福島から山形、そして浜松の奇跡へ!
さて、上映が相次ぐ7月の折り返し地点、7月15日は福島へ向かいました。東日本大震災以降、「福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク」という市民団体をやっていますが、そこで出逢った有機・自然農業に勤しむ方々も観にきてくださって、久しぶりの再会を歓び合いました。
フォーラム福島は、フォーラム山形に続いて出来たミニシアターで、東北地方の文化・芸術を育んできたところ。近くにイオンシネマが出来るニュースが飛び込んできたときは、なんと反対運動まで起きたとか。それほど地域の皆さんに愛されてきた劇場で、開館時から関わり、永く支配人を務める阿部さんは、エンタメ業界一筋で生きていらした方。今度ゆっくり映画のお話を伺いたいと願いつつ、お蕎麦を食べて別れました。
翌日はフォーラム山形。8.11山の日まで続く「山をめぐる映画の旅」特集のトップバッターに選んでいただき、錚々たる顔ぶれに身の引き締まる思いでした。
30分のアフタートークでは、「深い森の中に矢野さんが佇んでいるチラシのビジュアルがとても印象的。ひとり矢野さんはどこを見つめているのか。世界の終わりを見つめているようにも思える」と客席から質問が。「やってもやってもキリがなく、大地は詰められていく。絶望しないのだろうか」と。
「わずか5cmの小さな点穴が遠くの尾根まで伝わって、一瞬で空気と水の循環を促すことを矢野さんは知っている。自然が再生する力を信じている。絶望している暇はないと思う」と答えましたが、そんな答えでよかったのかはわかりません。
7月17日、18日は曇天時々雨の予報が見事に外れて、夏の雲と青い空が絵のように広がる日に。まず訪れたのは遠州灘をぐるりと囲む防潮堤。東日本大震災後に急ピッチでつくられた防潮堤の周辺は空気が動かず、周辺の松は傷み、苦しい表情を見せていました。
日本三大砂丘の一つ、中田島砂丘も観てから訪れたのは、浜松シネマイーラ 。今年2月、まだ封切り前のこと。他のドキュメンタリーの上映館リストを見ながら榎本支配人にお願いの電話をしたところ「そんなふうに一方的に説明されても、正直言ってあなたの映画はうちでは上映できないと思うよ」という返事が返ってきました。
聞けば、都内がアップリンク吉祥寺単館でスタートする(規模の小さい)映画を、地方館でかけても席は埋まらない、とのこと。映画を気軽に観られる時代、ただでさえ映画館人口は減っているところにコロナ禍がもたらしたものは深刻で、どこのミニシアターも忍耐を強いられています。電話口から伝わってきたのは並外れた映画への想いで、最後に「まあ、環境に意識の高い人は多いから、地元の人たちがそういう運動を起こしてくれるなら別だけどね」と言われたとき、これは受けて立たねば! と思ったのでした。
電話を切ってすぐに連絡したのは、浜松で「ナインスケッチ」という造園業を営む田中俊光さん。大地の再生東海支部のメンバーでもある彼は「わかりました! やりましょう!」と二つ返事で受けてくださいました。
田中さんが繋いでくださったお二人の市議、倉部光世さん(菊川市)、鈴木恵さん(浜松市)と山口雅子さん(執筆業)と5人でZOOMミーティングを開いた時、私は運動の原点に引き戻された気がしました。
ポンポン飛び出すアイデア、誰々さんにも入ってもらおう、プレ・イベントを開くといいよね、そしたら、あの人にも入ってもらって……と、みるみるネットワークが広がって実行委員会が発足。6/19のキックオフ・イベントには、50人以上が県内から集まってくださったのでした。
シネマイーラ での舞台挨拶初日、客席は満員御礼。5人並んで挨拶をして、客席からも言葉を頂戴しました。翌日もほぼ満席。「シネマイーラ を杜人でいっぱいにしよう!」という当初の目的は本当に達成され、「いーら杜人」と名付けた実行委員会の皆さんの情熱と行動は、この後もシネマイーラ に奇跡をもたらしたのでした(1週間7回の動員数583人は最高記録だそうです)。
「杜人」が目指すのは、映画の成功よりも、自然界の生きものたちと人間が「結」を取り戻す一助となること。目的と手段は容易に入れ替わるものですが、山口雅子さんが牽引する実行委員会から学んだのは、運動の魂と言ってもいいものでした。
学びへの情熱と善き未来に向かって行動する志。人が人であることの意味と希望を痛感しながら、杜人の旅はまだまだ続きます。
2022.7.28 前田せつ子
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