能登支援と「公益」としての杜の財団

なんと、半年も間が空いてしまいました。いったいこの間、何をしていたか?

「杜人」の旅の他には、ずっと国立第二小学校の樹木(いのち)の緊急避難プロジェクトに関わっていました。

昨年のGWの4日間に40本。次の土曜日に追加で6本。桜並木をはじめとする全46本を救出してからずっと、二小の校庭にできる限りたくさんの木々を戻してあげたいと、国立市教育委員会と協議を重ねてきました。それが子どもたちの願いだったからです。

でも、いったん決めた計画はなかなか変更できないのが人間社会。特に「公」は、どんなにそちらのほうがあらゆる面で優っていたとしても、難しい。変えられないのは計画なのか、それとも人間の意識なのか。その時々の状況に応じて変幻自在に動きを変える自然界とのあまりの違いに、何度も打ちのめされる日々でした。

どんなに話し合いを重ねても交わることはなく、市教委は「校内に戻せる木は2箇所2本程度」と言って譲らず、他の木々は引き取り手(里親さん)を見つけることになりました。「樹木を救いたい」と手を挙げてくださった里親さんは、なんと13名(法人、個人)! 東京、埼玉、静岡、千葉、茨城、栃木、そして長野の全15箇所に奇跡的にいのちを繋いだ木々のほとんどを無事引っ越しさせることができました。とはいえ、この夏の暑さは樹木にとっても苛酷で、いまも緊急事態は続いています。

開発という名で大量の樹木伐採が進むなか、小さなまちの小学校で起こった樹木救出プロジェクトは「安全とは何か」「樹木とは何か」を突きつけながら、現在進行形です。

樹木を「いのち」として捉えるか否かで、人は全く異なる選択をする。この物語は、いずれきちんとした形でご報告したいと思っています。

さて、この1週間、台風10号に翻弄された日本列島。大きな被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。

過去最高となる記録的豪雨で何度もニュースで取り上げられた小田原(神奈川県)で9月1日、「杜人」上映会と矢野智徳さんの講演会が開催されました。

新幹線や小田急線も止まる中、午前の上映会は中止されたものの、午後2回の上映には300名近くの方が集まってくださったとか。矢野さんの講演会には240名を超える方々が参加されたそうです。

矢野さんは武蔵野丘陵からの「脈」の要としての明治神宮外苑の意味(江戸時代の治水土木の凄さ)に加えて今年1月から毎月通っている能登被災地支援の報告をされたと聞きました。

1月から8月まで、これまでに全8回。1月は輪島市に住むかつての講座主催者さんと連絡が取れないことから、安否確認の意味も込めて山の中腹にあるその方のお宅を訪ねたそうです。

斜面の上から石が転がってくる暗闇の中、倒木で車の入れない山道を3km歩いて辿り着くと、その方が驚いた顔で犬と一緒に迎えてくださったとか。聞けば、孤立集落となったその地域では、自衛隊のヘリが来て3時間以内に避難するか止まるかの選択を迫られた。他の家族は避難を決めたが、その方だけは犬のために止まる決断をして今に至る、と。

震度7にもかかわらず、囲炉裏や太い梁のある150年の古民家はびくともせず、水は沢から引き、米も餅も漬物もあるから食べるには困らず、薪で暖を取り、夜はろうそくを灯してその空間を味わってきた……。その方の暮らしぶりは、一般的な「孤立集落」のイメージとはかけ離れていたそうです。

そして矢野さんらは、3kmの山道にリアカーで資材を運び、斜面変換線に「脈(空気と水の通り道)」を通すことから始めたとか。

そんな話を矢野さんに聞いたのが2月。ずっと能登へ行きたいと思い続けて、ようやく実現したのが5月。これまでに人の縁が繋がり、土地の縁がつながった輪島市、珠洲市、能登町で初めて「能登再生講座」が開催された時でした。

ここからは写真をメインにご覧ください。

輪島市の東山集落。斜面変換線に沿って通された水脈。3kmの山道を資材を載せたリアカーで行ったり来たりの作業はどれほど大変だったことだろう
震度7でもびくともしなかったという築150年の(もちろん木造の)家。黒光りする梁が美しかった

一緒に避難することができなかった犬や猫もたくさんいた
輪島の朝市の近くにある重蔵神社。もともとこの神社への参道に露店が集まったのが輪島朝市の発祥という
境内には七つの社がある。ここは商売繁盛、五穀豊穣の稲荷社

被災地でもやることは同じ。空気と水の通り道を確保して、人にも、その他の生き物にも、ひと息つける環境をつくること。大地の再生Tam Tam支部(滋賀)からのメンバーや日光、神奈川から参加された方もいらした

被災して水が出ないにもかかわらず、十数名を泊めてくださり、南インドカレーや釜で焼いたピザを夕食に出してくださった輪島市のご夫婦。ほとんど寝ずに準備された朝食は本当に美しく美味しかった

珠洲市。被災されたご家族が1週間前に引っ越していらした家には豪華絢爛な欄間が

被災地で必ず問題になるのがトイレだけれど、木があって土があれば作れる「風の縄文トイレ」。大きな木のそばに50cmくらいの穴を掘り、炭や枝葉、粗腐葉土を入れる。発酵は微生物がやってくれる
講座参加者さんの6割は近隣から、4割は他県から。結作業はダイナミックな渦のよう

コンクリートの水路には穴をあけて空気と水の通りをよくする

まだ慣れない台所で見事なホストになってくださった珠洲のご家族。思わずゲストハウスかと勘違いしてしまうほどに

以前、国立で存じ上げていたみわふくさんに再会。縁あって能登町で「梅茶翁」という茶房&宿泊施設をされることに。ここでの講座は継続して開催されている

50名近い参加者さんは地元の方々に加え、南三陸からの方も。矢野さんの恩師、堀信行先生も何度も同行され、調査・研究をされている
「アスファルトのヒビには小石と共に有機物を入れてやることが大事なんです」という矢野さんの言葉に深く頷く参加者さんが多かった

能登の風土が凝縮された「梅茶翁」の敷地に皆で風を通していく
大地の再生関西支部から支援に駆けつけたメンバーも

皆で帯状に水脈に沿って風の草刈り、水路の脈通し。風が心地よく吹き抜けていく

能登には、風土と人間の切っても切れない関係が確かに息づいており、矢野さんの言葉がスッと水が浸透するように受け入れられるのを感じました。東日本大震災後のようなコンクリートによる復興は決して行われるべきではなく、大地の脈を人間の脈で繋ぎ、足元から「流域生態系循環」を取り戻していくこと。それが、地味でも確実な減災・防災、そして真の復興への道なのだと確信しました。

能登支援活動は、昨年12月19日に設立された一般社団法人「杜の財団」によって行われており、奥能登の拠点となる地域で継続的に続けられ、これからも続いていきます。が、もともと(一般に言う)「財」がある財団ではないので、現在は赤字。先に書いた二小樹木の緊急避難プロジェクトも財団の支援(公益活動助成)を受けていますが、こちらも大赤字。

財団は支援を募っていますが、9月からは会員制度も始まり、双方向のスピーディな情報交換、やり取りをしながら「学びの場」「公益の源」として育てていくそうです。

次世代にこのかけがえのない風土と、自然と共に生きる知恵と手法を伝え継いでいくために。

リンカランフィルムズも全力で杜の財団を応援しつつ、「杜人」の脈を次に繋いでいきます。

また、能登で「杜人」上映会を開催される場合は上映素材の無料貸し出しも行っていますので、お気軽にお問い合わせください。

 

 2024年9月2日 前田せつ子