小さな移植ゴテで土に語りかけると、それに応えて風や水が大きく動くことに驚きました。植物をはじめすべての生きものが生き生きするのです。矢野智徳さんのお仕事を見て、生きものである私たち人間の”地球での生き方”はこれだとわかり、これから自信を持って生きていけそうです。
公開を前に、こんな推薦コメントをくださった生命誌研究者の中村桂子さん。
生命科学の第一人者として遺伝子、ゲノム研究の最先端を担い、「生命誌」を提唱、「生きもの」としての人間のあり方の大切さを訴え続けていらっしゃる中村さんと、矢野さんの初めての顔合わせが実現しました。
上映後のトークということで短い時間でしたが、強く共感、共鳴されたお二人の貴重なトークを抜粋してお届けします。
自然界に直線はなく、時間の区切りもない
中村桂子 映画を観ていて一番感じたのは、矢野さんのいらっしゃるところ、直線がないんですよね。全部曲線なのね、どこもかしこも。ところが、私たちが暮らしているこの都会って、全部直線の社会でしょ。直線ばっかりですよね。
それからもう一つ、矢野さんのお仕事には時間の区切りがないというか。「工事終了予定日2日前」と出ても、どうも見ていると2日前とは思えない。私たちって、いつも「締切、締切、締切」みたいな感じで追われて暮らしているけれど、実は時間って、ずーっと流れているものであってね、矢野さんのお仕事はまさにそれを見せてくださっている。
それを考えたとき、私たちがどういう生活してるかって思ったら、やっぱり効率を考えて、直線にして、時間決めて……って暮らしているけれど、どうもそれは違うらしいなっていうのが、すごく伝わってきましたね。
矢野智徳 一番初めに、空気と水の動きが流線形だっていうこと、直線じゃないっていうことに気づかされたとき、その曲線を辿っていったら、宇宙にまで行っちゃったんですね。人間社会は直線だからおかしくなっている。それで僕らの環境改善は、環境全体のことを見ないといけない、というようになったんです。
僕が自然地理を学んだ先生曰く、「環境は総体として見る。一つも漏れてはならない。常に宇宙から、人知れない作用が地球全体に働いている。その環境、視点を外すことはできない」と。
それで、まず、環境を「地球環境」と「宇宙環境」っていうふうに分類して、目に見えない宇宙環境が常に働く中で、地球環境としての「大地」と「生物」と「気象」が在る。大地と、その上で生活する生物と、それを取り巻いて動いている、循環している空気と水。それが地上だけではなくて、大地の中にも、水の中にも、大気空間にも、いわゆる僕らが中学のときに習った気圏、水圏、岩圏という地球の三つの空間全体に常に対流しているっていう。その対流と、対流を生み出している宇宙エネルギー。その総体 で環境を見ていく、現場を見ていくっていうふうに絞り込んでいったら、「ミクロもマクロも相似形」である環境が、具体的に見えてきたんですね。
植木鉢一本の中の、土と植物と水脈と、その上の空気や水の循環は、山一つを見たときも、地球規模で見ても、全部同じだっていう。どの現場、どういう場所に行っても、頭の中にそれがしっかり入って、漏れなく観察を生み出してくれたことで、やっと「循環」についてイメージできるようになった。そして、環境を教えてほしいっていう講座参加者の人たちにも説明できるようになってきたんですね。
中村 私は生きものの研究をしていますから、水、土、風、空気が基本である、それはわかっています。矢野さんがいろんな場所へいらっしゃっているのを見ると、そこが、いろんな問題を抱えてるってことも見えるんです。しかし、「そこで何をやったらいいか」っていうことは、そこへ行っても、私、たぶんわからないだろうと思う。どうやったら見えてくるようになるんですか。
矢野 結局どの場所に行っても、いまお話しした「宇宙環境」と、地球環境である「大地の環境」と「生物の環境」と「気象の環境」、この4つは、どこに行っても同じで。そしてその中に、自分がいるっていう。
自分とその場の環境との対話というか、観察を通しての対話をひとつひとつ重ねていく。大地の表情はどういう表情で、動植物の生物の表情はどういう表情で、気象、地上と地下の気象はどういう表情なのか、状態なのかを対話しながら観ていく。
中村 非常に具体的に自分との関わりで見えてくるんですね。
矢野 そうですね。
立ち去ろうとする自分に、苦しんでいる生きものが「ちょっと待てよ」と
中村 たとえばいま、矢野さんが水の流れだとか空気の流れだとかおっしゃっているけれど、目に見えないものを感じていまのように仰るわけですけど、私は水の中にだって小さな生きものたちいっぱいいるよなぁ……と感じたりしているわけです。空気の中にだって生きものがいなければ本当に動いている意味はないんだよなぁとか、目に見えない生きものたちが完璧に見えるんです。長い間そういう勉強をしていると、そのことが見えてくるんですよね。
そういう意味では、「人間は生きものである」という、当たり前みたいなことを私が一生懸命言い続けているのは、そういうことが見えるからだと思って。それを伝えようとしますけど、それは必ずしも共有できないときがあって、もどかしいときがあるんです。でも、それを見えるようになることは、本当に大事なんですよっていうことを、知識ではなくてね、自分との関わり合いの中で見えることが大事なんですよっていうことを、皆さんとご一緒に考えたいと思うんですね。
矢野 僕もたぶん、全く似通った感触を持っていると思います。
中村 そうですよね。だから、もどかしいでしょう? 私のように、そこへ行っても「見えないよ」っていう人がいると。
矢野 たとえば、相手が生きものだったり、地面だったりした場合に、自分の実感を通して対話をする感じだと思うんです。一番大きな実感は、生きものが弱っていくとき。どうして弱るのか、どうしてこういう表情になるのか。その実感が、「苦しい」っていうことなんですよね。植物なり、小動物、生きものが苦しんでいる様子が見えてくると、わからないからといって、素通りできなくなる。この実感が、ちょっと待てよって言われるような、時間がきたからとか、もうわからないからといって立ち去ろうとする自分に対して、苦しんでいる生きものがちょっと待てよっていう。そういう後ろ髪を引かれるような思いになる実感が、もう自分を立ち去れなくする。じゃあ、もう少しいよう、と。
日比谷公園で感じた「異常」
矢野 実はこの日比谷公園に何回か訪れたことがあるんですけど、これはもう危険だっていうか、異常だっていうふうに、実感させられたんです。
真夏にちょっと時間があったんで、素通りしないで、日比谷公園に立ち止まって、というか車を止めて公園の中に入ったら、日陰なのに外(日向)と同じ温度なんです。そしてそこに多くの人たちが佇んでいる。休憩している。みんな、日陰の中に集まって休憩されているんですけど、その人たちの様子が、外の日照りの場所と同じ40度以上あるような高温なのにもかかわらず、休んでいるような表情をされていたこと。それが衝撃でしたね。生きものは自分の身が危険な、不快な状態にいれば、何かそれに反応した表情を見せるものなのに。
中村 生きものとして生きていない。わかってない。
矢野 佇んでいる都会の人たちの表情が、(日向と同じ気温なのに)日陰に佇んでいるような表情をされていることが、僕には驚きだったんですよ。
中村 そこが問題かもしれませんね。私たちはいま、都会の中でも緑が大事だっていうようなことがみんなが気がつき始めたから、屋上庭園をつくるとか、緑を植えるとかっていうことは始めているんだけれども、緑があればいいでしょ、っていうふうに、上だけ見て、中を見ないで、緑があればいいでしょっていう感覚に、いまなりつつある。これがもしかしたら、ちょっと危険……。
矢野 これが決定的な問題で。いわゆる植物の機能について、僕らは中学のときに、光合成をしたり、日陰をつくったり、といった植物の機能を学んだわけですけど、その中に、最も重要な、「地上と地下の空気を対流させて、温度も含めて、人だけじゃなく、それぞれの生きものが呼吸ができる状態を、見事に最先端で繋いでくれている生きものである」ということを学んでこなかった。そういう認識として植物が大事にされていない。
日比谷公園は、もうその機能を失ってるんですね。緑地としてはもう、一番生きものがそこに逃げ込みたくなるような場所、明治神宮の森も、日比谷公園の森も、そういう場所がもう植物の機能を失ってきている。
「私たち生きもの」の中の「私」
中村 いま仰ってくださったように、日比谷公園までそうなっているなんて、考えていなかったんですけども、「人間が生きものである」っていう実感が足りないなとずっと思ってきて。私たちの生き方の考え方として、私は私なりにこんなふうに考えているっていうのを、ひとつだけ、図にしましたので見ていただけましたら。
特に近代社会、現代の中では、「私」が大事、「私探し」とか、いろんなことをみんな言いますよね。でも、人間が生きものだと考えたとき、私ひとりでいる人っていないわけで。決してひとりではいられない。そもそも生まれてこようとしたら、親が二人必ずいるわけですし。機械だったら一個でもいられるけど、生きものって一個ではいられない。なのに人間だけ「私、私、私」って私を強調する。「私らしく」しなきゃいけないとか。どうもいま「私」が強調されすぎていると思うんですよ。でも「私」って「私たち」の中の「私」だと思うのね。
日常的にいうと「私たち」って言ったときにまず「家族」がいるよなぁ、「家族の中の私」だなぁとか、それから「職場や学校仲間の私」だよなぁとかって順番に考えるんですけど、今日の矢野さんの映画、お仕事は、「私たち生きものの中に私がいるんだ」っていうことを具体的に見せてくださったんだと思うんです。そう思うと、さっき矢野さんがまさに仰ったけれど、それは地球があってのことだし、宇宙があってのことだし。
そう考えると、私、60年間生きものの仕事をしてきてよかったなって思うのは、「私たち生きものの中の私」っていう感覚が、もう素直にそのまま出てくるということなんです。わざわざ考えなくても。こういうふうに考えると、とっても気楽になる。
矢野さんは、さっき場所へ行くとパッとわかる、それが実感としてわかると仰ったけれど、その実感をみんなで共有できないかなぁって思っているんです。よくみなさんとお話しするんですけど、そしたら「あの人、ゲノムのこと言うから……」とか言われてしまうんですけど(笑)、ゲノムを勉強したからそういう感覚が持てるようになったんです。でも「私たち生きものの中の私」っていう感覚は、日比谷も明治神宮もダメっていうような社会を変えていくためには、我田引水ですけど、すごくいい気持ちの考え方じゃないかなって思うんですけど……賛成してくださる……?
矢野 ええ、もう大賛成です。
中村 強要はしませんけど(笑)。
科学的立証を超えて
矢野 特に行政の方、いろいろな部署の方たちによく言われるのが、数値化してくれ、体系化してくれ、ということ。矢野さんのやってることは、よくわかります、環境がよくなるのはわかるんだけど、それを数値や理論でちゃんと実証したり体系化してくれないと、行政は予算化できない、取り組めない、と。だから早く数値化してくれ、理論体系化してくれ、現場にいないで早くデスクに上がってそれをはっきりさせてくれ、そっちが先だっていうふうに言われてきたんです。
中村 私も科学の世界にいたし、実証性とか、科学的にデータをきちっとすることの重要性ってのは認めるとしても、しかし現場での感覚というものの大切さも、なおざりにしてはいけないと思うんですね。あまりにもデータ主義になってしまうのは、どうかと。一見科学というと、とても理性的な素晴らしいことのように思えるけれど、もしかしたら「科学教」という宗教になってしまっているのかもしれない。
科学を否定するつもりはないけれど、科学教で、そういう本当の実感、現場でできた実感まで否定するようなことはどうなのか。いま私、科学者としては危険なことを言っているんですけど(笑)、でもそういう時代にもうなってるかもしれないって思います。
矢野 本当に、それはもう現場でいつも思わされることです。
(2013年の)伊豆大島の大水害(*注1)のとき、僕は前日までそこで、たまたま、講座をさせてもらっていたんです。それで、台風が来るということで、最終便で帰らないと次のスケジュールに間に合わないっていう、ギリギリまで作業して、そしてやっと飛び乗って戻ったその日の朝に、大島が大水害になったっていうニュースが流れた。
それで、僕はすぐに戻ったんです。前日まで作業していた現場に。(水害が起こったと報道された)現場がすぐ近くだったんで。
現地に戻ってみたら、僕たちの扱った場所は無傷だったんです。水脈が通っていて、全然(被害がなく)、「雨降って地固まる」っていう大地になっていたんです。
ところが、それとは反対に、コンクリートに閉ざされた現場周辺が特に大崩壊を起こしていた。その現場に入っていってみたら、たった一箇所が閉ざされているために、水がその尾根を走って集落を襲っているという現場に出くわしたんですね。
そのときに、政府の調査団の先生方の出した答えは、全然違った答えだった。ここに人工構造物があることで、こんな問題が起きてしまっているっていうことが、全く語られてなかったんですけど、そのとき僕は現場で、土木をやっている現場の人たちみんなに集まってもらってこの状態を見たら、誰もがこっちに水がいくよねって言えると思ったんですよ。高尚な数値や理論体系でなくても、現場と直に接してると、これはこうなる、この状態だったらこういう問題が起きるっていうのは、すぐにわかる。科学的立証がなくても、実証で、現場経験者の人たちの経験値だけでも、立証できる現実がここにあるって思ったんです。
「生きもの」とは
中村 生物について考えるとき、一番大事なのは、ものすごく多様であるということですよね。それがひとつひとつの役割を持っている。人間もその中にいる。
二番目が、38億年前に生まれた祖先細胞からみんな生まれているので、みんな繋がっているということ。人間もその一つ。
それから三番目が、高等とか下等とかいう考え方はない。みんなそれぞれが大事だということ。前は人間が高等でバクテリアが下等って言っていましたけど、バクテリアのほうがすごいことやってるときもあります。だから、みんなそれぞれが大事なことやっている。
四番目は、一番大事なことなんですけど、人間が中にいるということ。
この図は、みんなでやりましょうねって言いたい、そういう図です。これは別に私が主張しているんじゃなくて、事実を描いたもの。上から目線ではなく、みんなで生きていく。たぶん矢野さんのお仕事は、この中にいる人間としての仕事なんだっていうふうに、私は勝手に自分に引き付けています。
矢野 一つだけ、現場で気づかされたんですけど、日本国憲法第25条の生存権、「全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、これが現場は「全ての生き物は」という言葉に変えると、現場がもう本当に改善されてくるっていうか、豊かになっていく。全ての生きものが健康で文化的な最低限度の生活を保障されないと、生態系は成り立たない。
まさに、実はみんな仕事をしてるわけです。植物が呼吸できるように土をいじる生きものたちはみんな穴をあけて、自分が呼吸するのと合わせて植物がちゃんと呼吸できるように穴を掘ってくれている。それが現場で、やっとわかってきたんです。この小動物たち大動物たちの作業がないと、大地が詰まってきて、この植物たちは下草から高木まで息ができなくなってくるんですよね。
中村 この地面の中がすごい大事なんですね。
矢野 はい。地上と地下の空気と水が、最も詰まりやすいこの境界面が……。
中村 この地面の上と下を、水と空気が繋いでるんですよね。
矢野 そうなんです。
中村 本当にそうだと思います。
*注1:2013年10月、関東地方に接近した台風26号の影響で、伊豆諸島の伊豆大島で記録的な大雨となり、土石流により甚大な被害が発生した。
⽇⽐⾕公園ガーデニングショー2022 関連講座
NPO法人 Green Works 主催
映画『杜人(もりびと)環境再生医 矢野智徳の挑戦』上映会とトークショー
2022 年 10 ⽉ 24 ⽇@日比谷図書文化館 コンベンション・ホールより
中村桂子
JT 生命誌研究館名誉館長。理学博士
1936 年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻修了。
国立予防衛生研究所、三菱化成生命科学研究所、早稲田大学教授を経て、
1993 年に自ら提唱する「生命誌」の理念を実現する「JT生命誌研究
館」設立に携わる。2002 年館長に就任。2020年名誉館長。著書多数。
矢野智徳
合同会社 杜の学校 代表
1956年福岡県北九州市生まれ。父・徳助氏が私財を投じて始めた花木植
物園「四季の丘」で10 人兄弟と共に植物の世話をして育つ。東京都立大学
において理学部地理学科・自然地理を専攻。在学中に日本一周を敢行。
1984年、矢野園芸を始める。1995年の阪神淡路大震災を機に、環境
改善の新たな手法に取り組み、「大地の再生講座」を各地で開催。