未来へのヒントは過去にしかない〜2022年のクリスマスに〜

 

 

 寒波襲来。停電の中、カイロと防寒着で一日一日凌いでいらっしゃる方、雪かきでヘトヘトに体力を消耗された方、体調を崩されている方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 今朝の東京は風もなく、冬至を過ぎた太陽があたたかく降り注ぎ、植物も鳥もホッとした表情を見せていました。

 

 公開から8カ月と10日。息の長い応援をいただき、奇跡的にいまなおロードショー公開が続いています。改めて心より御礼申し上げます。ありがとうございます。

 この間、監督トークで伺った劇場、自主上映会場は合わせて48箇所。トークはのべ84回。85回目のアフタートークは12月27日、Morc阿佐ヶ谷で12:50回終了後に決まっています。光栄なことに、劇場からのオファーで、公開時に推薦コメントをくださった龍村ゆかりさん(『地球交響曲』プロデューサー)と一緒に登壇させていただくことになりました。

 残念ながら私には『地球交響曲/ガイアシンフォニー』という壮大で深い洞察と祈りに満ちた作品について述べる資格はありません。第一番がつくられた1992年、私は会社員。自分のことに精いっぱいで地球についてほとんど何も考えていなかったからです。あの頃、バブルは崩壊していたとはいえ、まだ経済至上主義は続いており、環境問題は現在ほど危機的状況ではありませんでした。実際には加速度を増して崖っぷちへと突き進んでいたわけですが、切実に感じとっていた人々はまだ少数派。実際、『第一番』が完成した時、人々の反応は冷たかったそうです。

 現実世界を生きる人々に、その生活の根底を揺るがすような警鐘を鳴らす人は疎んじられます。それが真実であればあるほど、なおさらに。

 でも、強い信念に貫かれたこの作品に共感・共鳴する人は少しずつ増え、昨年完成した第九番を含め全9作が、現在ではのべ250万人を超える人々に届いています。

 第一番はとくに生まれたての子どものように興奮と感動に溢れていますが、中でもこの時期思い出すのがアイルランドのニューグレンジ。先史時代(5000年前!)につくられた「羨道墳(せんどうふん)」(王の遺体が安置されている空間まで狭い通路羨道が続いている古墳)で、一年に一度、冬至の朝にだけ光が王の墓所を照らすつくりになっているものです。

アイルランド・ミース県の小高い丘に建つニューグレンジ(2017年夏撮影)。エジプトの大ピラミッドより古いという
この石を積むのにどれほどの労力と時間を費やしたのだろう
5000年前につくられて以来、一滴の雨水も漏れたことがない完全ウォータープルーフ。
最近になって入り口はコンクリートで補強されたが、屋根にあたる部分は一切手を加えていないとか。
冬至の朝にだけ真ん中の細い通路を通った光が中央の墓所に届く

 当時の人々が天文学、地学、物理学に通じ、現代でも及ばない高度な文明を持っていたことを証明するものですが、詳しいことはわかっていません。そして、この遺跡のシンボルとも言えるのが、大きな石に刻まれた文様。

5000年前の人々が描いた渦巻きの文様!

 現代人が「科学」と名づけて最先端をいっているかのように思い込んでいるものは、実はとっくに発見され、検証され、淘汰されたものかもしれない。この渦が示すものにいまこそ想いを馳せるべきかもしれません。

 哲学者の内山節さんが先週、こんな話をされていました。

「未来を考えるとき、ヒントは過去にしかない。一つの考え方が壁にぶち当たったとき、現在の問題意識をもって過去から学ぶことしかない」(12/17 陽楽の森連続講座第7 回「自然との関係を通して現代社会を捉え直す」)

 日本列島に平均して30〜40万人住んでいたという縄文人は、なぜ1万年以上も変わらない暮らしをしていたのか。なぜ生産性の向上など考えなかったのか。過去に学ぶことで精度を増した未来が見えてきます。

 さらに、こう仰いました。

「江戸期までの日本には、宗教も信仰も存在しなかった。神も仏も存在していたけれど、それらは特別の精神世界を意味するものではなく、日々の暮らしのなかに埋め込まれているものだった。かつて人間の中には死者も含まれ、自然の向こうには神仏があった。自然と生者と死者と神仏の社会。これがかつての日本の社会観」

 目まぐるしく流れてくる情報と一旦距離を置いて、見えない世界に心を寄せる静かな時間が、いまとくに求められているように感じます。

 12月27日のアフタートークは、龍村さんから未来への眼差しを示していただきながら、客席の方々と一緒に、新たな時代へのパースペクティヴが共有できるような場になるといいと思っています。劇場サイトで現在予約受付中。劇場では最後のトーク。お目にかかれると嬉しいです。

 

    2022.12.25 前田せつ子

P.S.年が明けて1月8日からは逗子のCINEMA AMIGOで新春アンコール上映があります。

また、1月22日上津役シネマ、2月4日〜5日ミクスタ・D・シネマ、2月25日〜26日東田シネマと、矢野さんの故郷・北九州での上映も続きます。

岡山シネまるむすび、江古田映画祭をはじめ、各地で新春以降の上映も決まっています。

2023年も、どうぞよろしくお願いいたします。

ニューグレンジへの道の途中、やってきてくれたクックロビン

 

冬本番を前に、足元から希望の灯を!

本格的な冬がやって来ました。

迎撃ミサイルを含む国防費の増大が閣議決定され、2011年の事故以降、極力削減と位置付けられていた原発を「最大限活用していく」ことが表明される一方で、地球規模の気候変動に対しては机上の「脱炭素シフト」が叫ばれるだけ。

国産のアサリを店でほとんど見なくなったように、海の生きものも、山の生きものも減っているのに、人間目線、経済優先で突き進む現状に、寒さ以上に心が凍りそうになります。

いや、こんなときこそ、足元を見つめて、地を這うように進み続けなければ。

封切りからこれまで、一日も途切れることなく全国で劇場上映が続いてきましたが、12月1日だけ空白を挟んで、2日からはMorc阿佐ヶ谷で4週間のアンコール上映中です。

こんなに長く上映が続いているのは、足を運んでくださった方が口コミで広めてくださったおかげです。
改めて厚く御礼申し上げます。

Morc阿佐ヶ谷では12月のイチオシ作品としてリーフレットの表紙に載せてくださいました。29日までですが、都内はそれがほんとうに劇場最後。27日12:50~上映回後には、最後のアフタートークに伺います。
この日は劇場からのオファーで、『地球交響曲』プロデューサー、龍村ゆかりさんと一緒にお話しさせていただくことになりました。
封切り前に推薦コメントをお願いしたものの、実際にお会いするのは今回が初めて。
龍村さんは、美しいピアノ曲を提供してくださった水城ゆうさんとも長く親交がおありだったので、そのお話も伺いたいと思っています。
Morc阿佐ヶ谷は『荒野に希望の灯をともす』をはじめ他の映画のラインナップも素晴らしいので、是非チェックしてみてください。

https://www.morc-asagaya.com/2022/12/15/moribito-g…

年が明けて神奈川では、CINEMA AMIGOで1月8日から再々再上映していただくことになりました。2022年を代表する作品として、だそうです。自主上映会が増えている中で、年を越して映画館で上映していただけるのはほんとうに珍しく、嬉しいことです。福岡の東田シネマさん、岡山のシネまるむすびさんでも、新春上映が決まっています。詳細は改めてお知らせしますね。

12月8日には福聚寺のある三春町で上映会が開かれました。全3回上映で、1回目、2回目は、なんと町内にある田村高校の1年生、2年生が授業の一環で鑑賞!

「行きつけの杜」プロジェクトで植林活動に取り組む三春VIVOの渡部友紀さんと登壇しました

「ずっと観ていたい映像でした」
「土の中の環境にそんなに興味はなかったけれど、水溜りが土砂崩れの原因になるとわかって、できることをやっていきたいと思いました」
など、嬉しい感想をいただきました。

一般向けの夜の回には、三春町の教育長も。
「子どもの頃を思い出しました 」
「コンクリートは全部外さなくてもいいんですね」
「人間は自然と共にしか生きられない。子どもたちに伝えていきたいと思います」と感想を寄せてくださいました。

上映の間に福聚寺を訪れて驚いたのは、ヤマゴケが増えていたこと。以前伺ったとき、「苔むした寺にしたいんです」と仰っていたご住職の玄侑宗久さん。やっと念願の苔が増えてきたことはもちろん、植生の変化、風の通りを日々感じていらっしゃることでしょう。

境内はやわらかい草地となり、苔むしてきていました
来春も見事な花を咲かせてほしい愛姫の桜

さて、10月24日日比谷図書文化館で行われた中村桂子さん(生命誌研究者)と矢野智徳さんのトーク、改めて紹介しておきます。短い時間ながら「生きものとしての人間」に迫る対談です。生きもの研究の最前線を走り続ける科学者と、自然と対峙して現場を科学し、真理を追求してきた造園家の言葉に込められた深い意図を、祈りを、感じてください。

25分のダイジェスト版はこちらです。

さあ、ここからは、この間のご報告を一気に。

別府ブルーバード劇場で92歳の館長・岡村照さんを囲んで

岡山県の西粟倉村にあるあわくら図書館にも呼んでいただきました。ここは合併を拒否し、林業でやっていくことを宣言した人口1500人の村。間伐材で作られた美しい図書館には村役場が併設、子どもの図書館と遊び場も!

下のフロアは子どもの居場所。滑り台で。ここは風力発電もメガソーラーも誘致しないと決めているとか

藤野藝術の家での上映会は、地域で活動している方々のパネル・トークが素晴らしかった!

地域の結が形になった上映イベントでした。アンケートの回収率も、書き込みも凄まじかったです

東慶寺の大地の再生スタディツアーにも伺いました。息を取り戻した境内は紅葉も鮮やかに、リスの鳴き声が響いていました

倒れたナラをそのまま生かして周囲を息づかせる

エンディングシーンに登場する日野おちかわの里で開かれた4回目の大地の再生講座では、水溜りを矢野さんが検知棒で突くと、一気に小川に! 

おとなも子どもも結作業

講座が終わって、焚き火を囲んでシェアタイム。子どもの遊び場をみんなで再生したこの場所は、落ち葉がまんべんなく大地を包んで、足底にあたる地面も柔らかく。来年1月14日には七生公会堂で上映会を主催されます(予約不要だそうです)。

2022年もいよいよあと2週間。
あたたかい希望の灯をともして、良い年をお迎えください。

 2022.12.18  前田せつ子

「コナラが教えてくれたこと」2000-2022@国立

 11月10日(木)、12日(土)、地元である国立で上映会が開催されました。12日は、Motion Gallery杜人プロジェクトのリターンで行われる矢野さんのトーク付き上映会。かつて国立市民だった矢野さんにとっても、私にとっても、熱い想いが込み上げる日になりました。

 初めて国立で、ドキュメンタリーの自主上映会をしたのが2007年10月。バブルの頃に音楽雑誌をつくり、好きなことをして、環境問題を真剣に考えることもなく暮らしてきた私が初めて「市民運動」として行った上映会でした。

「いのちの海に放射能を流してはいけません!」

 リンカランという雑誌で連載を担当していた辰巳芳子さんの怒りを目の当たりにして、慌てて観に行った鎌仲ひとみ監督の『六ヶ所村ラプソディー』。続いて観た『ヒバクシャ〜世界の終わりに』に、空が落ちてくるような衝撃を受けたのを忘れません。

 知らなかった、では済まされない、この国の、世界の原子力政策。受け取ったものが重過ぎて、誰かと分かち合わずにはいられず、仲間を募り、女たち12人の実行委員会をつくり、上映会を開催しました。延べ400人近い方が観に来てくださったこの日、鎌仲監督が語られたこと。

「イラクに落とされた劣化ウラン弾からの被曝で子どもたちが亡くなっていく。その原料は日本の原発から排出された核のゴミだった。ラシャという少女は私に言った。『私を忘れないで』。その約束を果たすために私はドキュメンタリーを撮っている」

 鎌仲監督の映画は全部国立で上映すると決めて、2010年、ピースウィークinくにたち「まちじゅうが映画館」で『ミツバチの羽音と地球の回転』を上映し、2012年『内部被ばくを生き抜く』、そして2015年、原発事故後の女たちの奮闘と希望を描く『小さき声のカノン』をくにたち市民芸術小ホールで上映しました。

 その時一緒に実行委をやった仲間たちが、今回「くにたち映画祭2022」の一環として2日間、さくらホールと芸小ホールで『杜人』を上映してくれました。私にとってはもちろんですが、12日の上映会は、矢野さんにとっても大切な会になりました。

 2000年。かつて矢野さんが国立に住んでいた頃、一本の立派などんぐり(コナラ)の木が伐採されることになりました。まちができる前、雑木林だった頃からたくさんの生きものを住まわせ、木陰をつくり、実をたわわに実らせて小動物たちを育んでいたその木が人間の都合で伐られることになったとき、多くの市民から声が上がったそうです。

「なんとか生かす方法はないものか」と、有志が矢野さんに相談、矢野さんは「引っ越し」に挑戦しました。

 クレーン車を使い、歩行者も止める大きな工事。かかる費用は、「百歳どんぐり募金」を募ったそうです。

見守る市民(当時の写真)
交通規制で歩行者を止め、クレーン車も使う大工事。なんとかコナラをいのちを繋ごうとしたが……

 けれども、泥水がしみ込んでコンクリートのように硬くなった地下3mの礫層を穿つには時間が足りず、移植後1年半に渡って必死に手を尽くしたものの、結局コナラが新たな場所で息をすることはありませんでした。市民の祈りは届かず、結局枯れてしまったコナラの木。そのことを矢野さんはその後もずっと宿題として抱えていました。

 コナラの木の移植を試みた大学通りと、矢野さんと出逢うきっかけになったさくら通り。芸小ホールに向かって歩きながらフィールドワークを行うことを決めたのは上映会3日前。にもかかわらず、岩永都議や当時を知る重松市議、小川市議、古濱市議をはじめ多くの市民が参加してくださり、一緒に歩きました。

「まさに、この場所です」と矢野さん。3m下の礫層に泥水が詰まり、コンクリートのような硬盤層を形成。
歩行者規制の時間制限でそこに穴をあけることができなかった

 

 大学通りも、さくら通りも、道路側溝と泥水が流れ込んだ礫層に囲まれ、抜きのない植木鉢になっていること、それで樹木が弱っていること、でも、それは移植ゴテ一つで改善できることを説明しながら、いまは谷保第三公園に横たわり、ほかの木々の呼吸を支えているコナラの木のところへ出ました。

「このコナラと一緒に植えた低灌木たちが他の木たちの呼吸を繋いでいるんです」と矢野さん。
硬く締まり、泥水が流れ出す状態だった谷保第三公園の地面から泥水が出なくなったという

「コナラの木を、無駄死にはさせない」。矢野さんの中で、上映会後のテーマは定まっていました。

「表層3センチでいい。少しやわらかくなったら、次は5センチ。小動物たちがやっているように
穴をあけることで空気流が地中に入っていく。息ができる環境になるんです」

 矢野さんのトークのテーマは「コナラが教えてくれたこと」。

 東京の大動脈が詰まって明治神宮の木々が瀕死の状態であること。

 大学通りという国立の大動脈も詰まっているけれど、そこに市民で点穴をあけていくことで息を吹き返すこと。

 矢野さんの話は、一本の木のいのちに向き合うことは、あらゆるいのちの根源に向き合うことであり、植物のいのちへの鈍感さはあらゆるいのちへの鈍感さに繋がることを実感させてくれました。

 都市のど真ん中で起きていることも、わずか11年で事故被害などなかったかのように推進に舵を切った原子力政策も、森林、山の生きものを薙ぎ倒して進む再エネも、根っこは同じ。でも、絶望している暇はなく、足元を見て進むだけです。共感し、共に怒り、共に動くことができる仲間がいれば、できるはず。

300席の会場が満席に。実行委の情熱の賜物ですが、こんなに仲間がいることを心強く思わずにはいられません

 

青梅シネマネコをいっぱいにしたチーム青梅のメンバーも
じゃらんじゃらん小舎のみなさまも
会社員だった頃の同僚も
畑仲間も
実行委のみんなも!

 フィールドワークを含め、矢野さんのトークは改めて、何らかの形でお伝えしたいと思っています。どんどん宿題が溜まっていきますが、頑張りますので、気長にお待ちくださいね。

桐朋学園の大塩先生、ガーデンデザイナーの正木覚さんも参加してくださいました。足元からの環境改善、始めましょう

   2022.11.28 前田せつ子

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「ホピの予言」を伝える辰巳玲子さんとの出逢い

 11月5日、待望の対談が実現しました。

 アメリカ・インディアンと呼ばれるようになった人々の大切なメッセージを、『ホピの予言』という映画を通して、また、彼らとの交流や現地への旅を通して伝え続けるランド・アンド・ライフの辰巳玲子さんは、いつか矢野智徳さんと出逢ってほしいと願う方のおひとりでした。

 私が初めて玲子さんに出逢ったのは2008年。初めて『六ヶ所村ラプソディー』を観た自主上映会の主催者さんが、「絶対観たほうがいい」と『ホピの予言』の上映会を企画、開催。文京区での上映会にいらした玲子さんは、インディアンドラムを叩き、四方に祈りを捧げて、その会を始められたのでした。

 太古の昔から大地を護り、あらゆる生きものとともに暮らしてきたインディアンと共通する言葉、暮らし方、生き方を感じずにはいられない矢野さんと玲子さん。お二人に出逢っていただくことは、『杜人』を撮り始めた頃からの夢でもありました。

 「鬼の結と大地の再生まつり」と題された群馬県藤岡市鬼石での2日間のイベントの初日、11月5日。その場に響き渡ったのは、法螺貝とインディアンドラムと祈りの歌でした。

長命山寿光寺の中山ご住職率いる法螺貝隊と玲子さんのインディアンドラムと祈りの歌で、祭りの場は開きました
神流川(かんながわ)が流れる鬼石というまち。中山ご住職によると、古来、人は人知の及ばぬ畏れの対象を「鬼」と呼んだ。自然とは鬼であり、鬼石では節分日も「福は内、鬼は内」なのだそうです
倉を改装した会場は満員でした
大きな木が見守る中で
子どもも大人も楽しい祭りになりました
出展者の一つ、なないろごはんのオーガニック・ベジランチ

 第1部は上映会と監督トーク、第2部は1時間50分、辰巳玲子さんと矢野智徳さんのトークショー。始まってみればあっという間で、玲子さんは何度も矢野さんを「インディアン」と呼び、矢野さんはホピの生き方に共感。お二人の底を流れるものが合流し、新たなうねりを生み出す瞬間に立ち会えた気がします。

 この日のトークも、文字起こし、あるいは動画の形で、きちんとお伝えしたいと思いますので、しばらくお待ちくださいね。

「平和の民」ホピが伝えてきた人間の生き方を実践するお二人のトークは軽やかに弾みながらも深く、白熱したものになりました
たくさんの実行委員の皆さんの想いと行動の積み重ねの上に、実現した祭り

なぜ、この大木は伐られなければいけなかったのか。この場所から、また新たな物語が始まりそうです

 

泊めていただいたゴルフ倶楽部の宿泊施設からの眺め。ゴルフって……と思っていたけれど、元は自然の起伏地形の中での、牧歌的で伸びやかな遊びだったに違いない……と思った朝でした

 11月の上映会は濃厚過ぎて書き切れません。まだまだ報告は続きます!

    2022.11.28 前田せつ子

 

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中村桂子さん(生命誌研究者)✖️矢野智徳さんのトークショーに、長南町「結」の上映会!

鳳凰のような雲が迎えてくれた千葉県長生郡長南町の蒼い空

 前回のご報告から、ひと月以上間が空いてしまいました。この間、各地の上映会が充実し過ぎて、ご報告が追いつかず、申し訳ありません。何回かに分けて掲載していきますね。

 さて、10/17に開催された朝日新聞ボンマルシェ編集部主催の上映会ですが、10/27朝日新聞朝刊中面に掲載されました。同じ紙面に、大地の再生士、佐藤俊さんのインタビューが掲載されていたこともあり、反響もたくさんいただきました。ありがとうございます。

全面広告となっている紙面ですが、これに関しては広告でもタイアップでもありません

この日の上映会参加は読者の方から抽選ということもあって、環境に強い関心のある方が集まってくださったように思います

 

司会進行はボンマルシェ編集部の土井さん。話しやすい雰囲気をつくってくださいました

 10/24には、日比谷図書文化館内にあるコンベンション・ホールで、上映会に加えて、生命誌研究者の中村桂子先生と矢野智徳さんのトークショーが実現しました。

主催はNPO法人Green Worksさん。中村桂子さんと矢野さんの初顔合わせとなりました

 この日のトークの内容は、こちらに文字起こしをまとめたので是非お読みください。

 YouTube(ダイジェスト版)はこちらです。

「生きものとしての人間は上から目線ではいけない。他の生きものと手を取り合ってこそ、この地球で生きていくことができる」と意気投合されるお二人が印象的でした。いつか別の場所で、腰を据えた対談が実現することを願わずにはいられません。

 10/30には、今年1月に国立から千葉県長生郡長南町に引っ越したアーティスト、聖原司都子さんの「この指止まれ!」に始まる上映会が、なんともあたたかい雰囲気の中、開催されました。オープニングは長南中学吹奏楽部7名による演奏で、最後は「わたしをつつむもの」。町の風景、そこに暮らす人々を象徴するような、優しく純粋な音の響きは、からだ全体に沁み通り、浄化してくれるようでした。

 上映会場には、赤ちゃんからご高齢の方々まで、なんと250名の方が訪れてくださり、音楽を提供してくださった山口洋さん、地元でフリーランスの木こりをしている田島俊介さんと共に、トークの時間も楽しませていただきました。地域の「結」を肌で感じる、ほんとうに素敵な上映会でした。

 この日の様子は、長南町の地域おこし協力隊で実行委員をしてくださった田島幸子さんがブログにまとめてくださいましたので、是非、お読みくださいね。

真ん中が「さっちゃん」こと田島幸子さん
右から実行委代表の聖原さん、山口さん、左が田島俊介さん。細田美紀さんからいただいた自然栽培の蓮根を手に、記念撮影!
この上映会をきっかけに、草の根の環境改善、地域の「結」が育っていきますように!

 渦を起こすのは、たったひとりの想い。誰かの純粋な願いとものいわぬいのちに寄り添い、世界が善き方向へ向かうことを祈る強い気持ち。その想いが地下水脈のように繋がり、じわじわとタフな草の根を伸ばしていることを実感する日々です。11月の濃厚な上映会は、続いてご報告しますので、しばしお待ちくださいね。

  

 12/2〜東京・Morc阿佐ヶ谷、12/3〜大分・シネマ5で上映が始まります。4/15〜続いてきた劇場公開もいよいよ最終。私も12/5、27には阿佐ヶ谷に伺います。自主上映会はこの後も全国で上映が続きます。是非、チェックしてください。

     2022.11.28 前田せつ子

封切りから半年。各地の上映と『阿賀に生きる』のこと

 4/15の封切りからまる半年が過ぎました。10月19日現在、沖縄シアタードーナツ、香川ホールソレイユで公開中。こんなに長く、途切れることなく劇場公開が続いているのは、ひとえに口コミと「この映画を観たい。上映してほしい」という声の力だと思います。ほんとうに嬉しく、ありがたいことです。10/30~深谷シネマ、12/2~Morc阿佐ヶ谷でのアンコール上映に加えて、11/18~別府ブルーバード劇場での上映も決まりました。初日には監督トークにも伺います。是非、地域で頑張っているミニシアターを応援してくださいね。

南紀白浜、三段壁

 一方、この秋は週末ごとに自主上映会も全国で開催。10月に入ってから、青山ウィメンズプラザ、創価大学、南紀白浜のクオリティソフト社内のホール、朝日新聞社内イベントホールに、監督トークで呼んでいただきました。

 どの会場にも主催者の方の澄んだ志と情熱、集まられた方の清新であたたかい「気」が通っていて、心が揺さぶられました。

 

女性たちが実行委を務められた青山ウィメンズプラザでの上映会。満員御礼でした
創価大学では授業の一環として教室で上映。フィールドワークに繋げていくそうです
南紀白浜での上映会はクラファンのリターンで実現したもの。自然栽培でみかんを育てるイベファームさん主催

 

ここでも実行委は女たちが元気

 

朝日新聞社さんのイベントホールで、ボンマルシェ読者さんを招待して開かれた上映会
ボンマルシェ編集部の皆さま。記事は10月下旬に載るそうです

  

『杜人』の旅は、さまざまな出逢いを運んできてくれます。

 実は1992年に公開されたドキュメンタリーの名作『阿賀に生きる』(佐藤真監督)を、私はこれまで観ていませんでした。それが、9月24日新潟シネ・ウインドに大熊孝さん(新潟大学名誉教授)が来てくださり、声をかけてくださったことから10月10日、16ミリフィルムで観る機会を得ました。『阿賀に生きる』30周年イベントで、大熊先生、撮影の小林茂さん、キーパーソンの旗野秀人さんらも集結。大熊先生のミニ講演やシンポジウムもありました。

アテネフランセで開催された『阿賀に生きる』制作30周年記念イベント

 この映画は、ご存知の方も多いと思いますが、文字通り阿賀野川流域で暮らす3組の老夫婦の日常を捉えたものです。湿地帯の、重く植物の根が絡み合った土を耕し、昔ながらの稲作を続ける長谷川さん夫婦。この川をゆく舟のほとんどを造ってきた遠藤さんご夫婦。そして、餅つき名人の加藤さんご夫婦。70代後半から80代前半の、永く自然とともに暮らす主人公の顔、言葉、動きには、人間という動物の本質が凝縮されているようでした。

 それは、自然の恵みと厳しさを両方知ってその懐に抱かれるように生きているということ。そして、暮らしの中で人と人が団子のようにくっつき合って、それが他の生きものにも通じ、情となって通っていること。

大熊孝先生のミニ講演。科学者の視点を超えて生活者の視点、生きものとしての人間観に貫かれていました

 かつて阿賀野川で遡上してくる鮭を「鈎(かぎ)流し」と呼ばれる一本釣りで何尾も釣ったという長谷川さんが、飲みながら「鮭の母性っていうのはよう……」と話し始めるとき、それは隣にいる妻のことを話しているようでもあり、生きもの全般を語っているようでもあり……。そのうちにぱたりと眠ってしまうシーンが、いまも目の奥から離れません。というか、思い出されて仕方がないのです。

 かつては木舟造りの名人だった寡黙な職人、遠藤さんが、長いブランクを経て舟造りを教える決心をして、出来上がった舟が滑るように川をゆく様子を見た日の嬉しそうな目とわずかに綻ぶ口元。

 80歳を超えた加藤さんが杵を振り下ろす様子、つきたての餅を一気に運ぶ動きには、とても真似できないと目を見張ります。

 この映画を撮ったのは20代の若者たち。ほぼ素人の七人が家を借り、3年間住み込んで、その地の風を感じ、土の匂いを嗅ぎ、川音を聞き、地域に暮らす人々と食べ、話し、笑い、生活して創り上げた一本の映画。フィルムの時代、膨大な製作費を集めた委員会の代表を大熊先生が務め、1400人から3000万の寄附が集まり、足りない1000万は、ロバート・レッドフォードが代表を務める映画祭の賞金で見事に補填されたそうです。

 大熊先生のミニ講演での「川の定義」、深く心に刺さりました。

「川とは、山と海とを双方向に繋ぐ、地球における物質循環の重要な担い手であるとともに、人間にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾の中に、ゆっくりと時間をかけて、人の“こころ”と“からだ”をつくり、地域文化を育んできた存在である」

 遠藤さんがガラスが1枚空いたままの窓をそのままにして、そこからツルを伸ばして咲く朝顔を愛しそうに眺める姿は、人間の進むべき未来を示しているようです。

 彼らは皆「新潟水俣病」の患者、被害者でもありますが、それが声高に叫ばれることはありません。

 いまは亡き監督の佐藤真さんは、どんな想いで彼らを、川を、撮り続けたのか。

「この映画はね、100年生きるよ」と言われたそうですが、映画に刻まれたいのちの在り方は永遠だと思います。

百年後に生かすために、いまデジタル・リマスター版制作のためのカンパを募っていらっしゃるそうです。
詳しくは(有)カサマフィルム 代表 ⻑倉徳生さん e-mail: nagakura★kasamafilm.comまで(★を@に変えて送信してください)

 またまた長くなりました。金木犀が満開です。どうぞ、去り行く秋を、満喫してくださいね。

 どこかの会場でお目にかかれたら幸せです。

   2022.10.19 前田せつ子

 

矢野さんと、矢野さんの秘書、マネージャー、現場スタッフ……数えきれない役を務める岩田彦乃さん。二人の笑顔はいつも自然体
実家の金木犀もいまが満開

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願いは地域に根を張っていくこと

 青梅から新潟、そして南会津へ。秋の旅は続いています。

 青梅にあるシネマネコは昨年オープンした木造のミニシアター。6月に上映してもらった時がちょうど1周年記念で、初の満席御礼となったことも重なって、スタッフの方も喜んでくださいました。その後、アンコール上映も決まり、その延長線上で企画されたのが、シネマ✖️ライヴ企画〜山口洋ライヴイベント『未来につなぐ青梅の杜』。

 音楽を担当してくださった山口洋さんが、『未来につなぐ青梅の杜』をテーマに寄せられた写真・動画とコラボレーション。『杜人』と青梅を音楽でつなぐ、という志が漲る特別なライヴが、圓城寺裕子さん、熊田路子さん、遠畑瑞枝さんの「チーム青梅」を実行委として秋分の日に開かれました。

 ライヴ中の写真はお届けできないのですが、リハーサルと終了後の写真から雰囲気だけでも味わってください。

映像はHEATWAVEの作品に長く携わってきたアート・ディレクターの渡辺太朗さんが担当。テーマ別に選んでつないで、本番では動的に表現

 

当日のギターはこの三本!
青梅らしい、でも、誰にとってもきっと懐かしい風景。ジーンとする
山口さんは写真から受けたインスピレーションを音楽に変え、その場の空気を震わせていく
満席のお客様からたくさんの拍手をいただいて、無事終了。上映は10/13まで続きます!

 一般の方から「青梅」限定でお寄せいただいた写真はどれも、上手い下手など関係なく想いが溢れ、胸を掴まれるものばかりでした。映画の後のライヴという長丁場でしたが、お客様からは「青梅の魅力を再発見した」「なぜか涙が止まらなかった」「見慣れた風景なのにとても愛おしかった。この風景を大切に残していかなければ」「胸がいっぱい。このまま持ち帰ります」などの声が聞こえてきました。

 一夜限り、青梅限定のライヴ・イベント。生のギターが生み出す波、渦は、確かにその場の空気を震わせ、心に風と光を通すものでした。

シネマネコ初のライヴとなりました

 さて、9月24日は新潟へ。高田世界館に続いて新潟県内で2館目の公開となるシネ・ウインド。

市民映画館という名の通り、市民に愛されていることが伝わるミニシアターでした
嬉しい満席の札!

 ここで公開してもらえるようになったのは、星野千佳さんをはじめとするまちの方々の熱い想いと働きかけのおかげだと思っています。星野さんは大地の再生の手法で砂防林の松林の改善作業を続けていらっしゃり、この日は一緒に活動されている地域の皆さんもたくさん観にきてくださいました。なんと、『阿賀に生きる』製作委員会代表も務められた新潟大学名誉教授河川工学の大熊孝教授もみえて、10月10日に都内で開催される『阿賀に生きる』公開から30年記念イベントのお知らせもいただきました。

 アフタートークでは、星野さんと新潟大学農学部の粟生田忠雄先生にご登壇いただき、土中環境、新潟という地域の特性についてのお話をいただきました。

「新潟は日本列島の背骨。新潟が変われば日本が変わる」

 矢野さんの言葉を満席のお客様に伝えられた星野さん、矢野さんとともにこれからもフィールドワークを行いつつ研究を続けられる粟生田先生に、満席の会場からたくさんの拍手がおくられました。

とてもあたたかい空気で包まれた客席には、宮大工の小川棟梁、大地の再生メンバー、佐藤俊さんのお母様も!
シネ・ウインドの井上さん、9/30までよろしくお願いいたします!
(写真右から)星野千佳さん、斑鳩建築の小川棟梁、粟生田先生、初めて新潟で大地の再生講座を開かれた大島さん。松林の改善活動に参加したい、と仰って帰られるお客様もいらっしゃいました!

 さて、新潟からローカル線で南会津へ。

 

稲刈りを待つ黄金の波
かつては清流で、鮎釣り客で賑わった水無川。護岸工事ですっかり表情を失ってしまったとか
戦後、農業、林業を学ぶ学校として建てられた校舎を移築した奥会津山村道場
シンボルツリーの巨大な楡の木。弱っているのが気になるけれど……

「南会津地域をひらく未来研究会」主催の上映会は会津田島駅からすぐのホールで。

 

郡山や那須塩原からも参加してくださいました
実行委の馬場浩さんは自然農の農業者で南会津町議。同じく実行委の湯田芳博さん、馬場さんのご家族の皆さん、お世話になりました!

 上映後のフリートークで印象に残ったのは、会場からのこんな声。

「こういう映画、都会ではいいかもしれないけれど、このあたりじゃ受けないんじゃないの? 店の軒先にはどこでも除草剤が売られてる。自然が多すぎて慣れてしまって、草は敵以外何物でもないんだから」

 発言されたのは、70代を過ぎて有機農業を始められた方。近い言葉を、屋久島に撮影に行った時にも聞きました。でも、除草剤を撒いていた通学路も、「僕らが(風の)草刈りしますから」という提案が通って変化の兆が見えてきていつとか。もともと住んでいる人の意識も、移住者の視点、意識で変わっていくこともある。同じものを別の角度から見ると、別の良さが見えてくる。良いも悪いも見方次第。

 上映会に集まってくださった方は、それぞれに自分の地域をよくしたいと思われている方ばかり。実行委の馬場さんも、長く周囲から「農薬も肥料も使わないなんて、うまくいくはずがない」と変わり者扱いされてきましたが、いま国は輸入肥料価格の高騰で有機栽培を奨励する方向に動いています。

 封切りから5ヶ月と10日。この間、舞台挨拶&トークに伺ったのは計34会場、68回。上映をきっかけに『杜人』の根が少しずつ、その地に張っていくのを感じています。

「大事なのは、『足るを知る』ではなく『足らざるを知る』なんです」。矢野さんの言葉ですが、だからこそ、循環が生まれ、いのちは息づいていく。ここから、視点が変わり、行動が変わっていくことを、心から願っています。

   2022年9月26日   前田せつ子

『杜人』の旅は始まったばかり

 もうすぐ封切りから5カ月が経ちます。全国の映画館や自主上映会場を訪れながら、人生でもなかなかないくらいの濃厚な時間を味わわせていただきました。

 昨日、こんなメールを富山の「ほとり座」という映画館からいただきました。

『杜人』上映では、鑑賞後にお客さまが声をかけてくださることが多く、作品に励まされてとてもうれしそうに、驚いたことやさまざまな気づきをいっしょうけんめいに話してくださいました。「いまとても晴れやかな気持ち」とおっしゃってくださったお客さまもいらっしゃいました。そうやってお客さまと交流していると、いつの間にか劇場ロビーの『杜人』掲示コーナー前は観賞後のお客さまが何人か集まって共鳴しあっている、作品はそんな時間ももたらしてくださいました。

 即決して4/16から上映してくださった大阪・第七藝術劇場さんからは、こんなお言葉を。

『杜人』の上映、改めましてありがとうございました。当初の想定以上のロングランとなり、作品の持つ力観られた方々の口コミの力を見ることができました。

 9/12からアンコール上映が始まっている鹿児島・ガーデンズシネマさんからも、こんなコメントをいただきました。

 大地の呼吸を取り戻す。すごい方がいらっしゃるなと思いました。映画を知ることで大地も人の世も風通しがよくなり、生きやすい世の中になってくれればと願うばかりです。

 映画館の方がこんなふうに捉えてくださったこと、心からありがたい気持ちでいっぱいです。何より、映画が人と人、人と地域をつなぐ役割を果たしてくれていることが嬉しいです。

 自主上映会を開催してくださった方からは、こんな感想がシェアされていました。

「矢野さんは、すべてが渦として見えて、感じている方なのだと思うけど、この映画も大きな渦を作ってるなと思ったのでした。それにチョイ関われて、ホントによかったですよ。みなさんも主催者になれますので!」

「『杜人』によって伝えられたもの、私たちも身の回りから小さな変革を。種子はあちこちに蒔かれた。私たちもそれぞれの歩みを見つけよう、つづけよう」

「大きくてたくさんの人を対象にしたイベントではなく、小さく、より深く学び会えるイベントにしたい、と実行委員で何度も話し合って創りあげてきた。今、私たちに出来ることを、掴んだ瞬間」

 客観から主観に。客体から主体に。他人事から自分事に。人を繋ぎ、地域に根差してはじめて『杜人』は息をしていく。そのことを、しみじみ実感しています。

 主催者になることは、そこに自ら種を播くこと。実行委同士が繋がり、集まってくださった方々と話し、地域のことを考えることは、その種に水をやり、育てていくことです。ちょっと勇気を出して、小さな上映会を地元で開いてください。きっと、見えてくる風景が変わっていくと思います。

「杜人」の旅は、その名の通り、草の根の運動。是非、一緒に育てていただけると嬉しいです。

     2022.9.13 前田せつ子

  

111歳! 日本最古の映画館、高田世界館でも現在上映中!
若き支配人、上野さん
ナナゲイさんを訪れる日がまた来ますように
Morc阿佐ヶ谷、上映中です!
こんなにお洒落なロビー!
9/4、満席の横浜歴史博物館
東村山での上映会も140席が満席に。実行委の皆さん、ありがとうございます!
稲穂も稔ってきました。まだまだ旅は続きます!

地域密着型イベント「未来へつなぐ青梅の杜」

 各地でアンコール上映が決定していますが、9月になると引き続きのCINEMA AMIGOに加えて、鹿児島ガーデンズシネマ、青梅シネマネコ、山口情報芸術センターでの再上映がスタートします。

 青梅では、シネマネコでのアンコール上映に合わせて、地元の応援団“チーム青梅”が独自イベントを企画。
 題して「シネマ×ライヴ企画 山口洋ライヴイベント『未来につなぐ青梅の杜』」。

 地域✖️映画✖️ライヴの地域住民参加型のイベント、是非チェックしてみてください。

 (以下、主催者からのお知らせを転載します)

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「杜人」のサウンドトラックを手掛けた山口洋氏(HEATWAVE)が、特別企画として、青梅の映像に合わせてギターを生演奏する、音楽(山口洋)と映像(青梅)のコラボレーション。

「未来へつなぐ青梅の杜」をテーマ に、映像と音楽が響き合うことで広がる無限の世界を体験できる貴重なライヴです。 そこで、青梅の自然やそこに生きる人々を撮った写真や動画を大募集。 青梅は、東京にあって自然に恵まれた環境で、古き良き時代の面影が残る町並みや、人々のつながりが残る町。写真や動画を 募集することで、地元の人にとっても、日々大切にしている美しい風景を多くの人と共有できたり、当たり前すぎて気に留めなかった 青梅の良さに気付いたり、地域を見直すきっかけともなるでしょう。 市民参加型で、青梅の杜を探し、地域の宝を未来へ残していくためのアクションへとつなげます。 後半は、前田せつ子監督も参加して、山口洋氏との息の合ったフリートークを展開します。
「未来へつなぐ青梅の杜」ライヴに青梅の写真、動画を大募集!

「未来へつなぐ青梅の杜」をテーマとした写真、動画を募集します。あなたの周りにある、未来につなげていきたい、 大切に守っていきたい、元気を取り戻してもらいたい、そんな思いを込めた写真や動画をお送りください。

【募集要項】
1 動画は 3 分以内、mov か mp3 ファイルでお願いします。1GB 以下。音楽・音声は載せないこと。

2 写真は何点でもご応募できます。jpg/jpeg データでお願いします。10MB 以下。
こちらで、スライドショーのように他の作品と合わせて編集することをご了承ください。

3 撮影対象物は、テーマに即した青梅市内の風景、建物、人、動物、植物等。

4 ご応募に際しては、被写体の使用許諾をいただいた上でご応募ください。

5 撮影場所は青梅市内限定とさせていただきます。

6 応募者は青梅市民以外の方もご応募いただけます。7 お名前、メールアドレス、撮影場所をご記入の上、以下の宛先までご応募ください。
データが大きい場合はファイル転送サービス等をご利用ください。
【応募先】 omenomori⭐︎gmail.com(⭐︎を@に変えてください)
【応募締切】9 月 10 日(土)23:59 まで
【発表場所】9 月 23 日(金・祝)にシネマネコで行われる山口洋さんのライヴイベントで、山口さんの生演奏とともに シネマネコのスクリーンで上映されます。ご覧いただくには「杜人」特別鑑賞チケットが必要になります。 ※ご応募いただいた方全員の作品が上映できない可能性もあります。

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【シネマ×ライヴ企画 山口洋ライヴイベント「未来につなぐ青梅の杜」】

■日時:9 月 23 日(金・祝)16:00~17:41映画上映、18:00~ライヴイベント(前田監督とのトーク含む 2 部構成)

■場所:シネマネコ(東京都青梅市西分町 3 丁目 123)
■料金:特別鑑賞チケット 3900 円(映画鑑賞チケット及びライヴ鑑賞チケット含む、1 ドリンク付き)
■予約開始日:9 月 1 日(木)から申込受付開始。

■予約方法:9 月 1 日(木)以降、以下の URL よりお申し込みください。

https://omenomori0923.peatix.com 

■お問い合わせ先:omenomori⭐︎gmai.com(⭐︎を@に変えてください)

※映画鑑賞チケットのみ、ライヴ鑑賞チケットのみの販売はございません。 ※座席指定はできません。お申し込み順に前列から順の座席となりますのでご了承ください。 ※座席番号は、当日、上映の 40 分前より配布いたします。

前を向かないで、足元を向く〜矢野智徳さんトーク@ゆふいん文化・記録映画祭2022.7.24

 猛暑と豪雨が続いた夏も、そろそろ終わり。ヒグラシが鳴きはじめ、朝夕の風も変わってきました。

 豪雨災害の被害に遭われた地域の方におかれましては、まだまだ大変な状況が続いていることと思います。心よりお見舞い申し上げます。

 

 さて、7月にご招待いただいた「第24回ゆふいん文化・記録映画祭」に続いて、秋には「第31回しまね映画祭」のテーマ作品に選んでいただきました。歴史ある地域に根づいた映画祭にこうして選んでいただけたこと、本当にありがたく、光栄なことだと思います。

 ゆふいんでは上映後、矢野さんと1時間のトークをさせていただきました。この日は朝から「昔のまち歩きツアー」があり、矢野さんも参加。ゆふいんには、四国八十八ヶ所巡りのミクロ版とも言える道があり、この一部をめぐる映画祭のイベントでした。

 矢野さんと巡ると、自然も水の流れも豊かなゆふいんの風景も、また違って見えてきます。水辺、亀の井別荘、そして金鱗湖……。

 このツアーで感じたことも振り返りながらの矢野さんのお話がとてもよかったので、文字起こしを掲載します。かなりのボリュームですが、いま、とても大事な視点が示されています。どうぞ、お読みください。

 矢野です。よろしくお願いします。今日久しぶりに九州のゆふいんに寄らせていただきました。昨日は広島に、1ヶ月前にやらせていただいた、樹齢1000年の欅の木がある古い神社の環境改善の状態を確認に、半日寄らせていただいて、作業して、今朝ゆふいんのフィールドワークを見せていただくということで、作業着のまま……実は着替える予定でいたんですけど、残念ながら時間がなくなって(笑)、このまま登壇させていただくことになりました。今日はよろしくお願いいたします。

○矢野さんの映画を撮りたい、という話を受けて、矢野さんはすんなり許諾されて、一緒に映画をつくりましょうって進んできたわけですか?

 私は何も協力できなくて。前田さんに映画を撮らせてくださいって言われて、いやぁ、映画撮るって大変でしょう? っていう話をして。僕からは経済的な応援もできないし、現場は春夏秋冬、雨風台風も関係なく動いてましたから、簡単に仰ってるというか、映画を撮るってそんなに簡単にできることなのかなって思っていたんですけど、どうしても撮りたい、同行させてくれっていうことを言っていただいて。大変でよかったらどうぞっていう感じで、気楽に、どうぞっていうふうにお話ししました。

 でも、本当に雨の日も炎天下も昼も夜も関係なく、ずーっと一生懸命カメラを回してついてきてくれていて、やっぱりこの前田さんは本気だな、本物だなっていうか。現場のことをいろいろ話しながら、一緒に現場の人たちに合わせて行動を共にしてくれた。3年間丸々ですから、普通の方ではできないことをやっていただいて、結果としてこういう映像にして見せてもらったときに、僕らは本当に現場の裏方、社会の表とは違う裏方的なところで、この現実、実情をなんとか表に繋ごうと思ってやってきたんですけど、それを見事に表に繋いでくれる役を担ってくれたというか。おかげさまでこうやって上映始まって多くの方に知っていただいて、また新たな動きが生まれてきています。すごいことをやってくれた。

かつて、人の動線と自然の動線は、相乗的に機能し合って循環型に保たれていた

○ゆふいん文化記録映画祭の中のイベントの一つとして、今日午前中にゆふいんの昔を巡る体験ツアーというのが行われまして。矢野さんも同行していただいて、そのとき一緒に同行したスタッフが、他の人たちは立って周りを見渡しているところで、矢野さんは、しゃがんで土を見たりとか、これは視点が全然違うっていう話をしてたんですけど、矢野さんから見て、今日立ち寄った亀の井別荘のいまの状態ってどうなんですか?

 やっぱり由布岳を中心にゆふいんの自然は、九州の中でもトップクラスの生態系の豊かな場所だと思うんですね。そこにお遍路さんのような、88箇所の小さな、四国をミクロにした形の巡回路ができている。水脈と植物とお参りする場所がちゃんと設定されていて、それを巡りながらゆふいんという場所と生態系とか、人と自然の関わり、人の生活の仕方、そういうものを代々繋ぐような学びのシステムが生まれた。学びながら人と自然の関係を、人の生き方を再確認していく、そういう文化があったんだなって、見せてもらいました。でもこの時代ですから、コンクリートやアスファルトが造られて、人の動線もどんどん広げられて、住宅も木造建築からコンクリートになって、ゆふいんも日本列島も、ミクロもマクロも相似形のように、やっぱり開発の波が行き渡ってるんだなっていうのを実感しました。

 亀の井別荘の素晴らしい木造建築で、それから敷地含めて高木や下草を含めた豊かな生態系と人の生活、土地利用がうまく繋がれてきた歴史背景があったと思うんですけど、その場所が、高木を含めて地面がやっぱり滞って、息の苦しい状態になっている。

 88箇所、人の動線が整備されて、その「点」に当たる場所はどこも空気や水がよく通るポイントになっている。「脈」の「点穴」的な機能のように、言ってみれば「鎮守の杜」のミクロ版のように、ああいう場が設定されていると思うんですね。人の動線と自然の動線、脈の機能が相乗的に機能しあって循環型に保たれていく。そういう場を地域の方が守りながら、その場の機能を学びながら、実用と学びをセットにして、代々それを次の世代に繋ぐっていう歴史と文化があった。これから問われるのは、自然の生態系の循環の脈の機能と、人の土地利用含めた自然と人が共存できる、そういう視点と技術、学び、実用、それがちゃんと保たれていく地域づくり、ゆふいんの街並み整備ではないか、というのが実感です。

○即断はできないと思うんですが、今日行っていただいたところっていうのが、よく集中豪雨とか台風のときに土石流とか起きやすいところなんですけれども、環境再生的な視点で見ると、どうやったら改善できますか?

 金鱗湖ですかね。金鱗湖の場所、大きな自然の溜池みたいな場所になるわけですけど、脈の合流点。大きな由布岳の袂にある大きな脈の合流点が金鱗湖であって、そしてその脈を大事に保全しながら育みながら活用していく一つの手立てとして、そこに天祖神社っていうのがつくられたんだと思うんですね。神社の境内を大事に保全しながら活用していくっていうことが、地域の方達によって「結」の作業で繋がれて、「結」の作業をしながら代々その視点と技術が引き継がれていくっていう背景、歴史があったと思うんです。それが、江戸時代から明治時代になって、西洋文化、文明、技術がどんどん入ってきて、戦後、特に戦後の動乱期、日本列島改造を含めて急速に人中心の開発がなされてきた。すごく便利になった。便利になった分、実は自然の機能が無言のうちに損われていくっていうことに、気づかないで来てしまった時代が、現代なんじゃないかなと思うんです。

 結果として、気づいてみると、地球の3つの環境分野「大地」と「生物」と「気象」っていうこの機能が、全部異常になっちゃったっていうのがいまの時代なんですね。異常生物のまさに極めつけがコロナになっていると思いますし、大地も2019年の19号台風のときには日本列島が全域的に下流から上流まで、急峻な日本の風土の流域が一度に氾濫しているんですよ。ありえないことなんですよね。詰まるだけ詰まったんだなっていう。流域が、大地が、脈が、もういよいよ目詰まりしましたよということを見せてくれた災害が19号台風。水源域、高山帯までが崩壊するような状態が起きてしまっている。どの分野もそういう異常を起こしている状態なのに、まだ復旧は「固めて元に戻していく」作業っていうか。そこにあるものをゴミにして、自然が置いていってくれたものを、必要だから置いていってくれたものを、状態を、人優先の環境整備、開発にまた戻していくっていう。

 ここまでやられてるのに、ここまで無言に自然は訴えかけてきているのに、人社会はまだ変えないのかっていう。結局経済なくしてはありえない社会になってるから、経済を優先する、生活を優先するっていうことになると、自然に譲るっていう昔の視点はいとまがないっていうか、余裕がないというか。その余裕のなさをもう一度本当にグッと堪えて、我慢して、足元から見直してみると、復旧再生っていうのはどういう段を踏んでいかないといけないのか、見えてくるんじゃないかなっていうふうに思うんですけどね。

あきらめたくなったら、前を向かないで足元を向く

 私もね、この大地の再生を始めた頃は、もうこんなに開発して傷めて詰まらせてしまった大地の再生はそう簡単じゃないというか、できないんじゃないかっていうのをすごく思ったことがあるんですね。でもそのとき、映画でもお話ししたように、あきらめたら終わりだよなっていう実感があって、あきらめないで、じゃあもうとにかく前を向かないで、足元を向こうっていうか、先は考えないで目の前のできることから始めよう、あきらめないでできることから始めようっていうふうにして始めていったとき、実はこの再生は人が全部やらなくていいんだよっていうことを自然が教えてくれた。

 作業してると、次々に自然が応援してくれる実態が見えてきたんですよね。僕らが脈の改善をしていくと、大地の機能が応援して再生していくし、そうなると動植物の呼吸が再生してくるし。その大地と動植物、いわゆる生物環境が相乗的にプラスの動きを始めると、結果的に気象環境、空気と水を中心とした地上と地下の対流が相乗的にまた、つまり雨風が人の作業を応援してくれるっていう。

 それが実際に起きてきて、1ヶ月前に改善したあと現地に来ると、自然の生態系がどんどん応援してくれて、人がやった作業の桁違いなエネルギーを生み出す。本当に10倍以上の力で改善してくるんです。

 福聚寺さんにご依頼いただいたときも、初めて行ったとき、僕は逃げて帰らないといけないと思ったんですよ。ここに関わったらもういのちを失うなっていうか、自分のいのちが取られてしまうぐらい大変なエネルギーを必要とする環境改善になるなって思っていたので。正直、もう相談がこなければいいなと思って、黙ってそのまま帰ってきたんですけど、その年の暮れの31日に奥さんから電話がかかってきて、正月明けにすぐ来てくださいって言われて。31日まで連絡がなかったんで、ああ福聚寺は行かなくてよくなった…って実は内心ホッとしてたら、電話かかってきて、土壇場で正月早々に行かないといけない話になって、行ってみたらもう抜け出れない。

 あそこの環境改善の境内整備の業者会議の日だったんですけど、そこに行って僕が話したことを設計士さんが、それは面白いって、そんな視点があるんだったらみなさんやってみようじゃないかって職人さんたちに言ってくれたんですね。だから結果として抜け出れなくなっちゃった。それがもう運の尽きで、その後3年間工事を継続していくようなことになりました。

○他の土地でもそういうことが?

 結局みんな、みんなそうだったんですよ。でも途中から「あきらめなくていいんだ」っていう、人が1やればいい、あと10は自然が桁違いに後押ししてくれるんだということがわかってきたので、僕は一般の社会の人たちに、このことを伝える作業をしていかないといけないなって実感するようになって、それで講座を断らないようにしたんですね。スタッフが講座もスケジュールも時間も経済もパンクしますって言ってきたときも、とにかく断らないでやれるだけやっていこうって、一件も断らないでやろうって。そうやったら1年で全国、沖縄から北海道まで行くようになった。

○以前(1974年)多摩川の決壊があったんですね。『岸部のアルバム』というドラマにもなったので、ご存知の方も多いと思いますが。場所は狛江で、すごい広い田んぼだったところに団地をつくったんですけど、それから少し経ってから決壊があって。お話を聞いていたら、団地だとかコンクリートのものが郊外でいっぱい建ってきたときなので、それも影響あったのかなって思ってしまったり。あの頃は川が決壊して家が流されるのってあまり見る光景じゃなくて、それがいまは毎年のようにもっとすごいことになっている。あのとき、多摩川が決壊したときは災害はそう起こってなかったのになぜだろうって考えてたんですけど、今日映画を見て納得できました。

 いま仰る多摩川の決壊したところ、支流の野川と合流してるところですよね。特に野川沿線の流域の開発が高度成長期にすごく広がっていって、コンクリートだらけになっちゃったんですけど、そのコンクリートの水路が多摩川に直接流される状態になって、その水の勢いが強いために、多摩川の放流と合流したところで渦を巻くように停滞して、水量が上がっていく状況になっていた。その水量が上がることによって、その脇の土手が崩れ、住宅が流されるっていうようなことが起きてくる。

 ここ半世紀、全国規模で、一級河川を中心とした河川整備が住宅整備、道路整備と合わせて進んでいった。結果的に各流域が大地に浸透していく機能を失って、それで表面を流れて行くようになった。それが一気に表層から河川に流れ出す。

 沖縄から北海道まで、清流だった一級河川が、急速にふだんの雨が降っただけで泥水の出る流域河川に変わってしまっていますね。このことが実は問題視されていないんですよ。そういう一つ一つの自然が無言で訴えてきている現象を大事に拾い上げて、部分と全体を繋ぐ生態系の健康チェック、トータルで環境を見るっていう、そういう方向で科学的検証っていうか、なされていけば、もっと違った目線が見えてくるんじゃないかと思います。

○ズボンを大事に履いておられるのが素晴らしくて、真似したいなと思うんですけど、ご自分でやられてる(継ぎをあてられている)のでしょうか。

 これはあの、奥さん作です。継ぎ当てが好きなんで、もうこれ20年以上なんですよ。もう売られてないものだから、大事にしたくて継ぎ当てを頼んだんですね。初めはベタって貼られてて。表側から。普通継ぎ当てって裏からするんじゃないかと思うんですけど、表からベタベタ貼ってて、ちょっとこれはないんじゃない?っていう(笑)。しかも色違いの。いまは紺色の布を見つけてきてくれてやってくれるようになったんですけど、前は白っぽかったんですよ。雑巾を貼り付けたみたいな。それがだんだん腕が上がってきて。こうやって昔の人たちは大事に使ってたんだなって。もう随分縫割れているんですけど、その度に強くなるというか。だから、なんかこれ、ファッションのようにとられちゃっているんですけど、全然そんな意図はないんですよ。でも、やってるうちに、愛着が湧いてきて、奥さんのほうがちゃんとやってくれるようになって、こんなふうになっちゃった。

生きものたちとの共同生活、共同作業

○山の木が伐られて太陽光パネルが立っているところがありますが、山の環境的によくないことじゃないのかなと思うんですけれども、矢野さんから見てどう思われますか。

 木を伐ってその土地を利用するということは、全てが悪いわけではないと思うんですね。伐った木を大地にあてがってやって、元の大きな木がやってくれていたように、地上と地下の空気や水が対流できるような脈の機能をそこに再生してやって、それで人が土地利用していく分には十分開発は循環型に作用してくれると思うし、本来の機能が損われない状態が保たれるわけですよね。

 高木が生えている大地は、そこを草に、芝生とか牧草とかグリーンにすれば済むかっていうと全然そうじゃない。牧草は緑だから、山の木をどんどん伐って牧草地にしてけばいいかっていうとそうじゃなく、水脈の機能と地形の機能と植物の機能を、ちゃんと人がセットで見越してそれをカバーするだけのケアができればそれは循環型になるし。

でも一回やったから終わりじゃないわけですよ。壊したからには壊した機能をケアし続ける、そういうメンテナンスがいる。それを昔の人たちはずっとやってきた。

 里山の整備も含めてですね、流域整備は、実はずーっと人が、大地の機能を壊した分、手入れをし続けて「保全」「育成」「活用」っていう3つの段階を、どの地域もちゃんと技術として継承して繋いできているわけですよね。コンクリートを張ったから終わり、手入れが大変だからコンクリートにするとか、木を伐るとか、そういう発想が実はのちに問題を起こすことになる。

 だから映像に出てくる「杜」という字、『傷めず、穢さず』とは、『もともと備わってた自然の機能を、傷めずに穢さずに大事に使わせてください』っていうことだと思うんですよね。その視点、気持ちと技術があったら問題が起きればちゃんと感覚で測定できるし、測定しながらケアしていくと、生きもの的な関わりになって、循環型でつき合っていける。それがいまでいう「SDGs」っていう世界だと思うんです。それが日常的にいまの時代にあった形で各地域ちゃんと保たれていけば、人と自然は昔のように「循環型」で「共存型」の風土を保つことができると思うんですよね。

○水脈や空気の道を少しでも流すような、私たちが日常的に自分の庭や畑でできることがあったら教えてください。

 ふだん、機械とか大きな道具を使わなくても、一般の方が日常的に環境改善できる手立て、手法、それは「のこ鎌」と「移植ゴテ」。

 のこ鎌は地上の植物とか、地表面の自然の風通しをつくっていくときに、草を払ったり、ものを払ったりしながら使う日常的な道具。移植ゴテ(剣スコの小さいようなもの)は、風や雨が動き大地の中に浸透していくときの、表層5cmの水脈をつくってやれる道具。

 その水脈は水筋としての溝だけではなくて、小さな点穴というか、小動物たち、たとえばモグラとかセミとかアリとか、日常的な小さな動物たちが生活に合わせて大地に穴を掘っている、その作業と同じだと思うんですけど、基本的には表層5cmの、大気と大地を繋ぐ地球表面の一番境界面、その境界面のきっかけを空気が大地に入っていきやすいように繋いでやることが一番大事で。その下には植物の根がすぐあるわけですよね。植物が小動物たちの送ってくれる空気を受けて呼吸をしながら、また根で大地へ空気を送っていくっていうことを、風と雨が地上と地下を繋ぎながら、動植物とスクラム組んで循環の機能を地表面で担っているわけです。それを応援するように、自分たちの生活している敷地や道や場を、植物を中心に根の周りを、呼吸をしやすいように空気を送ってやるようにぽこぽこ掘ってやると、それがみんなの生態系の連携を生んで地下にどんどんひび割れが入っていくんですよね。それが大地に脈として繋がっていって、それを動植物たちが応援してくれて、大地の土壌と地質の機能がさらに応援してくれて、地下水脈が育ってくるわけです。

 本当に小さな生きものたちが、自分たちの生活空間を日常的に地上と地下で繋いでいるように、人の住環境の身近なところに地表面が塞がらないように掃除をする、ものを整理する、脈の動線を塞がない、草刈りをしてやる、木の枝を軽く払ってやる、そういう風通し作業を地上と地下で繋いでいってもらったら、みんなの生きものたちの共同生活、共同作業になっていきますから、それを実感していただいたら、こんなことができるんだっていう発見がきっとあると思うんですね。どの方も、個人でも家族でも集落でも、生きものと自然との結作業ができていく。これが環境改善を相乗的にプラスに繋いでいってくれるエネルギーになっていくと思いますから、それをぜひ学んでいただいたらありがたいと思います。

○最後に、もう二言ぐらい言い残されていることがあればお願いします。

 じゃあ一つだけ。現代土木で全国的にやられてる土木整備の大きな一つの問題点。

 大地は地球上どこをとっても「土」と「石」と「木」、この3つが組成というか、この3つの組み合わせでできあがっているわけですね。ところが現代土木は、この中の木をゴミにして出してしまう。開発のとき産業廃棄物として大地の中に有機物を組み込んではならないように、土の中に植物、有機物を入れてはならない法律もできてしまっている。私たちも、映画にも出てくる仙台の現場で伐採された樹木を活かそうと敷地に組み込もうとしたら、そこに生えていた植物たちを大地の中に組み込むのは法律違反だっていうことで、住民の方に訴えられちゃった。最終的には弁護士さんがうまく受けて解決したんですけど、そういう法律になってしまっているぐらいなんですよ。

 明らかに大地の健全な組成として、有機物がない土と石の大地をつくっていったら、有機物は生きられなくなる。いま、生物環境の一番大元の環境機能を損ねる開発になってしまっているんです。単純なことなんです。

 昔の土木がなぜ「土木」という字なのか。ここを本当に見直してもらったら、この言葉の意味も「杜」の意味も見えてくると思うんですね。建物は、実は一本の植物の機能そのものなんですよ。大地の中に根を張り、地上に枝を広げて、光合成をしながら息をしている。建物は植物から生まれたわけですけど、その建物は大地の土と石と木、植物の根っこを含めた、そういう組成の中で空気と水が循環し、縁の下から柱も壁も屋根裏も含めて、空気と水が循環する住環境であることが、建物の本質だと思うんですね。それが大地が呼吸できない状態のコンクリートの打ち方になり、密閉型の空間にして、中に人工的な空調機を入れるっていうシステムで息づいている建物は、どうしても自然の機能が損なわれた別の環境になっている。大地も含めた大元の環境が見直される必要があると思うんです。

 難しいことはいらない。単純にこれだけ、大元の機能が損なわれてるっていうことをいまの時代が単純に見直して、研究をし直していってくれたら、急速に環境改善が見えてくると思うんですね。そのことの大元をぜひ見ていただけたらと思います。