猛暑と豪雨が続いた夏も、そろそろ終わり。ヒグラシが鳴きはじめ、朝夕の風も変わってきました。
豪雨災害の被害に遭われた地域の方におかれましては、まだまだ大変な状況が続いていることと思います。心よりお見舞い申し上げます。
さて、7月にご招待いただいた「第24回ゆふいん文化・記録映画祭」に続いて、秋には「第31回しまね映画祭」のテーマ作品に選んでいただきました。歴史ある地域に根づいた映画祭にこうして選んでいただけたこと、本当にありがたく、光栄なことだと思います。
ゆふいんでは上映後、矢野さんと1時間のトークをさせていただきました。この日は朝から「昔のまち歩きツアー」があり、矢野さんも参加。ゆふいんには、四国八十八ヶ所巡りのミクロ版とも言える道があり、この一部をめぐる映画祭のイベントでした。
矢野さんと巡ると、自然も水の流れも豊かなゆふいんの風景も、また違って見えてきます。水辺、亀の井別荘、そして金鱗湖……。
このツアーで感じたことも振り返りながらの矢野さんのお話がとてもよかったので、文字起こしを掲載します。かなりのボリュームですが、いま、とても大事な視点が示されています。どうぞ、お読みください。
矢野です。よろしくお願いします。今日久しぶりに九州のゆふいんに寄らせていただきました。昨日は広島に、1ヶ月前にやらせていただいた、樹齢1000年の欅の木がある古い神社の環境改善の状態を確認に、半日寄らせていただいて、作業して、今朝ゆふいんのフィールドワークを見せていただくということで、作業着のまま……実は着替える予定でいたんですけど、残念ながら時間がなくなって(笑)、このまま登壇させていただくことになりました。今日はよろしくお願いいたします。
○矢野さんの映画を撮りたい、という話を受けて、矢野さんはすんなり許諾されて、一緒に映画をつくりましょうって進んできたわけですか?
私は何も協力できなくて。前田さんに映画を撮らせてくださいって言われて、いやぁ、映画撮るって大変でしょう? っていう話をして。僕からは経済的な応援もできないし、現場は春夏秋冬、雨風台風も関係なく動いてましたから、簡単に仰ってるというか、映画を撮るってそんなに簡単にできることなのかなって思っていたんですけど、どうしても撮りたい、同行させてくれっていうことを言っていただいて。大変でよかったらどうぞっていう感じで、気楽に、どうぞっていうふうにお話ししました。
でも、本当に雨の日も炎天下も昼も夜も関係なく、ずーっと一生懸命カメラを回してついてきてくれていて、やっぱりこの前田さんは本気だな、本物だなっていうか。現場のことをいろいろ話しながら、一緒に現場の人たちに合わせて行動を共にしてくれた。3年間丸々ですから、普通の方ではできないことをやっていただいて、結果としてこういう映像にして見せてもらったときに、僕らは本当に現場の裏方、社会の表とは違う裏方的なところで、この現実、実情をなんとか表に繋ごうと思ってやってきたんですけど、それを見事に表に繋いでくれる役を担ってくれたというか。おかげさまでこうやって上映始まって多くの方に知っていただいて、また新たな動きが生まれてきています。すごいことをやってくれた。
かつて、人の動線と自然の動線は、相乗的に機能し合って循環型に保たれていた
○ゆふいん文化記録映画祭の中のイベントの一つとして、今日午前中にゆふいんの昔を巡る体験ツアーというのが行われまして。矢野さんも同行していただいて、そのとき一緒に同行したスタッフが、他の人たちは立って周りを見渡しているところで、矢野さんは、しゃがんで土を見たりとか、これは視点が全然違うっていう話をしてたんですけど、矢野さんから見て、今日立ち寄った亀の井別荘のいまの状態ってどうなんですか?
やっぱり由布岳を中心にゆふいんの自然は、九州の中でもトップクラスの生態系の豊かな場所だと思うんですね。そこにお遍路さんのような、88箇所の小さな、四国をミクロにした形の巡回路ができている。水脈と植物とお参りする場所がちゃんと設定されていて、それを巡りながらゆふいんという場所と生態系とか、人と自然の関わり、人の生活の仕方、そういうものを代々繋ぐような学びのシステムが生まれた。学びながら人と自然の関係を、人の生き方を再確認していく、そういう文化があったんだなって、見せてもらいました。でもこの時代ですから、コンクリートやアスファルトが造られて、人の動線もどんどん広げられて、住宅も木造建築からコンクリートになって、ゆふいんも日本列島も、ミクロもマクロも相似形のように、やっぱり開発の波が行き渡ってるんだなっていうのを実感しました。
亀の井別荘の素晴らしい木造建築で、それから敷地含めて高木や下草を含めた豊かな生態系と人の生活、土地利用がうまく繋がれてきた歴史背景があったと思うんですけど、その場所が、高木を含めて地面がやっぱり滞って、息の苦しい状態になっている。
88箇所、人の動線が整備されて、その「点」に当たる場所はどこも空気や水がよく通るポイントになっている。「脈」の「点穴」的な機能のように、言ってみれば「鎮守の杜」のミクロ版のように、ああいう場が設定されていると思うんですね。人の動線と自然の動線、脈の機能が相乗的に機能しあって循環型に保たれていく。そういう場を地域の方が守りながら、その場の機能を学びながら、実用と学びをセットにして、代々それを次の世代に繋ぐっていう歴史と文化があった。これから問われるのは、自然の生態系の循環の脈の機能と、人の土地利用含めた自然と人が共存できる、そういう視点と技術、学び、実用、それがちゃんと保たれていく地域づくり、ゆふいんの街並み整備ではないか、というのが実感です。
○即断はできないと思うんですが、今日行っていただいたところっていうのが、よく集中豪雨とか台風のときに土石流とか起きやすいところなんですけれども、環境再生的な視点で見ると、どうやったら改善できますか?
金鱗湖ですかね。金鱗湖の場所、大きな自然の溜池みたいな場所になるわけですけど、脈の合流点。大きな由布岳の袂にある大きな脈の合流点が金鱗湖であって、そしてその脈を大事に保全しながら育みながら活用していく一つの手立てとして、そこに天祖神社っていうのがつくられたんだと思うんですね。神社の境内を大事に保全しながら活用していくっていうことが、地域の方達によって「結」の作業で繋がれて、「結」の作業をしながら代々その視点と技術が引き継がれていくっていう背景、歴史があったと思うんです。それが、江戸時代から明治時代になって、西洋文化、文明、技術がどんどん入ってきて、戦後、特に戦後の動乱期、日本列島改造を含めて急速に人中心の開発がなされてきた。すごく便利になった。便利になった分、実は自然の機能が無言のうちに損われていくっていうことに、気づかないで来てしまった時代が、現代なんじゃないかなと思うんです。
結果として、気づいてみると、地球の3つの環境分野「大地」と「生物」と「気象」っていうこの機能が、全部異常になっちゃったっていうのがいまの時代なんですね。異常生物のまさに極めつけがコロナになっていると思いますし、大地も2019年の19号台風のときには日本列島が全域的に下流から上流まで、急峻な日本の風土の流域が一度に氾濫しているんですよ。ありえないことなんですよね。詰まるだけ詰まったんだなっていう。流域が、大地が、脈が、もういよいよ目詰まりしましたよということを見せてくれた災害が19号台風。水源域、高山帯までが崩壊するような状態が起きてしまっている。どの分野もそういう異常を起こしている状態なのに、まだ復旧は「固めて元に戻していく」作業っていうか。そこにあるものをゴミにして、自然が置いていってくれたものを、必要だから置いていってくれたものを、状態を、人優先の環境整備、開発にまた戻していくっていう。
ここまでやられてるのに、ここまで無言に自然は訴えかけてきているのに、人社会はまだ変えないのかっていう。結局経済なくしてはありえない社会になってるから、経済を優先する、生活を優先するっていうことになると、自然に譲るっていう昔の視点はいとまがないっていうか、余裕がないというか。その余裕のなさをもう一度本当にグッと堪えて、我慢して、足元から見直してみると、復旧再生っていうのはどういう段を踏んでいかないといけないのか、見えてくるんじゃないかなっていうふうに思うんですけどね。
あきらめたくなったら、前を向かないで足元を向く
私もね、この大地の再生を始めた頃は、もうこんなに開発して傷めて詰まらせてしまった大地の再生はそう簡単じゃないというか、できないんじゃないかっていうのをすごく思ったことがあるんですね。でもそのとき、映画でもお話ししたように、あきらめたら終わりだよなっていう実感があって、あきらめないで、じゃあもうとにかく前を向かないで、足元を向こうっていうか、先は考えないで目の前のできることから始めよう、あきらめないでできることから始めようっていうふうにして始めていったとき、実はこの再生は人が全部やらなくていいんだよっていうことを自然が教えてくれた。
作業してると、次々に自然が応援してくれる実態が見えてきたんですよね。僕らが脈の改善をしていくと、大地の機能が応援して再生していくし、そうなると動植物の呼吸が再生してくるし。その大地と動植物、いわゆる生物環境が相乗的にプラスの動きを始めると、結果的に気象環境、空気と水を中心とした地上と地下の対流が相乗的にまた、つまり雨風が人の作業を応援してくれるっていう。
それが実際に起きてきて、1ヶ月前に改善したあと現地に来ると、自然の生態系がどんどん応援してくれて、人がやった作業の桁違いなエネルギーを生み出す。本当に10倍以上の力で改善してくるんです。
福聚寺さんにご依頼いただいたときも、初めて行ったとき、僕は逃げて帰らないといけないと思ったんですよ。ここに関わったらもういのちを失うなっていうか、自分のいのちが取られてしまうぐらい大変なエネルギーを必要とする環境改善になるなって思っていたので。正直、もう相談がこなければいいなと思って、黙ってそのまま帰ってきたんですけど、その年の暮れの31日に奥さんから電話がかかってきて、正月明けにすぐ来てくださいって言われて。31日まで連絡がなかったんで、ああ福聚寺は行かなくてよくなった…って実は内心ホッとしてたら、電話かかってきて、土壇場で正月早々に行かないといけない話になって、行ってみたらもう抜け出れない。
あそこの環境改善の境内整備の業者会議の日だったんですけど、そこに行って僕が話したことを設計士さんが、それは面白いって、そんな視点があるんだったらみなさんやってみようじゃないかって職人さんたちに言ってくれたんですね。だから結果として抜け出れなくなっちゃった。それがもう運の尽きで、その後3年間工事を継続していくようなことになりました。
○他の土地でもそういうことが?
結局みんな、みんなそうだったんですよ。でも途中から「あきらめなくていいんだ」っていう、人が1やればいい、あと10は自然が桁違いに後押ししてくれるんだということがわかってきたので、僕は一般の社会の人たちに、このことを伝える作業をしていかないといけないなって実感するようになって、それで講座を断らないようにしたんですね。スタッフが講座もスケジュールも時間も経済もパンクしますって言ってきたときも、とにかく断らないでやれるだけやっていこうって、一件も断らないでやろうって。そうやったら1年で全国、沖縄から北海道まで行くようになった。
○以前(1974年)多摩川の決壊があったんですね。『岸部のアルバム』というドラマにもなったので、ご存知の方も多いと思いますが。場所は狛江で、すごい広い田んぼだったところに団地をつくったんですけど、それから少し経ってから決壊があって。お話を聞いていたら、団地だとかコンクリートのものが郊外でいっぱい建ってきたときなので、それも影響あったのかなって思ってしまったり。あの頃は川が決壊して家が流されるのってあまり見る光景じゃなくて、それがいまは毎年のようにもっとすごいことになっている。あのとき、多摩川が決壊したときは災害はそう起こってなかったのになぜだろうって考えてたんですけど、今日映画を見て納得できました。
いま仰る多摩川の決壊したところ、支流の野川と合流してるところですよね。特に野川沿線の流域の開発が高度成長期にすごく広がっていって、コンクリートだらけになっちゃったんですけど、そのコンクリートの水路が多摩川に直接流される状態になって、その水の勢いが強いために、多摩川の放流と合流したところで渦を巻くように停滞して、水量が上がっていく状況になっていた。その水量が上がることによって、その脇の土手が崩れ、住宅が流されるっていうようなことが起きてくる。
ここ半世紀、全国規模で、一級河川を中心とした河川整備が住宅整備、道路整備と合わせて進んでいった。結果的に各流域が大地に浸透していく機能を失って、それで表面を流れて行くようになった。それが一気に表層から河川に流れ出す。
沖縄から北海道まで、清流だった一級河川が、急速にふだんの雨が降っただけで泥水の出る流域河川に変わってしまっていますね。このことが実は問題視されていないんですよ。そういう一つ一つの自然が無言で訴えてきている現象を大事に拾い上げて、部分と全体を繋ぐ生態系の健康チェック、トータルで環境を見るっていう、そういう方向で科学的検証っていうか、なされていけば、もっと違った目線が見えてくるんじゃないかと思います。
○ズボンを大事に履いておられるのが素晴らしくて、真似したいなと思うんですけど、ご自分でやられてる(継ぎをあてられている)のでしょうか。
これはあの、奥さん作です。継ぎ当てが好きなんで、もうこれ20年以上なんですよ。もう売られてないものだから、大事にしたくて継ぎ当てを頼んだんですね。初めはベタって貼られてて。表側から。普通継ぎ当てって裏からするんじゃないかと思うんですけど、表からベタベタ貼ってて、ちょっとこれはないんじゃない?っていう(笑)。しかも色違いの。いまは紺色の布を見つけてきてくれてやってくれるようになったんですけど、前は白っぽかったんですよ。雑巾を貼り付けたみたいな。それがだんだん腕が上がってきて。こうやって昔の人たちは大事に使ってたんだなって。もう随分縫割れているんですけど、その度に強くなるというか。だから、なんかこれ、ファッションのようにとられちゃっているんですけど、全然そんな意図はないんですよ。でも、やってるうちに、愛着が湧いてきて、奥さんのほうがちゃんとやってくれるようになって、こんなふうになっちゃった。
生きものたちとの共同生活、共同作業
○山の木が伐られて太陽光パネルが立っているところがありますが、山の環境的によくないことじゃないのかなと思うんですけれども、矢野さんから見てどう思われますか。
木を伐ってその土地を利用するということは、全てが悪いわけではないと思うんですね。伐った木を大地にあてがってやって、元の大きな木がやってくれていたように、地上と地下の空気や水が対流できるような脈の機能をそこに再生してやって、それで人が土地利用していく分には十分開発は循環型に作用してくれると思うし、本来の機能が損われない状態が保たれるわけですよね。
高木が生えている大地は、そこを草に、芝生とか牧草とかグリーンにすれば済むかっていうと全然そうじゃない。牧草は緑だから、山の木をどんどん伐って牧草地にしてけばいいかっていうとそうじゃなく、水脈の機能と地形の機能と植物の機能を、ちゃんと人がセットで見越してそれをカバーするだけのケアができればそれは循環型になるし。
でも一回やったから終わりじゃないわけですよ。壊したからには壊した機能をケアし続ける、そういうメンテナンスがいる。それを昔の人たちはずっとやってきた。
里山の整備も含めてですね、流域整備は、実はずーっと人が、大地の機能を壊した分、手入れをし続けて「保全」「育成」「活用」っていう3つの段階を、どの地域もちゃんと技術として継承して繋いできているわけですよね。コンクリートを張ったから終わり、手入れが大変だからコンクリートにするとか、木を伐るとか、そういう発想が実はのちに問題を起こすことになる。
だから映像に出てくる「杜」という字、『傷めず、穢さず』とは、『もともと備わってた自然の機能を、傷めずに穢さずに大事に使わせてください』っていうことだと思うんですよね。その視点、気持ちと技術があったら問題が起きればちゃんと感覚で測定できるし、測定しながらケアしていくと、生きもの的な関わりになって、循環型でつき合っていける。それがいまでいう「SDGs」っていう世界だと思うんです。それが日常的にいまの時代にあった形で各地域ちゃんと保たれていけば、人と自然は昔のように「循環型」で「共存型」の風土を保つことができると思うんですよね。
○水脈や空気の道を少しでも流すような、私たちが日常的に自分の庭や畑でできることがあったら教えてください。
ふだん、機械とか大きな道具を使わなくても、一般の方が日常的に環境改善できる手立て、手法、それは「のこ鎌」と「移植ゴテ」。
のこ鎌は地上の植物とか、地表面の自然の風通しをつくっていくときに、草を払ったり、ものを払ったりしながら使う日常的な道具。移植ゴテ(剣スコの小さいようなもの)は、風や雨が動き大地の中に浸透していくときの、表層5cmの水脈をつくってやれる道具。
その水脈は水筋としての溝だけではなくて、小さな点穴というか、小動物たち、たとえばモグラとかセミとかアリとか、日常的な小さな動物たちが生活に合わせて大地に穴を掘っている、その作業と同じだと思うんですけど、基本的には表層5cmの、大気と大地を繋ぐ地球表面の一番境界面、その境界面のきっかけを空気が大地に入っていきやすいように繋いでやることが一番大事で。その下には植物の根がすぐあるわけですよね。植物が小動物たちの送ってくれる空気を受けて呼吸をしながら、また根で大地へ空気を送っていくっていうことを、風と雨が地上と地下を繋ぎながら、動植物とスクラム組んで循環の機能を地表面で担っているわけです。それを応援するように、自分たちの生活している敷地や道や場を、植物を中心に根の周りを、呼吸をしやすいように空気を送ってやるようにぽこぽこ掘ってやると、それがみんなの生態系の連携を生んで地下にどんどんひび割れが入っていくんですよね。それが大地に脈として繋がっていって、それを動植物たちが応援してくれて、大地の土壌と地質の機能がさらに応援してくれて、地下水脈が育ってくるわけです。
本当に小さな生きものたちが、自分たちの生活空間を日常的に地上と地下で繋いでいるように、人の住環境の身近なところに地表面が塞がらないように掃除をする、ものを整理する、脈の動線を塞がない、草刈りをしてやる、木の枝を軽く払ってやる、そういう風通し作業を地上と地下で繋いでいってもらったら、みんなの生きものたちの共同生活、共同作業になっていきますから、それを実感していただいたら、こんなことができるんだっていう発見がきっとあると思うんですね。どの方も、個人でも家族でも集落でも、生きものと自然との結作業ができていく。これが環境改善を相乗的にプラスに繋いでいってくれるエネルギーになっていくと思いますから、それをぜひ学んでいただいたらありがたいと思います。
○最後に、もう二言ぐらい言い残されていることがあればお願いします。
じゃあ一つだけ。現代土木で全国的にやられてる土木整備の大きな一つの問題点。
大地は地球上どこをとっても「土」と「石」と「木」、この3つが組成というか、この3つの組み合わせでできあがっているわけですね。ところが現代土木は、この中の木をゴミにして出してしまう。開発のとき産業廃棄物として大地の中に有機物を組み込んではならないように、土の中に植物、有機物を入れてはならない法律もできてしまっている。私たちも、映画にも出てくる仙台の現場で伐採された樹木を活かそうと敷地に組み込もうとしたら、そこに生えていた植物たちを大地の中に組み込むのは法律違反だっていうことで、住民の方に訴えられちゃった。最終的には弁護士さんがうまく受けて解決したんですけど、そういう法律になってしまっているぐらいなんですよ。
明らかに大地の健全な組成として、有機物がない土と石の大地をつくっていったら、有機物は生きられなくなる。いま、生物環境の一番大元の環境機能を損ねる開発になってしまっているんです。単純なことなんです。
昔の土木がなぜ「土木」という字なのか。ここを本当に見直してもらったら、この言葉の意味も「杜」の意味も見えてくると思うんですね。建物は、実は一本の植物の機能そのものなんですよ。大地の中に根を張り、地上に枝を広げて、光合成をしながら息をしている。建物は植物から生まれたわけですけど、その建物は大地の土と石と木、植物の根っこを含めた、そういう組成の中で空気と水が循環し、縁の下から柱も壁も屋根裏も含めて、空気と水が循環する住環境であることが、建物の本質だと思うんですね。それが大地が呼吸できない状態のコンクリートの打ち方になり、密閉型の空間にして、中に人工的な空調機を入れるっていうシステムで息づいている建物は、どうしても自然の機能が損なわれた別の環境になっている。大地も含めた大元の環境が見直される必要があると思うんです。
難しいことはいらない。単純にこれだけ、大元の機能が損なわれてるっていうことをいまの時代が単純に見直して、研究をし直していってくれたら、急速に環境改善が見えてくると思うんですね。そのことの大元をぜひ見ていただけたらと思います。