「コナラが教えてくれたこと」2000-2022@国立

 11月10日(木)、12日(土)、地元である国立で上映会が開催されました。12日は、Motion Gallery杜人プロジェクトのリターンで行われる矢野さんのトーク付き上映会。かつて国立市民だった矢野さんにとっても、私にとっても、熱い想いが込み上げる日になりました。

 初めて国立で、ドキュメンタリーの自主上映会をしたのが2007年10月。バブルの頃に音楽雑誌をつくり、好きなことをして、環境問題を真剣に考えることもなく暮らしてきた私が初めて「市民運動」として行った上映会でした。

「いのちの海に放射能を流してはいけません!」

 リンカランという雑誌で連載を担当していた辰巳芳子さんの怒りを目の当たりにして、慌てて観に行った鎌仲ひとみ監督の『六ヶ所村ラプソディー』。続いて観た『ヒバクシャ〜世界の終わりに』に、空が落ちてくるような衝撃を受けたのを忘れません。

 知らなかった、では済まされない、この国の、世界の原子力政策。受け取ったものが重過ぎて、誰かと分かち合わずにはいられず、仲間を募り、女たち12人の実行委員会をつくり、上映会を開催しました。延べ400人近い方が観に来てくださったこの日、鎌仲監督が語られたこと。

「イラクに落とされた劣化ウラン弾からの被曝で子どもたちが亡くなっていく。その原料は日本の原発から排出された核のゴミだった。ラシャという少女は私に言った。『私を忘れないで』。その約束を果たすために私はドキュメンタリーを撮っている」

 鎌仲監督の映画は全部国立で上映すると決めて、2010年、ピースウィークinくにたち「まちじゅうが映画館」で『ミツバチの羽音と地球の回転』を上映し、2012年『内部被ばくを生き抜く』、そして2015年、原発事故後の女たちの奮闘と希望を描く『小さき声のカノン』をくにたち市民芸術小ホールで上映しました。

 その時一緒に実行委をやった仲間たちが、今回「くにたち映画祭2022」の一環として2日間、さくらホールと芸小ホールで『杜人』を上映してくれました。私にとってはもちろんですが、12日の上映会は、矢野さんにとっても大切な会になりました。

 2000年。かつて矢野さんが国立に住んでいた頃、一本の立派などんぐり(コナラ)の木が伐採されることになりました。まちができる前、雑木林だった頃からたくさんの生きものを住まわせ、木陰をつくり、実をたわわに実らせて小動物たちを育んでいたその木が人間の都合で伐られることになったとき、多くの市民から声が上がったそうです。

「なんとか生かす方法はないものか」と、有志が矢野さんに相談、矢野さんは「引っ越し」に挑戦しました。

 クレーン車を使い、歩行者も止める大きな工事。かかる費用は、「百歳どんぐり募金」を募ったそうです。

見守る市民(当時の写真)
交通規制で歩行者を止め、クレーン車も使う大工事。なんとかコナラをいのちを繋ごうとしたが……

 けれども、泥水がしみ込んでコンクリートのように硬くなった地下3mの礫層を穿つには時間が足りず、移植後1年半に渡って必死に手を尽くしたものの、結局コナラが新たな場所で息をすることはありませんでした。市民の祈りは届かず、結局枯れてしまったコナラの木。そのことを矢野さんはその後もずっと宿題として抱えていました。

 コナラの木の移植を試みた大学通りと、矢野さんと出逢うきっかけになったさくら通り。芸小ホールに向かって歩きながらフィールドワークを行うことを決めたのは上映会3日前。にもかかわらず、岩永都議や当時を知る重松市議、小川市議、古濱市議をはじめ多くの市民が参加してくださり、一緒に歩きました。

「まさに、この場所です」と矢野さん。3m下の礫層に泥水が詰まり、コンクリートのような硬盤層を形成。
歩行者規制の時間制限でそこに穴をあけることができなかった

 

 大学通りも、さくら通りも、道路側溝と泥水が流れ込んだ礫層に囲まれ、抜きのない植木鉢になっていること、それで樹木が弱っていること、でも、それは移植ゴテ一つで改善できることを説明しながら、いまは谷保第三公園に横たわり、ほかの木々の呼吸を支えているコナラの木のところへ出ました。

「このコナラと一緒に植えた低灌木たちが他の木たちの呼吸を繋いでいるんです」と矢野さん。
硬く締まり、泥水が流れ出す状態だった谷保第三公園の地面から泥水が出なくなったという

「コナラの木を、無駄死にはさせない」。矢野さんの中で、上映会後のテーマは定まっていました。

「表層3センチでいい。少しやわらかくなったら、次は5センチ。小動物たちがやっているように
穴をあけることで空気流が地中に入っていく。息ができる環境になるんです」

 矢野さんのトークのテーマは「コナラが教えてくれたこと」。

 東京の大動脈が詰まって明治神宮の木々が瀕死の状態であること。

 大学通りという国立の大動脈も詰まっているけれど、そこに市民で点穴をあけていくことで息を吹き返すこと。

 矢野さんの話は、一本の木のいのちに向き合うことは、あらゆるいのちの根源に向き合うことであり、植物のいのちへの鈍感さはあらゆるいのちへの鈍感さに繋がることを実感させてくれました。

 都市のど真ん中で起きていることも、わずか11年で事故被害などなかったかのように推進に舵を切った原子力政策も、森林、山の生きものを薙ぎ倒して進む再エネも、根っこは同じ。でも、絶望している暇はなく、足元を見て進むだけです。共感し、共に怒り、共に動くことができる仲間がいれば、できるはず。

300席の会場が満席に。実行委の情熱の賜物ですが、こんなに仲間がいることを心強く思わずにはいられません

 

青梅シネマネコをいっぱいにしたチーム青梅のメンバーも
じゃらんじゃらん小舎のみなさまも
会社員だった頃の同僚も
畑仲間も
実行委のみんなも!

 フィールドワークを含め、矢野さんのトークは改めて、何らかの形でお伝えしたいと思っています。どんどん宿題が溜まっていきますが、頑張りますので、気長にお待ちくださいね。

桐朋学園の大塩先生、ガーデンデザイナーの正木覚さんも参加してくださいました。足元からの環境改善、始めましょう

   2022.11.28 前田せつ子

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2 Comments

2 Replies to “「コナラが教えてくれたこと」2000-2022@国立”

  1. 凄いドラマがあったのですね…コナラが教えてくれた事…涙が込み上げてきました…

    矢野さんの「まだ間に合う」の言葉に勇気づけられますが、杜人を多くの人に観てもらい実践して行きたいと思います。

    せつ子さん、ありがとうございます。

    これからも宜しくお願いします。

    1. あぶくまの里山を守る会を13年。
      大槻さんの地域の風土を守っていかれる気概、心から敬意と感謝でいっぱいです。
      これからも、どうぞよろしくお願いいたします!

       前田せつ子

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