能登からの緊急メッセージ〜2024年の始まりに〜

新年の挨拶もためわれるような元日となった2024年、大地震及び事故で亡くなられた方々、御関係者の皆様に心よりお悔やみを申し上げます。そしていま、心身ともに辛く苦しい状況にあられる皆様に、一刻も早くひと息つけるあたたかい環境が整うことを心から祈ります。

1月13日には「土中環境」でお馴染みの高田宏臣さんの現地報告「令和6年能登半島地震 被災地調査報告と災害復旧を考える」がオンライン(地球守ラジオ)でありました。奇しくも1月1日、ご家族で七尾市滞在中に地震に遭われた高田さん。すぐに現地入りし、現在氷見市を拠点に支援活動を始めていらっしゃるとのこと。現地からの生々しい報告を聞くことができました。

「報道で聞くのと現地で直に人と触れ合って聞くのとでは全く違う。たとえば3000人が集落に取り残され孤立していると聞くと、都会の人は大変だ!と思ってしまうが、実はみんなそんなに困っていなかったりする。それが能登の良さ。たとえ断水してもどこに水源があるかをみんな知っているし、食べるものもある。助け合う地域の関係も育まれている」

「元日、自分自身が七尾市の海沿いのホテルで大きな揺れに襲われたとき、咄嗟の判断ができなかった。加湿器の水がこぼれたから拭かなくちゃ……など、どうでもいいことに意識が行く。息子に『お父さん、逃げなきゃ!!』と言われて我に返った。震災の記憶、津波の記憶を我が事として伝え続けていく大事さを痛感する」

「液状化とは泥水が噴き出してくること。もともと地盤が悪かったわけじゃない。人間が地面をガチガチに固め続けて、水が滞留する環境をつくってきてしまった。それが地震で崩壊につながった。観察して回ると、コンクリート杭を打ち込んだ建物は壊れていない。だが、同じ斜面の低いところにある家屋が液状化で崩れ、滑り落ちている」

「かつては地震や台風が来ても液状化しにくい環境を人間がつくっていた。鎌倉時代の水脈調査では地中3mにぐり石を入れて水の通り道をつくり、建物自体に負荷をかけない技術が見られる。だから何百年も持つ建物がつくれた。そういう叡智を取り戻されなければ! これから進む復興が誰のための、何のためのものなのか、しっかり考えていかなければ」

「地震の加速度は地面の中の滞水が原因。地面をただただ固めるやり方では、今度更なる地震が起きたとき、ますます酷い状況に見舞われるだろう。能登には小さな集落がたくさんあり、道路に亀裂が入ったらそこに小石を詰めて直す『道普請(みちぶしん)』が当たり前に行われていた。現在の建築が目指している方向は、部分的には良いとしても、こうした災害を引き起こす原因をつくってもいる。美しい再生、本当の豊かさ、安心とは何なのか。能登の良さを失わないように、ここから学んで良くしていければ!」

高田さんの現地報告には、能登が元々持っている自然の美しさ、ライフラインを失っても生活できる本来人間が持っている強さ、助け合う関係の豊かさへの想いが滲み出していて、国家が巨額を投下して一律に行う「復興」の危険性を強く警告するものでした。

急遽つくった呼びかけチラシだそうです

このイベントの動画は後日アップされる予定とのこと。どうかご注目ください。

人間の好奇心、探究心は両刃の剣。最初の発見者に悪気はなかったとしても、結果的に負の連鎖を生み出す原因となるものをつくってしまうことがあります。核(原子力)も然り。それに気づいても経済システムや国際的なパワーバランスの中で方向転換できないまま進んでいるのが今の世界であり、日本……。

発災直後、志賀原発についての情報はほとんど入ってきませんでした。「外部電源の喪失はあるものの、異常は計測されていない」と報道されたものの、後になって変圧器の油漏れや使用済み燃料貯蔵プールの冷却水が大量に飛散したことが明らかになっています。

1月18日には、「能登半島自身から問い直す原発稼働の危険性」と題する緊急オンラインシンポジウムが開催されました。そこで報告されたのは、志賀原発にあと3m高い津波が来ていれば東京電力福島第一原発と同じ状況になっていたかもしれない、という恐ろしい事実でした。再稼働を求める圧力が高まる中、未だ運転休止中であったことも、冷却水の温度の上昇を防ぐのに幸いしたそうです。

明らかになったのは、もしも原発事故が起きていたら、避難など全く不可能であったこと。まずは屋内退避が基本ですが、9割の家屋が倒壊した中でそれはできない。道路は寸断され、港は使えなくなる状況の中で屋外避難も不可能。避難計画は机上の空論に過ぎなかったという事実です。

ご存知の方も多いと思いますが、震度7に襲われた珠洲市には1975年に「珠洲原発計画」が浮上し、高屋地区と寺家地区に135万kWの原発がつくられる計画でした。住民の反対運動などによって2003年に奇跡の白紙撤回。もしも、ここに原発が誘致されていたら、過酷事故となっていたことは必至。

地震活動期に入った日本で、原発再稼働どころか新設など国家的犯罪だとすら思えます。

原子力市民委員会主催の貴重なシンポジウム。こちらで視聴可能です。

同日、NPO法人MAKE HAPPY理事の谷口保さんさんからの現地報告を一橋大学で聞くことができました。1日、鹿児島の実家に10年ぶりに帰省していた矢先の地震。荷物をまとめ、小さな車で水と食料を積めるだけ積み、3日には現地で支援活動を開始したという谷口さん(愛称:かごしマン)。

「災害車輌の渋滞につながるからと一般車輌が入ることを規制する声もありましたが、自衛隊は人命救助が最優先。役割が違うので、支援に慣れたボランティア団体が現地に入ることは必要です。通常は2時間で行ける距離が7~8時間かかる道路事情の中で、七尾市→穴水町→能登町→珠洲市を回りました。1月3日にはほぼ皆さん避難所にいらっしゃいました。ご高齢の方ばかり。通常は発災2~3日でパンやおにぎりを自衛隊が届けてくれるが今回は4~5日かかりました。行政職員もみんな被災者で役所の機能はストップ。それでも正月で食材を買い込んでいて、餅もあり、海鮮も冷凍庫にあったのは幸いでした」

「まだ一般のボランティアさんが入れる状況ではありません。それを、どうやって来てもらって、何をやってもらうか、考えて受け入れ体制を整えるのが僕たちの役割。ボランティア・ベース。早くて2月以降、本格的には3月以降。その時は特に若い人に、ある程度の期間来てほしいです。ニーズはどんどん変わっていきます。マッサージして話を聞くことも(話し相手が一番必要!)、お笑いや音楽などの娯楽も必要になってきます」

「トイレ事情は厳しかった。最初に求められたのは紙パンツ、簡易トイレ、消毒液。公共施設のトイレも水が流せないから使えない。今は仮設トイレが入りましたが、日頃水を貯めておくことは大事!」

「二次避難が始まっていますが、そこに支援が継続的に提供できるのか、心配です。長い目で見ていかないと」

「今は羽咋市を拠点に活動しています。避難所には段ボールベッドが届くのが遅く、床が寒くて眠れない人もいました。在宅避難者に必要な物資が届かない問題もあります(何々が足りない、より、大丈夫、と言ってしまう人が多かったり、真っ只中にいる人は『助けて』と言えない)。ボランティアの受け入れ体制が整ったら、一軒一軒ローラー的に回りたい。地域のつながりで生きている人が多いため、それを大事にした支援でないといけない。支援団体の横の連携も大事です」

「想定外という言葉は、もう使ってはいけない。助け合う心を思い出させるために天災は起こっているのかもしれない、と思うほど、人と人とのつながりが最後には威力を発揮します。行政や社協は、発災したらすぐに協議できるボランティア団体と平時に協定を結んでおくことが大事。そのためには、市民が『こういう場合、どうしたらいい?』と日頃から行政に質問し、キャッチボールしながら共に考えていかないと!」

「僕たちは活動18年目を迎えます。発足当初から継続している植林活動、2010年から始まった日本の森の活動(間伐)、2011年の東日本大震災からは災害復興支援活動、3つの活動が主軸。日本で一番多い災害はなんだと思いますか? 答えは水害。昨年床上浸水を経験した地域は47都道府県中28県。なぜか? 森に元気がないからです。日本の木材を使わないで50年やってきて、森が傷んでいる。鹿児島出身で『かごしマン』と呼ばれていますが、なぜいま石巻に住んでいるかというと、2011年石巻に支援に行ってそのまま住み着いたからです。森の防潮堤をつくる活動もしています。木があれば押し波のスピードを緩めることができるし、引き波の時、流された人も木に捕まって助かるかもしれない。一人ひとりがメディアになれる時代。『動けば変わる』が合言葉です」

MAKE HAPPYの活動についてはこちらをご覧ください。

「被災地支援に行くボランティアはお風呂に入れなくて当たり前。でも、みんなクサいからわからない(笑)。今は冬なので助かっています」と明るく笑う谷口さんは、一旦石巻に戻って、すぐにまた羽咋市に向かうそうです。

さて、矢野智徳さんは大地の再生ネットワークの北陸支部と連絡を取り、1月13日から被災地入り。大きく崩壊した家屋や亀裂の入った道路の周辺環境を観察・調査しながら、目の前の大地に空気と水の脈を通し、現地の方と直接やり取りしながら支援の体制づくりを考えているそうです。具体的な形が見えてきたら、改めてお知らせしますね。

『杜人』上映も3年目に入りました。明日21日には都内、神奈川で生活クラブが母体となった今年初の自主上映会があり、5月くらいまでお申し込みが入っています。息長く全国で草の根のように上映を続けていただき、本当にありがたい限りです。今年は新たなプロジェクトにも取り組んでいきます。

どうぞ皆さま、どんな状況にあっても、心も身体も自分も他者も、できるだけあたたかく過ごせる工夫をしてお過ごしください。今年もよろしくお願いいたします。

 2024年1月20日 リンカランフィルムズ 前田せつ子