封切りから半年。各地の上映と『阿賀に生きる』のこと
4/15の封切りからまる半年が過ぎました。10月19日現在、沖縄シアタードーナツ、香川ホールソレイユで公開中。こんなに長く、途切れることなく劇場公開が続いているのは、ひとえに口コミと「この映画を観たい。上映してほしい」という声の力だと思います。ほんとうに嬉しく、ありがたいことです。10/30~深谷シネマ、12/2~Morc阿佐ヶ谷でのアンコール上映に加えて、11/18~別府ブルーバード劇場での上映も決まりました。初日には監督トークにも伺います。是非、地域で頑張っているミニシアターを応援してくださいね。
一方、この秋は週末ごとに自主上映会も全国で開催。10月に入ってから、青山ウィメンズプラザ、創価大学、南紀白浜のクオリティソフト社内のホール、朝日新聞社内イベントホールに、監督トークで呼んでいただきました。
どの会場にも主催者の方の澄んだ志と情熱、集まられた方の清新であたたかい「気」が通っていて、心が揺さぶられました。
『杜人』の旅は、さまざまな出逢いを運んできてくれます。
実は1992年に公開されたドキュメンタリーの名作『阿賀に生きる』(佐藤真監督)を、私はこれまで観ていませんでした。それが、9月24日新潟シネ・ウインドに大熊孝さん(新潟大学名誉教授)が来てくださり、声をかけてくださったことから10月10日、16ミリフィルムで観る機会を得ました。『阿賀に生きる』30周年イベントで、大熊先生、撮影の小林茂さん、キーパーソンの旗野秀人さんらも集結。大熊先生のミニ講演やシンポジウムもありました。
この映画は、ご存知の方も多いと思いますが、文字通り阿賀野川流域で暮らす3組の老夫婦の日常を捉えたものです。湿地帯の、重く植物の根が絡み合った土を耕し、昔ながらの稲作を続ける長谷川さん夫婦。この川をゆく舟のほとんどを造ってきた遠藤さんご夫婦。そして、餅つき名人の加藤さんご夫婦。70代後半から80代前半の、永く自然とともに暮らす主人公の顔、言葉、動きには、人間という動物の本質が凝縮されているようでした。
それは、自然の恵みと厳しさを両方知ってその懐に抱かれるように生きているということ。そして、暮らしの中で人と人が団子のようにくっつき合って、それが他の生きものにも通じ、情となって通っていること。
かつて阿賀野川で遡上してくる鮭を「鈎(かぎ)流し」と呼ばれる一本釣りで何尾も釣ったという長谷川さんが、飲みながら「鮭の母性っていうのはよう……」と話し始めるとき、それは隣にいる妻のことを話しているようでもあり、生きもの全般を語っているようでもあり……。そのうちにぱたりと眠ってしまうシーンが、いまも目の奥から離れません。というか、思い出されて仕方がないのです。
かつては木舟造りの名人だった寡黙な職人、遠藤さんが、長いブランクを経て舟造りを教える決心をして、出来上がった舟が滑るように川をゆく様子を見た日の嬉しそうな目とわずかに綻ぶ口元。
80歳を超えた加藤さんが杵を振り下ろす様子、つきたての餅を一気に運ぶ動きには、とても真似できないと目を見張ります。
この映画を撮ったのは20代の若者たち。ほぼ素人の七人が家を借り、3年間住み込んで、その地の風を感じ、土の匂いを嗅ぎ、川音を聞き、地域に暮らす人々と食べ、話し、笑い、生活して創り上げた一本の映画。フィルムの時代、膨大な製作費を集めた委員会の代表を大熊先生が務め、1400人から3000万の寄附が集まり、足りない1000万は、ロバート・レッドフォードが代表を務める映画祭の賞金で見事に補填されたそうです。
大熊先生のミニ講演での「川の定義」、深く心に刺さりました。
「川とは、山と海とを双方向に繋ぐ、地球における物質循環の重要な担い手であるとともに、人間にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾の中に、ゆっくりと時間をかけて、人の“こころ”と“からだ”をつくり、地域文化を育んできた存在である」
遠藤さんがガラスが1枚空いたままの窓をそのままにして、そこからツルを伸ばして咲く朝顔を愛しそうに眺める姿は、人間の進むべき未来を示しているようです。
彼らは皆「新潟水俣病」の患者、被害者でもありますが、それが声高に叫ばれることはありません。
いまは亡き監督の佐藤真さんは、どんな想いで彼らを、川を、撮り続けたのか。
「この映画はね、100年生きるよ」と言われたそうですが、映画に刻まれたいのちの在り方は永遠だと思います。
またまた長くなりました。金木犀が満開です。どうぞ、去り行く秋を、満喫してくださいね。
どこかの会場でお目にかかれたら幸せです。
2022.10.19 前田せつ子