予定とのこと。どうかご注目ください。

人間の好奇心、探究心は両刃の剣。最初の発見者に悪気はなかったとしても、結果的に負の連鎖を生み出す原因となるものをつくってしまうことがあります。核(原子力)も然り。それに気づいても経済システムや国際的なパワーバランスの中で方向転換できないまま進んでいるのが今の世界であり、日本……。

発災直後、志賀原発についての情報はほとんど入ってきませんでした。「外部電源の喪失はあるものの、異常は計測されていない」と報道されたものの、後になって変圧器の油漏れや使用済み燃料貯蔵プールの冷却水が大量に飛散したことが明らかになっています。

1月18日には、「能登半島自身から問い直す原発稼働の危険性」と題する緊急オンラインシンポジウムが開催されました。そこで報告されたのは、志賀原発にあと3m高い津波が来ていれば東京電力福島第一原発と同じ状況になっていたかもしれない、という恐ろしい事実でした。再稼働を求める圧力が高まる中、未だ運転休止中であったことも、冷却水の温度の上昇を防ぐのに幸いしたそうです。

明らかになったのは、もしも原発事故が起きていたら、避難など全く不可能であったこと。まずは屋内退避が基本ですが、9割の家屋が倒壊した中でそれはできない。道路は寸断され、港は使えなくなる状況の中で屋外避難も不可能。避難計画は机上の空論に過ぎなかったという事実です。

ご存知の方も多いと思いますが、震度7に襲われた珠洲市には1975年に「珠洲原発計画」が浮上し、高屋地区と寺家地区に135万kWの原発がつくられる計画でした。住民の反対運動などによって2003年に奇跡の白紙撤回。もしも、ここに原発が誘致されていたら、過酷事故となっていたことは必至。

地震活動期に入った日本で、原発再稼働どころか新設など国家的犯罪だとすら思えます。

原子力市民委員会主催の貴重なシンポジウム。こちらで視聴可能です。

同日、NPO法人MAKE HAPPY理事の谷口保さんさんからの現地報告を一橋大学で聞くことができました。1日、鹿児島の実家に10年ぶりに帰省していた矢先の地震。荷物をまとめ、小さな車で水と食料を積めるだけ積み、3日には現地で支援活動を開始したという谷口さん(愛称:かごしマン)。

「災害車輌の渋滞につながるからと一般車輌が入ることを規制する声もありましたが、自衛隊は人命救助が最優先。役割が違うので、支援に慣れたボランティア団体が現地に入ることは必要です。通常は2時間で行ける距離が7~8時間かかる道路事情の中で、七尾市→穴水町→能登町→珠洲市を回りました。1月3日にはほぼ皆さん避難所にいらっしゃいました。ご高齢の方ばかり。通常は発災2~3日でパンやおにぎりを自衛隊が届けてくれるが今回は4~5日かかりました。行政職員もみんな被災者で役所の機能はストップ。それでも正月で食材を買い込んでいて、餅もあり、海鮮も冷凍庫にあったのは幸いでした」

「まだ一般のボランティアさんが入れる状況ではありません。それを、どうやって来てもらって、何をやってもらうか、考えて受け入れ体制を整えるのが僕たちの役割。ボランティア・ベース。早くて2月以降、本格的には3月以降。その時は特に若い人に、ある程度の期間来てほしいです。ニーズはどんどん変わっていきます。マッサージして話を聞くことも(話し相手が一番必要!)、お笑いや音楽などの娯楽も必要になってきます」

「トイレ事情は厳しかった。最初に求められたのは紙パンツ、簡易トイレ、消毒液。公共施設のトイレも水が流せないから使えない。今は仮設トイレが入りましたが、日頃水を貯めておくことは大事!」

「二次避難が始まっていますが、そこに支援が継続的に提供できるのか、心配です。長い目で見ていかないと」

「今は羽咋市を拠点に活動しています。避難所には段ボールベッドが届くのが遅く、床が寒くて眠れない人もいました。在宅避難者に必要な物資が届かない問題もあります(何々が足りない、より、大丈夫、と言ってしまう人が多かったり、真っ只中にいる人は『助けて』と言えない)。ボランティアの受け入れ体制が整ったら、一軒一軒ローラー的に回りたい。地域のつながりで生きている人が多いため、それを大事にした支援でないといけない。支援団体の横の連携も大事です」

「想定外という言葉は、もう使ってはいけない。助け合う心を思い出させるために天災は起こっているのかもしれない、と思うほど、人と人とのつながりが最後には威力を発揮します。行政や社協は、発災したらすぐに協議できるボランティア団体と平時に協定を結んでおくことが大事。そのためには、市民が『こういう場合、どうしたらいい?』と日頃から行政に質問し、キャッチボールしながら共に考えていかないと!」

「僕たちは活動18年目を迎えます。発足当初から継続している植林活動、2010年から始まった日本の森の活動(間伐)、2011年の東日本大震災からは災害復興支援活動、3つの活動が主軸。日本で一番多い災害はなんだと思いますか? 答えは水害。昨年床上浸水を経験した地域は47都道府県中28県。なぜか? 森に元気がないからです。日本の木材を使わないで50年やってきて、森が傷んでいる。鹿児島出身で『かごしマン』と呼ばれていますが、なぜいま石巻に住んでいるかというと、2011年石巻に支援に行ってそのまま住み着いたからです。森の防潮堤をつくる活動もしています。木があれば押し波のスピードを緩めることができるし、引き波の時、流された人も木に捕まって助かるかもしれない。一人ひとりがメディアになれる時代。『動けば変わる』が合言葉です」

MAKE HAPPYの活動についてはこちらをご覧ください。

「被災地支援に行くボランティアはお風呂に入れなくて当たり前。でも、みんなクサいからわからない(笑)。今は冬なので助かっています」と明るく笑う谷口さんは、一旦石巻に戻って、すぐにまた羽咋市に向かうそうです。

さて、矢野智徳さんは大地の再生ネットワークの北陸支部と連絡を取り、1月13日から被災地入り。大きく崩壊した家屋や亀裂の入った道路の周辺環境を観察・調査しながら、目の前の大地に空気と水の脈を通し、現地の方と直接やり取りしながら支援の体制づくりを考えているそうです。具体的な形が見えてきたら、改めてお知らせしますね。

『杜人』上映も3年目に入りました。明日21日には都内、神奈川で生活クラブが母体となった今年初の自主上映会があり、5月くらいまでお申し込みが入っています。息長く全国で草の根のように上映を続けていただき、本当にありがたい限りです。今年は新たなプロジェクトにも取り組んでいきます。

どうぞ皆さま、どんな状況にあっても、心も身体も自分も他者も、できるだけあたたかく過ごせる工夫をしてお過ごしください。今年もよろしくお願いいたします。

 2024年1月20日 リンカランフィルムズ 前田せつ子

南フランスでの上映、無事に終わりました!

ひとりの想いが現実をつくる。

その想いが「持続する志」である限り。

別の言葉でいえば、消えることのない情熱だ。

島内アゾラン咲子さんからこのサイトの問い合わせ欄からご連絡をいただいたのは去年の7月のこと。南フランスのオクシタニー州に住んでいらして、『杜人』を見つけて上映したいと名乗り出てくださったのでした。

本編もまだご覧になっていないのにその情熱に火を灯してくださり、フランス語字幕も自ら引き受けてくださって、映画配給の申請(フランスではこれがとても面倒!)にもチャレンジ。映画館にも個別に交渉をして、『LA QUINZAINE DU JAPON EN OCCITANIE(オクシタニーの日本2週間)』という企画の中で4つの映画館に各1回ずつの上映を決めてくださいました。

和紙に印刷した貴重なポスターも作ってくださいました!
11/19初日、Albiという古都での上映会はみんなで記念撮影を!
11/22アレスという地方都市の「地球座」という名のシネコンで。宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』は
『LE GARCON ET LE HERON(少年と鷺)』というタイトルで公開中
フランスでも大ヒット中らしい。フランスで日本のアニメは大人気。それがきっかけで日本大好きになってくださる方も!
普通のシネコンに果たしてお客様は入ってくださるのか? 上映開始2分前までゼロだったことは忘れられません!
11/23、クレルモンレローでの上映はフランス全土で活動する環境団体の協力を得て良質な映画を提供することで有名な「CINE RENCONTRE」で
ああ、フランス語がわかれば、他の作品も観たかった
11/24ペズナスの古い大きな映画館で最終上映。一番多くのお客様が入ってくださいました

この間のことはMotion Gallery「杜人」プロジェクトのアップデート4243に載せたので、どうぞご覧くださいね。

日本に帰ってきて改めて思うのは、『杜人』に宿る見えない力のこと。雨が少なく岩だらけで一年中乾燥している南フランスは、風土も気候も日本とは随分異なります。もちろん、言語も、文化も、価値観も。それなのに、多くの方が「とても心を揺さぶられた」「感動した」「目に見えないものを感じるムッシュウ矢野の視点はもっと世界に発信されるべき」「やはり風が大切だとわかった。多くの学びと驚きに満ちていた」……と感想を述べてくださったこと。「大きな仕事をしてくれて、本当にありがとう」と仰ってくださった方も。中には「日本に行って講座を受ける」「早速自分の庭で実践してみる」と宣言された方もありました。

最終上映のペズナスで、深く感動したと声をかけてくださった女性
立派な庭をお持ちで、「早速ムッシュウ矢野に倣ってやってみるわ」と

「違い」を超えて「通じるもの」。世界共通の何かが映画の底辺に宿り、それぞれのお客様の感性に響くものがあったことは、人間という生きものへの信頼につながる体験でした。

 上映後のトークは事前に日本語で書いたものを咲子さんに訳してもらって、咲子さんのパートナーのフレッドに発音を特訓してもらって挑みました。フランス語の長文を読むのは学生時代の第二外国語の授業以来でなんと40年ぶり! 読むだけならなんとかなるだろう……という考えが甘過ぎたことは行ってから実感したことでした。いわゆる挨拶だけならともかく、ある程度の内容を伝える文章を読むのは何回練習しても言葉が口に馴染まない!

 到着した翌日から毎晩練習したものの、なんとか伝わったかなと思えたのは最終日。もっと勉強して、いつかリベンジしたいものです。ちなみに、冒頭は「ベルサイユのばら」。バスティーユへと蜂起する市民に銃を向けることができず、フランス衛兵隊長の徽章をもぎ取り「人間は髪の毛一本までも自由なのだ!」と叫んだオスカルに心を射抜かれたところから始まる長い挨拶をしたのでした。私にとって矢野さんは、人間という徽章をもぎ取り、虫たちの側に立つ戦士なので。

滞在先(サラスク村)の大家さん、ブノワ。自然なものに惹かれ、島根で修行して和紙職人に。佇まいは静かで日本語も上手で働き者
お料理も上手い
お喋り好きなガールズが焼いた手作りのデザート(タルト・オ・ポンム)も美味しかった。彼女たちは島根で「石見神楽」を何度も観ている強者。コレクションは「ふりかけ」
見渡す限りの葡萄畑。このあたりは美味しい白ワインの生産地
街路樹はプラタナス!
どこもかしこもプラタナス(フランスではプラタン。材木としても使うそうだ)
マツも多い
日本とは随分違う形
山は岩だらけ
高速道路の側面はこんな感じ

ほとんど観光らしい観光はしない旅でしたが、咲子さんのおかげでさまざまな方に出逢い、家庭での食事に同席させていただき、サラスクという観光ではまず訪れない村に滞在し、そして、たくさんの動物たち(世界中どこに行っても変わらない!)に逢えたことは、忘れ得ぬ宝物になりました。

咲子さんちの愛犬プルヌと愛猫メイ。プルヌは日本から連れてきた
グラフィック・デザイナーでMORIBITOの宣伝を手伝ってくれたフローラン。愛犬フロコンとフィッシュマンズや園子温が大好き
仏語字幕を手伝ってくれたジュリーのところにやってきた仔猫、フュードルはずっとフロコンを追い回していた
ブノワの家のシキ(四季)はお父さんが秋田犬
その名も「スミエ(墨絵)」は裏庭の竹林に住む
地中海に面した古い漁師町、セートで見つけた猫マンション(!)
面白い漁師町だった
世界で最も美しい村の一つ、サン・ギレーム・レ・デセールに暮らす猫
その子の友猫
1855年に植えたというプラタナスは168歳! 旅の途中に見た一番大きな樹だった
夏は観光客で賑わう広場の真ん中に

フランス国内で映画を配給する資格を取得した咲子さんは、『MORIBITO』はもちろんのこと、これから日本の映画を中心に配給にチャレンジしていくそうです。頑張れ、咲子さん!

咲子さん(右から2番目)も23日と24日に通訳を引き受けてくれためいこさん(一番左)も、背筋を伸ばしてフランスで生きていく

さて、フランス行きですっかりご報告が遅れましたが、11月11日には1年かけて茨城県内に「点穴」をあけるように開催してくださった連続上映会のファイナルに行ってきました。なんと12回に及ぶ上映会を中心となって開催してくださったのは梅津順次さん。昨年11月の鬼石(群馬県)での上映会でお会いしたとき、47都道府県の中で茨城だけ未だ上映がないことを告げると、連続上映会を決意、実行してくださったのでした。

13:30〜1回目の上映は高源寺さんで
なんとこのお寺には「地蔵けやき」と呼ばれる樹齢1600年の欅が!

主催は「畑からつながるコミュニティ」の綱島さんご夫妻。コロナ禍で子どもも大人も自由に遊べ、学べ、自然とつながる場所として「大地の再生」の手法で竹林整備、水脈通しを行ったという場所には、心地よい風が吹き、生き生きとした空間が形成されていました。

ここには竹が繁茂し、歩くこともできなかったとか

畑で採れたさつまいもとマコモダケで夜の部の仕込みを。いただいたかき揚げ、美味しかった!
定期的に通って環境再生・整備を実践・指導されている小松学さんとコミュニティを主催する綱島さん
パワー溢れる実行委の皆様、お世話になりました!
いただいたお弁当、とてもおいしかったです
観に来てくださった皆様と
夜の部は整備した竹林で野外上映会
懐かしくあたたかい風景でした

どんな場所に行っても、感じるのは「結(ゆい)」。人間は共感することを喜ぶ動物と聞いたことがありますが、会話などなくても、そこに「いのちの共振」があれば通じ合える。

ご報告が長くなりました。今日から12月。斜めに長く射し込む冬の光は、また新たな年へと繋がっていきます。

どうぞあたたかくして、2023年の締めくくりを豊かにお過ごしくださいね。

 2023.12.1 前田せつ子

矢野さんの生まれ故郷を経て「杜人」の旅は南フランスへ!

随分また間が空いてしまいました。この間の「杜人」の旅を一気に振り返りたいと思います。

歴史が円環を描いてこの場所に

 10月13〜15日、矢野さんが生まれ育った植物園「四季の丘」、現在は北九州市立白野江植物公園で、東田シネマさんと園の共催の上映会が開かれました。こんな日が来るなんて、撮影中は思ってもみなかった。そもそも映画として完成するかどうかも全くわからなかったので。

アサギマダラが飛ぶ季節に

この植物園が北九州市立になる過程にはいろいろあったようで、矢野さんにとってはさまざまな想いが込み上げてくる場所でもあったと思います。物心ついた時から植物園で働くという環境も、想像もできない苦労がたくさんあったことでしょう。同時に、三つの海流がぶつかり渦を巻くこの土地のエネルギーさながら、眩しいくらいの喜びに満ちた日々でもあったことが、矢野さんの言葉、表情の端々から溢れてくる時間でした。

サプライズで登場。20分くらいのトークはやはり植物の凄さを語ったものでした
十人兄弟の末娘の多恵子さん(写真左)、矢野智徳さん、大地の再生技術研究所の岩田彦乃さん。ここは訪れるお客様を迎える場だった
上映会を主催してくださった植物園の方(写真左)と東田シネマの増永研一さん。貴重な時間をありがとうございます

この日は夕方から中学・高校時代の同級生の方が主催、老松公園の緑を守る会さん協力の矢野さんの講演会が開かれることになっており、講演会の前に老松公園を見にいくことに。

高校生の矢野さんが何度も訪れた老松公園

園内に図書館やホールを併設した歴史ある公園ですが、木が育って高木になったことで住民から「鬱蒼として暗い」「防犯上問題がある」「落ち葉の掃除が大変」という声もあり、いま半分以上の木を伐採して整備する計画が浮上しているそうで、そのことを疑問を抱く市民グループから矢野さんに「見てほしい」と要請があったのでした。

毎日新聞の記者さんが取材に

驚いたのは公園にある木々の多様さ。日本古来の木々からシュロ、モクマオウなど熱帯・亜熱帯に自生する木々が植物園のように迎えてくれました。

マツに似たモクマオウ

「ここは九州の玄関口。多種多様な樹木がここの大地を含む環境を守っているんです。伐採してしまうなんて愚かなこと。これを活かす手立てを考えるべき」と矢野さん。この時の記事はこちらに。

その後の講演会は、昭和6年に建てられた料亭で門司港の繁栄を物語る三宜楼で。

お城のような石積みの木造建築

一度は解体されそうになった建物を市民が寄付を集めて支え、市が耐震工事等の費用を出して、いまは観光スポットになっている場所で、矢野さんは老松公園の樹木の大切さ、大地の呼吸と脈の意味、植物の環境機能、私たちがすべきことを2時間にわたって語りました。その間、80名もの方がずっと集中力を途切れさせずに聴いていらしたのが印象的でした。

再建不可能な見事な造り。定員80名は1週間で満員御礼になったそうです
矢野さんの中・高校時代の同級生の方、老松公園の緑を守る会の方々が中心となって
古い映画の中に入り込んだようだった

15日に大牟田のお寺(法明寺)の見立てを挟んで、16日には植物公園の隣地、矢野家の敷地の環境改善作業。その前に「めかりを観に行きませんか?」と矢野さん。

下関を対岸に観る関門海峡を前にしたこの場所は、海流がぶつかって渦を巻き、わかめがよく採れることからこの名が付いたそう。「和布刈神社(めかり神社)」に立ち寄って、その「渦」を観ました。

橋を渡れば山口県

後から知ったのですが、ここは潮の満ち引きを司り、新たな道へと導く「瀬織津姫(せおりつひめ)」を祀る神社。大急ぎでお参りしてよかった、と思いました。

矢野家の敷地で行われる講座にはすでに受講者の方が集まられていて、半分以上は初参加の方。「杜人」にも入れた2020年3月にこの地を訪れたときの矢野さんの言葉、「いつか緑に還れる日も来る」が現実になる日が来るかもしれないと思えた貴重な日でした。

夢を現実に変えるのは、手足と五感を使った地道な作業の積み重ねと強い意志
「おかえり」と言っているように思えた

さて、時は前後しますが、この間に開かれた上映会をご報告します。

9月30日、くりはら万葉祭で。雨天のため公式には中止でしたが、石巻から観に来てくださった方も!
暗闇に立ち昇る炎の中に巨大な縄文土器風のオブジェはこの地の土で直前まで製作されていたもの
 子ども神楽、素晴らしかった!
10月21日、高槻での上映会はここで
結婚パーティーにも使われる森のレストラン。主催は大地の再生関西支部のサニーさん、リリーさん
大地のたむたむ支部の松下泰子さん(写真左)と、さがひろかさん@hyperelax
熱い会でした!
浦堂認定こども園チーム!
観て、食べて、歌って、踊って。人間は生きもの!
10月22日、浅草でのアットホームな上映会!
隅田川。川面の光は真珠のよう

さて、11月11日には、全国47都道府県の中で唯一上映がなかった茨城に「点穴」をあけるように1年がかりで上映会を企画・実施してくださった梅津順次さんのファイナルに行ってきます。

詳細はfbページをご参照ください。申し込みフォームはこちら

その後は、南フランスへ行ってきます。

11/19、11/22、11/23、11/24に映画館での上映が決まりました!

詳しくはWebサイトfbページをご覧ください。

初めての海外遠征。南仏は夏は40℃近い日が続き、小さな滝は涸れてしまったそう。今は東京よりも気温が低いそうで、基本的には乾燥した気候で、日本とはずいぶん違うはず。それでもきっと、届くものはあると信じています。

フランスでの上映が実現したのは、ひとえに島内アゾラン咲子さん、在仏十数年の日本人女性の意志と情熱と勇気のおかげ。

自ら名乗り出て、フランス語字幕まで付けてくださって、さらにはさまざま面倒な手続きを乗り越えてフランス国内の配給権まで獲得してくださいました。

「杜人」がつないでくれるミラクルなLingkaran。その先の風景を観に、行ってきます。

   2023.11.8 前田せつ子

大分の日田から福岡、そして函館へ。忘れがたい旅を終えて

9月も半ばを過ぎましたが、まだまだ日中の暑さが収まりません。それでも、朝夕の風、虫の鳴き声は秋の到来を知らせてくれます。

さて、8月15日『ホピの予言』オンライン上映会、157名の方にご視聴いただきました。改めて御礼申し上げます。ありがとうございます!

初めてご覧になった方も多く、「今こそ観るべき映画!」「衝撃を受けた」とたくさんのご感想をいただきました。

北米大陸の大地で「ホピ」=「平和の民」は、「母なる大地を傷つけてはならない。最低限必要なものだけをそこから収穫する」という教えを守り、「生きとし生けるもの全ての調和と均衡を大切にする」暮らしを送ってきました。とうもろこしを主食に、牛、馬、羊の放牧と織物をし、ナバホと大地を共有しながら永く生きてきました。

新たな移住者によって強制移住を強いられた砂漠の土地がビッグ・マウンテン。そここそがウラニウムの眠る土地で、その採掘に従事することになった彼らは被曝し、そこから掘り起こされたウランが広島に落とされることになりました。

「鉱物資源は母なる大地の内臓。地球も生きていくのに内臓が必要。決して掘り起こしてはならない」

どんなに略奪され、蹂躙され、虐げられてもなお、その地から大地と平和のために祈りを捧げ続けてきたホピに長く伝わる教えは、現在の地球環境をも予言していました。

「宇宙のバランスを崩すと、地震、洪水、激しい嵐が我々を襲うだろう。季節の激しい変化、火山の爆発、稲妻。そして第三次世界大戦が起これば、我々のうち何人も生き残れなくなるだろう」

私たちの歩むべき道を示すように予言は続きます。

「木々も果実も花も鳥も守らなければならない。なぜなら、それは私たちの一部だから」

1986年、宮田雪監督が私財を投じ、命懸けで撮られたドキュメンタリー『ホピの予言』。現実世界が進んでいる方向の危なさに打ちのめされながらも、自身の生き方を見つめ直す時間になりました。

さて、8月19日には、大分県日田市にある「小さくて自由な映画館」日田シネマテークリベルテに行ってきました。

昨年の8月、家族の急病でトークの予定を急遽キャンセルせざるを得なかったのですが、オーナーの原茂樹さんから「リベンジで是非!」とお声かけいただき、2週間のアンコール上映の初日に伺いました。

ボウリング場併設というところは大阪の第七藝術劇場を思い出させ、それだけでも気持ちは高揚。入ってみると、カフェにオリジナル・グッズがひしめくショップ、写真展もあり、まさに「文化の発信基地」!

原さんがナビゲーターを務めてくださるトークはなんと1時間半にも及び、「ぶどう園物語-ザ・スターリンになれなかった男」を上梓されたばかりのツージーQさんもいらしてくださって、とても熱く、貴重な時間になりました。

日田と言えば「進撃の巨人」の諫山創さんが生まれ育った場所、山々に囲まれた盆地、というイメージが先行していたのですが、原さんにあちこち案内していただいてわかったのは、数々の歴史の舞台となった神がかった土地だということでした。

日田のソウル・フードと呼ばれているらしい「賽屋本店」のチャンポンはボリューム満点で懐かしい味! 道の駅には「進撃の巨人ミュージアム」、駅前にはリヴァイ兵長の銅像もあって、一度では消化しきれない奥深さを感じました。

さらに、トーク翌日、博多へのバスに乗る前に原さんが連れていってくださったところ、そこは……。

中村哲医師がアフガニスタンの地で水路を引く時に実際に訪れ、その技術を真似たという山田堰。大きなシロサギが魚を求めて何羽も集まり、近くには巨大な楠木があって、何度もの旱ばつ、飢饉に苦しみながらも知恵を絞って自然と共に生きてきたこの地域の力強さを感じる場所でした。

さて、その足で福岡へ。福岡市には各学区に人権尊重推進協議会があるそうで、西高宮校区主催の上映会に呼んでいただきました。

ここで教えていただいたのが「桧原桜」の物語。

昭和59年、福岡市南区の桧原にある樹齢50年のソメイヨシノ9本が道路の拡幅工事で伐採されることになり、1本が伐られた翌朝、一人の住民が桜に歌を下げたとか。

「花あわれ せめてあと二旬(にじゅん) ついの開花をゆるし給え」

この短歌が話題となり、数多の歌が桜に吊り下げられ、その中にこんな返歌があったそうです。

「桜花(はな)惜しむ 大和心(やまとごころ)のうるわしや とわに匂わん 花の心は」

それがのちに福岡市長の歌だったことがわかり、道路拡幅計画は一部変更され、なんと8本の桜がいのちを永らえることになったそうです! いまこそ、そういう首長の気概が望まれるところです。

9月に入ってからはここへ。さあ、この人物は誰でしょう。答え:石川啄木。北海道は函館に行ってきました。

呼んでくださったのは、函館映画鑑賞協会。1980年11月にテオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』の上映を皮切りに、「函館に岩波ホールを!」と『木靴の樹』『ベニスに死す』『生きる』『泥の河』『阿賀に生きる』など数々の名画を上映され続けてきた市民団体で、過去には手塚治虫監督、宮崎駿監督も呼ばれたそうです。正直、気後れするというか、申し訳ないような気持ちでしたが、映画文化を愛する皆さんの熱い想い、持続する志に触れて、強い力をいただきました。

空港への送り迎えから、ホテル、食事まで、行き届いたお心遣いとその笑顔に、別れがたい想いで帰ってきました。

今回は年に一度の、非会員の方も参加可能な特別例会でしたが、基本的には年に6回、会員向けの例会(上映会)を開いていらっしゃいます。映画を観終わった後、「感想会」と名付けて感想をシェアする時間を設けていらっしゃるのもとてもいいと思いました。函館近郊の方、お勧めします(hakodate-eikann★ncv.jp *★を@に変えて送信してください)。

啄木小公園から眺める海の向こうには青森県。よく見ると白い建物が。東日本大震災で一旦ストップしたものの、建設が進み、稼働間近の大間原発でした。

「一旦事故が起きたら、遮るものが何もない。函館市は市として反対しているんです」

美しい風景の先には必ずと言っていいほど人の欲がある。

「杜人」が見せてくれる風景、出逢わせてくれる人々、かけがえのないその縁を、大事に育てていきたいと思います。

 2023.9.19 前田せつ子

『ホピの予言』オンライン上映会、8月15日に開催!

台風6号に伴う土砂災害、水害に遭われたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。

猛暑に豪雨。人間の開発によって蓄積された地球の「脈」の詰まりが、気候変動というより気候危機となって人間に襲いかかっているようです。

私たちはどう生きるのか。

宮﨑駿監督の最新作は、これまでの作品の集大成とも思える強い力で、私たちに問いかけているようです。

猛暑は樹木のありがたさを思い知らせてくれる。国立・大学通りの両脇にある銀杏と桜、実生の木々の緑地帯にどれほど救われるか

さて、〜つづく つながる〜くにたちみらいの杜プロジェクトのクラウドファンディング「樹木(いのち)の緊急避難プロジェクト」は、7月12日、目標額の123%を達成して終了しました。

スタートダッシュからラストスパートにいただいた畳み掛けるような応援(なんと、必死に救出作業をしてくださった職人さんまでが!)の渦に、プロジェクト・メンバー一同どれほど励まされ、勇気と希望をいただいたかしれません。

改めて、心より御礼申し上げます。

8月10日現在、仮移植した木々は互いにスクラムを組んで過酷な環境を耐えてくれています。

大きく剪定した枝の先端から新しい芽が!
既存の桜と支え合うようにして呼吸を繋いでいます
最後に救出された桜、元気です!

ここに仮移植されている木々は35本。多くが桜で、モミジやイスノキ、ヒマラヤスギもいます。でも、まだ本移植先は決まっておらず、仮移植にかかった費用もまだまだ足りていません。

そんな状況を見かねて、大地の再生活動に深く共鳴されているランド・アンド・ライフ(辰巳玲子さん主宰)が、このプロジェクトをはじめとする三団体のチャリティー・オンライン上映会を企画してくださいました。

上映してくださる映画は『ホピの予言』。辰巳玲子さんの言葉を引用します。

「地中の鉱物、天然ガス、地下水はMotherEarthの内臓。ことにウランは消して掘り出してはならなかったのです。

矢野さんは『杜人』の中で、『単純に、皆さんの体で考えて頂ければ、呼吸と血管、空気と血液という循環ですね。これが体の中を巡っているのと同じように、地球上の大地そのものが、大気と水の動き、これが地球全体で体のように循環しているということ』とインディアンと同じことを話されています。

バランスを保つこととは、宇宙の真理とともに在ることです。それが平和の有り様なのだと。平和を創る〜様々なアプローチ、歩み方があります。小さいかもしれませんが、その交流の場となることを願っています」

『ホピの予言』は「ムーミン」や「あしたのジョー」、「ルパン三世」(TV第一シリーズ!)、そして「探偵物語」(松田優作)など名だたるTV作品を手がけた脚本家、宮田雪さんがアメリカ先住民の「ホピ=平和の民」と出会ったことをきっかけに、私財を投じて撮られた渾身のドキュメンタリー。

1986年、まさにチェルノブイリ事故が起きた年に公開されました。当時はフィルムしかない時代。資金的にも労力的にも、どれほど大変だったか想像も及びません。

それでも、文字を持たない彼らが石板に刻んだ絵、口で伝え継いできた大切な教えを、絶対に世界へ、次なる世代へと伝え継がなくてはいけないという想いでつくり上げた『ホピの予言』

ここには、宮﨑駿監督に通底する地球と人類への祈りが脈打っています。

ご覧になったことがある方も、初めてご覧になる方も、是非、いま、「ホピの予言」の意味を、私たちが生きていく方向を、一緒に考え、見据える機会になることを強く願っています。

是非、下記のリンクをご覧ください。私もトーク・ゲストの一員として参加させていただきます。

平和を創る〜『ホピの予言』上映会

8月15日、終戦の日が、永遠にその日であることを願って。

 2023.8.11 前田せつ子

あと5日!「息をしている限りあきらめない」樹木(いのち)の緊急避難プロジェクト!

豪雨と猛暑が交互にやってきて、体調も崩れやすい時期、みなさま、お元気に過ごされていることを祈ります。

さて、前回ご報告した浦堂認定こども園みんなの庭プロジェクト〜「大地の再生」とともに〜は、みなさまの応援、ご支援のおかげで、無事目標額を達成しました! 心より感謝申し上げます。

秋には、第2弾となる園庭の環境改善作業が行われることが決まったそうです。大阪府高槻市の駅から近く。コンクリートに囲まれた敷地に「森=杜」ができ、大地が呼吸し、生きものが息づく園庭で、木漏れ日の中、子どもたちが遊べ回る風景を心に描き、ワクワクしています。

さて、国立第二小学校の校庭で校舎の改築に伴い伐採が決まった樹木100本のいのちをなんとか繋ごうと急遽発足した〜つづく つながる〜くにたちみらいの杜プロジェクトのクラウドファンディングも大詰めを迎えています。

キービジュアルを一新し、メイン動画をアップしましたので、ご覧いただければ嬉しいです。

音楽は『杜人』と同じ、山口洋さん(HEATWAVE)。凄まじいエネルギーが渦巻く怒濤の4日間を3分半に凝縮するのに、音楽は何より強い力を発揮してくれました。少しでも奇跡の「結」を感じていただければ幸いです。

この映像は、『杜人第二章』に繋がっていくもの。結末が見えない物語ですが、ともに見守り、できれば伴走してしていただけると嬉しいです。ちなみに、昨日の物語はこちらのアップデート記事を是非、お読みください。

単純に痛々しい姿と見るのか、いのちが必死で息をしている姿と見るか。いつの間にか広がった芝生も応援しているようです

さて、『杜人』の海外進出も少しずつ現実になってきています。フランス在住の方が、フランス語字幕を付けることをかって出てくださって、現在、映画館にも交渉を始めてくださっています。

こちらが予告編。

秋には南フランスの小さな映画館で上映していただけることがほぼ決まりました。南フランス。風景は全く違うものでしょうが、同じ人間として、生きものとして、届くものがあることを信じて。

『杜人』の物語、まだまだ続いていきます。

 2023.7.8 前田せつ子

「みんなの庭」に行ってきました!

以前から、水はけが悪い園庭を改善している話を「やっちゃん」こと松下泰子さん(大地の再生たむたむ支部)から聞いていました。

コンクリートに囲まれた街の中心部にあり、植物も育たず、雨の日は水たまりだらけになってしまう子どもたちの庭。

いきなり重機が入るのをためらう園長先生らの想いもあって、まずは手作業を2年近く進めてきたけれど、根本的な改善にはやはり重機も入れた作業が必要。

その費用を賄うためにクラウド•ファンディング(CF)への挑戦を考えていると。

折しも、先の投稿でお伝えした「樹木(いのち)の緊急避難プロジェクト」から1週間後、浦堂認定こども園 みんなの庭プロジェクト〜「大地の再生」とともに〜がスタート。重なるように「公益」、とくに「子どもたちの未来」のためのプロジェクトが二つ、同時期に始まることになりました。

当初、二つを同時にアナウンスすることには少なからず抵抗がありました。貴重なご支援を、あっちもこっちも、と呼びかけることが憚られたからです。でも、実際に園を訪れて、迷いが消えました。どちらもそこに私益はなく、自分を勘定に入れない「いのち」そのものへの想いを、具体的なお金というカタチに載せていただくことを願うもの。そんな「いのちの循環」を促す経済が生まれることを願うプロジェクトが成功することが、多くのひとりを励まし、未来に希望をともすと感じたからです。

屋上から見ると流線形の水脈がくっきりと

5月28日、大阪の高槻市にある浦堂認定こども園を訪れると、やっちゃん率いる大地の再生たむたむ支部のメンバーと多くのボランティアさん、そして、小さなユンボに乗って水脈を掘っている矢野智徳さんの姿がありました。

これは整地作業

日本全国(たぶん、海外でも)どこへ行ってもやることは同じ。水脈を掘り、点穴をあけ、炭と竹(コルゲート管)、枝葉とチップ、粗腐葉土などの有機材で、大地がラクに呼吸できる環境を取り戻すこと。

詰まりやすい現場で水脈を確保・維持するのに必要なコルゲート管

その園庭でも同じことが行われていましたが、園長の濱崎心子さんらにとっては、園庭を重機が動き回るのは初めての経験。保護者の方への説明含め心配事はさまざまあったと思います。でも、これまでの手作業で少しずつよくなってきているのを体感していること、矢野さんの見立てで治療が必要な理由が腑に落ちていることから、どんな要請もどーんと受け止め、柔軟に対応されていました。

作業は参加者同士の息が合うことが何より大切

この園が保育で大事にしているものと、「大地の再生」が大事にしているものとが一致していることも大きいのでしょう。

子どもたちは、こんなに遊んでばかりでいいの?というくらい毎日遊ぶそうです
卒園する子からのプレゼント
気がつくと近所の子どもたちがやってきて作業のそばで遊び始めていました

1日目の作業を見ることはできませんでしたが、職人さんよりも素人のほうが多い2日間の作業を終えて、矢野さんは言いました。

「腕のいい職人さんだけが集まってもこの作業は終わらなかった。2日間で園全体の『脈』が通ったのは、初めての人含めてごちゃ混ぜの、このメンバーだったから。凄いことが起こったんです」

一日の作業を終えた後は必ずそれぞれの想いをシェアし、深める
保育の先生方も参加されていました

見渡せば、本当にバラバラ。こういう作業は初めてという保育士さんから、千葉から大地の再生を体験したくて飛んできた女性、友人に連れてこられた方、建築士さん……。造園技師の方はごく少数。

現場をまとめたやっちゃんは、元小学校教諭。子どもが生まれ、大地の再生に出会い、子育てと一緒だと感じて赤ちゃんをおぶって講座に参加し、いまはそれが本職に。

「こどもに関わる現場、こどもが育つ場をずっとやりたかった。心子先生の『こどもが真ん中』の保育方針に出会ったとき、ここだと思った。この現場はこれまでの、いや、私の人生の集大成」

やっちゃんが責任を持って仕上げた通常のインターロッキングとは全く違う、あえてきちんと並べない、固めない、直線のない、それでいて子どもが怪我をしない仕上げ。駐車場だったスペースが園庭+(使われていなかった)レンガの道に生まれ変わった

作業中はさまざまドラマティックなシーンが展開されるのに、終わってみれば「なんとなく」しかその形跡は残っていない。でも、確実にそこを流れる風は変わっていて、足の裏に触れる感触はやわらかく、気のせいか木々が喜んで葉を伸ばしているように見えるのが大地の再生。

翌日は朝から雨。行ってみると、昨日とは全く違う風景がそこにありました。

園庭って、こどもがいてこそなんだ!と改めて思いました

嬉々としてユンボに群がる大勢のこどもたち。

レンガを割ったり、敷いたりする作業を手伝う女の子。

園庭の隅っこで、ダンゴムシを手に象の鼻のようなコルゲート管をじっと見つめる男の子。

大人たちは「なんか、変わりましたね」「森になった気がする」「広くなりましたか?」。

雨が降り出しても中に入ろうともせずカッパを着て遊び続けるこどもたちを見て、保育士さんも「なんだか、いつもより元気に遊んでいますね」。

足元に水たまりも泥水もない雨の園庭。

雨の中、散歩に行きたい子は行って、残りたい子は残って。外で遊んでも、中で遊んでも、その子の自由。

レンガの作業を手伝い続ける女の子

午後には、輪になって、園の保育士さんらが一堂に集って、この2日間のシェアが行われました。濱崎心子園長先生曰く、

「矢野さんは言います。雨風にならう。大地に聞く。道具に聞く。自分の思い込みを外して、その場に聞く。そうすると、その場が教えてくれる、と。私たちがやっている保育と一緒だと思いました。そして、矢野さんはごみを出さない。コンクリートのガラも全部その場に返して、持ち出さない。考えてみたら、ごみを出すって、排除することと同じなんですよね」

一番難しいのが整地作業。一つ一つの言葉が一人ひとりに落ちていく
こどもたちの場所だからこそ、こどもたちの目線に立った仕上げが求められる

遊ぶこどもがいてこそ生きる庭。勝手に生えてきたというたくさんのナンキンハゼも、ビワもアンズもジューンベリーも桜も、とても嬉しそうに見えました。

秋には見事な紅葉を見せてくれるナンキンハゼ

CF「浦堂認定こども園 みんなの庭プロジェクト~『大地の再生』とともに~」は6月末までの募集です。

園児が外に出てしまうからフェンスを、と言われ、泰子さんが考えた竹の柵
園児と同じおいしい給食をいただく大地の再生メンバーと心子園長

「いのちをあきらめない」ことの重さと辛さ

この1カ月間に起こったことを、どこからどう伝えればいいのでしょう。

埼玉県本庄市の小学校の、一本の欅から始まった「杜人」第二章とも言える物語。

長いのですが、ここに記したのでお読みいただければ幸いです。

「息をしている限り あきらめない」樹木(いのち)の緊急避難プロジェクト

こんなに毎日、何かに追われているように緊迫した日々を送るのは、『杜人』公開前以来。いえ、それ以上かもしれないくらい、激流の上の丸太の橋を急いで渡らなければならない日々でした。

いくつもの開かない扉を叩き続け、かろうじて開いた隙間から入らせてもらい、交渉に交渉を重ね、無理に無理を重ねて市教委と協定も結んで許された樹木(いのち)の緊急避難。

GWの4日間に救出された木々は伐採が決まっていた43本中40本。

まさか、こんなにたくさんの木々を避難させることができるなんて思ってもみませんでした。最終日を迎えた朝には、まだ18本、掘り取られていない木が残っていましたから。

最終日の朝、「今日は打ち上げの食事会だから」と家を出る私に、娘が言いました。

「全部救えるといいね。じゃないと、打ち上げも悲しいもんね」

「そうだね」と答えながら、私は全部の救出は無理だろうと思っていました。

そもそも、与えられた期間は4日間。教育委員会と上限を設けず「可能な限り」と協定を結んだものの、教育委員会も全部を掘り取り、仮移植させるなんて想像もしていなかったと思います。

それができたのは、直前の呼びかけにかかわらず、GWを返上して、あるいは既に入っていた予定を変更して駆けつけてくださった大地の再生メンバーのおかげです。

総勢50〜70名/日 の職人さんやボランティア•スタッフさんが国立第二小学校に集結してくださり、奇跡の緊急避難が実現したのでした。

その様子はメディアでも報道されました。

TBS

学校建て替えで桜など100本の伐採計画に「待った」 緊急避難させる協定を結び校舎の端へ仮移植

東京新聞

国立の学び舎、木々40本残った 桜並木やキンモクセイなど 伐採計画に有志ら動く

朝日新聞

伐採寸前だった校庭の桜並木守りたくて 市に直談判、GWの突貫作業

asacoco

桜 空を飛ぶ

報道されたのはGW中の大救出作戦の様子。大型の重機とたくさんの人が動くクライマックスとも言えるシーンですが、物語はここで終わるわけではありません。

冒頭に記した通り、かかった費用は全額市民持ち。クラウドファンディングや顔の見える方からの寄付で賄うことになります。

それ以上に、仮移植した樹木のいのちをつなげていく、という大きな使命がのしかかっています。

救出できなかった3本の木についてはすぐに伐採はないことを確認し、打ち上げはすっきりした気持ちでできたものの、連休明けの水曜日、残せるかもしれないから移植しないでくれと言われていた木々の伐採が迫っていることを告げられました。そして、残していった3本も。その経過はこちらに。

樹木(いのち)の緊急避難•続編!

大事な予定が入っていたのにそれをキャンセルして5月13日、国立に来てくださった矢野さんはじめ、2日前(!)の呼びかけに応えてくださった16名もの職人さん。

中でも予定外だったヒマラヤスギの救出作業は「いのちを最後まであきらめない」凄まじい執念と気迫が実現させたものでした。

小さな重機で根回りを掘る
ロープを繋いで引き倒した!

最後に、残ってしまった桜が一本。飼育小屋の奥で、場所的に他から離れていたこと、また赤いテープではなかったことからGW中に見落とされ(見つけられていたとしても間に合わなかったと思います)、追加の作業では重機の関係で掘り出すことが不可能だった桜。

残していかざるを得ない状況の中、しみじみ眺め、「残してくれないかな。どうしても工事の支障になるのかな……」と見つめました。

「枝ぶりといい、立派な桜なのに……」

昨日(5月18日)、真夏日が続いたため、工事中につき立ち入りが禁止されている中、仮移植された木々の様子を見にいったプロジェクト•メンバーから送られてきた写真に愕然としました。

この木は子どもたちが「小人の木」と名付け、かくれんぼなどして遊んでいた木だったそうです。

人には忘れるという能力があります。「見ない」こともできます。でも、絶対に忘れたくないと思いました。

たった一本。でも、かけがえのない一本。ついこの間まで見事な花でみんなを歓ばせ、緑の木陰で飼育小屋の動物たちを守っていた木。

大切な、いのち。

このプロジェクトは、小さな市民の力を草の根のように細くつなげながら、まだまだ続いていきます。

   2023.5.19 前田せつ子