「つながるいのちのために」〜2018年西日本豪雨から4年 舞台挨拶@シネマ尾道

 2018年、広島県呉市で甚大な土砂災害が起きてからまる4年。当時その災害現場と支援活動を体験したメンバーである下村京子さん(大地の再生中国支部/ガーデニング・コーディネーター)、上村匡司さん(大地の再生関西支部/造園家)、兼田汰知さん(大地の再生中国支部/造園家)とともに、2022年7月10日、シネマ尾道での舞台挨拶に立ちました。実感のこもった言葉を、この場に留めておきます。

7月10日、シネマ尾道公開2日目。120席ある劇場は補助椅子も出る満席

前田 今日はこうやって4人で立てることがとても嬉しいです。4年前の7月、いま映画を観に来てくださった方々の中にも被災された方、大切な方を亡くされた方がいらっしゃるかもしれません。心よりお見舞い申し上げます。

 4年前の7月7日、矢野さんも、今日来てくださった下村京子さんも、兼田汰知さんも、私も、気仙沼にいました。映画にも登場する、東日本大震災以降、支援講座を行なっているところです。下村さんも、兼田さんも、広島からボランティア・スタッフとして来られていたんですが、まさにそのとき、広島をはじめ西日本で大変なことが起きました。矢野さんは、とにかく被災地に行くんだと仰いました。でも、現地と繋ぐ方がいらっしゃらなければ入りたくても入れない。それを繋いでくださったのが下村さんです。兼田さんはご自身の家が被災、気仙沼から飛んで帰られました。今日はこのメンバーでご挨拶ができることを本当にありがたく思っています。

 最初に、私がなぜこの映画を撮ったかということを、お話しします。もともと私は環境問題にすごく関心があって活動をしていたわけではなく、雑誌「Lingkaran」で鎌倉の料理家・辰巳芳子さんの連載を担当していたとき、辰巳さんが「いのちの海に放射能を流してはいけません!」と怒ってらっしゃるのを聞いて、ショックを受けました。それで六ヶ所村のことを調べて、「六ヶ所村ラプソディー」というドキュメンタリーを国立で自主上映したのが2007年。それから原発のこと、再処理工場のことをみんなで考えたいと活動していたら、市議にならないか、という声がかかって、2011年、市議になりました。

 2014年、矢野さんと会ったきっかけは街路樹の伐採問題でした。さくら通りという通りの桜が老朽化しているから、道路の改修工事に伴って全部新しい桜に植え替えるという計画が浮上したときに、国立市民の中から「矢野さんを呼んで」「この桜たちが全部そんなに傷んでいるはずがない」という声が上がりました。私は最初、原発のことに比べて街路樹の伐採問題にそれほどピンと来ていなかったのですが、国立の市民は違っていました。

2014年、さくら通りの桜を見に駆けつけた矢野さん

 矢野さんを初めて見たときに、本当のお医者さんだと思いました。それまで虫の目線に立ったこともなかったし、樹木がどんなふうに根を張っているかもあまり考えたこともありませんでしたが、矢野さんの言葉を聞けば聞くほどこの世界への愛しさが増す、それは自分自身の存在をも肯定してくれるような気がしたんですね。この自然の見方は全ての人を救う、そこに希望を感じた。矢野さんのことをもっといろんな人に伝えたい。それは六ヶ所や原発のことをみんなで考えたいと思ったのと同じ強い気持ちでした。

 それまで映画をつくった経験はありませんでしたが、纐纈あやさんという監督さんに出会い、「私に撮れるでしょうか」と尋ねると、あやさんは「思いは技術に先行します。前田さんなら大丈夫。私がサポートします」と背中を押してくださいました。それで追いかけ始めたのが2018年の5月。そのわずか2カ月後に、西日本豪雨が起きました。

ボランティアでドローン撮影をって出てくださったiDapsの石田伸二さん。おかげで貴重な映像が残った

 映画には2021年10月まで、3年半の映像が入っていますが、2018年7月から8月にかけての広島県呉市安浦町中畑の現場はとても重要なものです。下村京子さんが撮ってくださった映像や石田さんというプロのカメラマンが撮ってくださったドローン映像もお借りしています。

 それだけでなく、みなさんとの出会いがなければ、この映画は完成しなかったと思っています。本当にありがとうございます。京子さんから、映画を初めてご覧になった感想や、ご自分の活動を振り返られて思うところをお話ししていただけたらと思います。お願いします。

下村 みなさん、こんにちは。下村京子です。私は2015年3月に矢野さんと出会いました。そのときに、すごく大好きだった大工をしていたおじいちゃんとまたこの世で出会えたなっていう感覚にとらわれました。それから追っかけをさせてもらうようになりました。

 2018年の西日本豪雨災害、特に呉の災害は、気仙沼の講座にスタッフで入っているときでした。娘が携帯で「お母さん家に帰れなくなった。呉が大変だよ」と。私は大変だ、と思いながら、どうやって帰ったかはいまも覚えてないんです。それからしばらくて、矢野さんが「ぜひあなたの町に入らせてください」と言われました。

「え、この状況で?」

市内でも被害が大きかった呉市安浦町中畑

 そのとき主人もいたんですけども、どうやってお呼びしたらいいのか見当がつかなかった。そしたら、なんと矢野さんが山梨から重機を持ってすぐそこまで来たから、と。

 それから松田久輝さんっていう方が災害ボランティアのコーディネートをされているのを知り、相談したら、「中畑という地区がいま道もないし、入ることもできなくて困っている。ぜひそこにお願いします」と繋いでくださって、まる1ヶ月入らせてもらいました。

中畑地区の自治会長、小林さんとともに下村さん、松田さんは支援現場を回った

 それがいまご覧になった映画の現場になるんですけれども、呉は私が幼少の頃、家の前を家具と人が流れているのを見たところ。それからずっと災害が起きやすい状況は変わっていないんですけれども、中畑に行ったときに、いや、これはいままで私が見た災害の中で一番大変だなって思いました。そこに矢野さんが入られた。

 映画で自治会長さんが「みんな喜んでいます」と言われていましたが、みなさん、家が崩れたのを本当は心配するはずなのに、一番心配していたのが田んぼだったんです。ちょうど稲が植って、いまからだっていうときに水がそこに届いていないのを、村のお年寄りの人が呆然と立って眺めていた。それをなんとか矢野さんが道を繋ぎ、水を繋いで、田んぼに水が戻った。

崩れた道を「そこにあるもの」で修復する

「この御恩は一生忘れません」と、届いたばかりの桃を持ってきてくださったシーンが、映画にも出てきますが、大事なのは家より田んぼだった、っていうのを聞いて、昔の人がいのちより大事にしてきた田んぼっていうのは、本当に水の流れが重要だったんだということに気がつきました。そして、矢野さんに来てもらって本当によかったなって思いました。

 

 私は生を受けて、この世にいる間に矢野さんに出会えてよかったなって思っています。ここに立ったときに、ぜひ伝えたいなって思ったひと言があります。今日母親が来てるんですけど、「私を産んでくれてありがとう」と伝えたいです。矢野さんに出会えて、みんなのために環境改善できる毎日がある。息子と主人も来てるんですけど、私はいまも家に帰ることがほとんどなくて、ずーっと大地の再生をしています。それをずーっと見守ってくれてる家族にも、この場で感謝の気持ちを伝えたいと思います。せつ子さん、映画をつくっていただいてどうもありがとうございました。お母さん、ありがとう。

松田さんとともに、丸ひと月、支援に入った下村さん
写真左から兼田さん、上村さん、下村さん

上村 みなさん、こんにちは。おっさんなんですけど「おとめちゃん」っていうあだ名がついています。大地の再生を始める前は、関西の方で造園の仕事をしていました。造園の仕事、すごく好きで、自分のやりたい仕事もずっとできていたんですけど、ふとしたきっかけで、矢野さんを紹介していただいたんですね。矢野さんのされていることを触れたときに、自分が喜ぶというよりも自分の魂が喜ぶっていう感覚に近いと思うんですけど、そういう印象を持ちました。いまは全国いろんなところを回りながら大地の再生をさせてもらっています。

 当初、いろいろ回らせてもらいながら、とくに中畑の災害以降、いろんなところに行っているんですが、大地の再生の視点を伝えるのが難しくて。理解してもらえなかったり、苦労することが多かったです。

「それをやって何の意味があるの?」「何の得があるの?」っていう声が多かったのが、ここ最近、そういう声はあまり聞かなくなりました。むしろ大事に思ってくださったり、積極的に大地の再生の重要性を感じている方が増えてきたのを感じています。

 それは、自分の生活がよくなるとか、もちろんそういうこともあるんですけど、それよりも、僕が最初に感じた、この大地と向き合って、それを慈しみながら、「傷めず穢さず、大事に使わせてくださいと、森の神様に誓って紐を張った場」、映画のタイトル「杜人」の「杜」という言葉に象徴される想い、姿勢、そこにみなさんすごく共感されている気がします。

古来、人は結作業で自然との関係を、いのちを紡いできた

 自分が生きてきて、こういうかたちでいのちに携われるということに、ものすごく重要性を感じています。この映画が全国各地で上映される中ですごく評価を得ていること、こうやってみなさんと一緒に映画を観ることができて、今後も関わってやっていけるっていうことを、すごくありがたいと思っています。

 ぜひ、生の現場で、日常でできること、体験してもらいたいです。移植ゴテとノコ鎌でできることがある。私たちスタッフに、ぜひ声をかけていただいて、一緒に自然と関わっていけたらいいなと思っています。これをご縁に、今後ともよろしくお願いいたします。

兼田 こんにちは。兼田汰知といいます。呉市在住です。まず映画を観た感想なんですけど、極端にいうと夢を見ているような感じでした。というのは、撮影当時、現場から現場へ駆けずり回るハードな日々を過ごしていたので、自分がいまどこの県にいるのかわからなくなるときがあって、怒濤の時を過ごさせていただいたなって思っています。なので、いま改めて映画を観て、こういうこともあったな、ああいうこともあったなって感じました。

 もともと大地の再生に会う前から大地園芸という屋号で呉市で造園業を営んでいたんですけど、あるきっかけで、京子さんにスタッフにならないかという声をいただいて、京子さんと二人三脚で中国支部をやらせていただいてきました。気仙沼の現場は、矢野さんと大地の再生メンバーで作業していて、お昼ご飯を食べているときに、妻から連絡があって、その声がいつもと調子が違うので、これはちょっとただごとじゃないなと、矢野さんに伝えて、すぐ帰らせていただいて。

被災後、矢野さんは兼田さん宅を訪れるや重機に跨った

 当時竹原の、とある集落の一番上の家に住んでいたんですけど、こういう大地の再生に携わっていたので、また、人被害がないというのを聞いてたので、ある意味安心して、いつもは家まで車で上がっていくんですけど、土砂で上がれないので、歩いて、てくてく山を登っていきました。そのときの風景が、なんというか、抜けていたんですね。川も氾濫して、木々を洗い流して、すごい美しくて、心地よくて……。

 ただ、土砂が溢れて風景が様変わりしていて、これを自分はどうしようかなと考えたときに、大地の再生でもこういう手法を使うんですけど、「持ち出さない」、「持ち込まない(なるべく)」、やり方をしようと。目の前にある石と土と木、この3つの素材を貴重な資材として組み込み直せばいい。自然災害は、映画にもありましたけど、地球が、自然が、深呼吸をしている、生きようとしている姿そのものだっていう。この呼吸を繋ぐ施工で、自然も生きものも人も、里山全体が呼吸して循環する心地良い空間、場所づくりをしようということで、やり始めました。

 最初は友達や知り合い、ボランティアの方が来てくれてやっていたんですけど、一つつまずいてしまって……。大地の再生やってきた一般社団法人は、正式名称を「大地の再生 結の杜づくり」というんですが、「大地の再生」は自然の再生、「結の杜づくり」は人の再生なんですね。その両者が噛み合ってはじめて両者が再生するし、息づいていける。でも、自分は自然の再生にしか意識があまりなかったというか……。

 すぐ下の斜面にお隣さんがいたんですけど、その方とうまくいかず、結局、人の再生、結の杜づくりができないまま終わってしまったという状況でした。いま、この社会もそうですけど、みんないろんな不安を抱えたり、恐怖抱えて日々過ごされたり、自然環境も人の環境も、陰の極みだという気がします。でも、その一方で、陽のエネルギーというか、いろんないのちが生まれてきたりもしています。

 他のスタッフもそうですけど、自分は日々いのちがけで作業しています。自分のためではなく、お金のためでもなく、いま生きている子どもたちだったり、お齢を召された方だったり、生きものだったり、そのみんなのために、いのちかけて現場で作業しよう、それが次に繋がることだな、これしかないなって、思ってやっています。そのときに必要なのが、大地の再生の空気の視点と技術だし、みんなのいう「結」、連携が本当に必要だなって思います。

 自分が災害を経験してわかったのは、みんな何があっても大丈夫だということです。家も半壊してぐちゃぐちゃになったんですけど、いろんな方が来てくれて、海外からも来てくれて、汗だくで作業していただいて、感謝しきれないんですけど、みんな何があっても大丈夫だなって、心底感じました。みんな繋がっているし、誰かに何かあったら自分たちも駆けつける。それを実感しました。

 なので、いまから日本に住んでる人たち一人ひとりが連携して、自分のお庭の手入れ改善からでもいいので、そういう意識を持ってやっていくと、自然環境も人の社会環境も息づいていくと思います。みんなで連携して、結作業で、子どもたちのために、いのちのために、日々生きていきましょう。ありがとうございました。

前田 おひとりおひとりから、とても貴重なメッセージをいただきました。「結」、映画の冒頭に入れたんですけれども、人の結が実は一番難しい。矢野さんを見ていると、いつもいつも謝っている。「うちのところの敷地まで掘らないで」って言われたら「すいません、このぐらいならいいですか」みたいな感じで、ぶつからないように、謝りながら、なんとか実を取っていく。で、いつかはわかってくれるって信じている。

 今日、ご挨拶いただいたみなさんもそうですが、3年半いろんな現場を回って、どなた一人としてお金のためにやってる人には出会いませんでした。だからこそ、とてもいい気が流れているし、私自身、追いかけている期間、入ってくるお金は全然なかったんですけど、でもすごく楽しい、部活動のような3年半でした。おいしいごはんを京子さんが作ってくださったり、お一人おひとりがみんなのことを考えていつも動いている。そういうところに体を置いていると、自分自身にもいい循環が生まれて元気になるなっていうのをしみじみ感じました。

 これから大地の再生やりたいなって思う方は「大地の再生」で検索していただくと、いろんな現場の講座も出てきますし、中国支部と入れていただくと、もっと身近な講座が… …尾道で検索していただくといいですか?

下村 「大地の再生 尾道」で検索していただくと、Facebookとか、尾道での作業現場だったり、どう関われるかっていうのが出てきます。

前田 この映画は、映画を観ていただくことより、その先に行っていただくことのほうが目的なので、各地で自主上映会を開いていただいています。ご覧になった方が自分の地域で観たいと思っていただくことは、大きな一歩だと思っています。もちろん、上映会自体は小さなものでいいので、ぜひ自主上映会を開いていただけたらと思います。

 一昨日徳島で開かれた自主上映会に行ってきたんですけど、そのとき京子さんのこと、おとめちゃんのことが出てきて、「こないだ来てもらって、すごいよかったんです」、「講座のあと号泣された方もいらっしゃいました」って言ってもらって。「大地の再生のあとに、そこだけパッと雨が降ってきて、流れなかった水がスッと流れて、トンボや蝶もやってきて、すごいみんな感動してました」という声も。映画は道具として使っていただきながら、毛細血管に血が流れていくように広がっていけばいいなと思っています。

下村 今日はみなさん、来ていただいてありがとうございます。私は広島生まれ、広島育ちなんですけれども、この呉の災害も含めて、これから「災害を止める」ではなくて、「どうして災害になるか」、「そのあとどうしたらいいか」っていうところをみんなで考えて、そして行動に移していきたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願いします。

上村 今日は、この映画館に足を運んでいただいてありがとうございました。大地の再生のスタッフやメンバーは全国にいます。ご友人、何か困っておられる方、大地に、畑、山、海、川に、ものすごく気を向けられてる方、おられましたら、ぜひ声をかけてもらったら、お力になれるんじゃないかなと思います。これは私たちだけでできることじゃなくて、みなさんと一緒に結作業としてやることで、未来に残せる土地、自然になっていくと思うので、ぜひまたどこかでお会いしましょう。ありがとうございました。

兼田 今日はご来場いただき、ありがとうございました。自分も呉市に住んでるので、自分たちがやってきたことがこうやって映画になって、いろんな人に知っていただいて、ありがたいことです。次に繋げるためにも、どんなことでもいいので、声かけてください。みんなで結作業して、どんどんこの輪を広げていきましょう。いまから、いま生きている子どもたち、これから生まれてくる人たち、いのちのために、みんなで結作業しましょう。よろしくお願いします。

シネマ尾道の河本支配人と。お世話になりました!