堀信行さん(出演/地理学者)✖️前田せつ子(監督)舞台挨拶&トークショー@シネマスコーレ 2022.5.28

若松孝二監督が立ち上げた「映画の学校」シネマスコーレ。右から堀信行さん、前田せつ子、木全支配人、劇場スタッフの大浦さん

 名古屋の老舗ミニシアターとして名高いシネマスコーレさんで上映していただけることが決まったのは封切りより2ヶ月以上早い2月5日! 試写用DVDを送った1週間後に「やりましょう!」と木全(きまた)支配人から電話がかかってきたときの嬉しさといったら! 

 勢い込んで訪れたのは2022年5月28日(土)初日。ポスターの前で写真を撮っていたら訝しげに眺める男性ひとり。

「私が撮ったんです。ぜひ、観に来てください」

「オバハンが??」

 頭を傾げながら立ち去った彼の手にはしっかりワンカップが握られていたのでした。

 さて、シネマスコーレは単館のため舞台挨拶もトークショーも分刻み。舞台挨拶9分、場所を移してのトークショー15分!と木全支配人に念を押されて満席の舞台挨拶に立ったものの、研究者魂が脈打つ堀先生のトークにタイムキーパーを務める木全支配人も焦りの表情。一方、お客様には感動と笑いの渦が。

 なかなか聞けない堀先生vs前田のマシンガントーク、イメージを膨らませてお読みください。

【前半~上映終了後、舞台挨拶】

○監督、ひと言ご挨拶をお願いします(木全支配人)。

前田せつ子)本日はシネマスコーレさんで「杜人」をかけていただいて、とても光栄に思っています。「杜人-環境再生医 矢野智徳の挑戦-」を制作・監督・撮影・編集しました前田せつ子です。今日は、名古屋ということで、この映画で「なぜ土砂崩れが起きるのか」をホワイトボードに書きながらとってもわかりやすく説明してくださった、地理学者の、もう本当に日本の地理学界の権威と言っていい、堀信行先生(とお呼びさせていただきます)に来ていただきました。どうぞ、ご登壇ください。

○堀先生、ひと言ご挨拶と自己紹介をお願いします。

堀信行 とても今日は恥ずかしいです。私は、こういうところに立つのがあまり好みじゃなくて、画面に出てくるだけでもちょっとやだなと思ってたんですけど、さらにこういうふうな状態で戸惑っております。たまたま名古屋に住んでいる関係で、勤めはずっと東京都立大学にいて、その後、奈良大学に移動して、定年を迎えて、もともと名古屋なものですから、いま名古屋に住んでおります。ひと言、いいんですか?

○はい、どうぞ。

 矢野さんとはですね、私が都立大にいたときには、彼はまだ入学してなかったんです。私が広島大学へ移転したすぐあとに彼が入ってきて、私はそのときに助手だったんですけども、その上の助教授であった中村先生がその後教授になられて、私が広島大学からまた都立大学に出戻ってきたときに、その前から私がやっておりました「地理学サロン」というのをその中村先生とつくって、いろんな人を呼んでは話をしていただいたんですけど、そのときに「矢野くんというユニークな学生がいてね、庭師なんだよね」って中村先生が仰って、ぜひ話を聞こうじゃないですかということで、第13回目に彼がやってきてお話を聞きました。そこで、わーっと私がいろんな質問をしたりなんかしたときに目線がチカッと合ってしまったのが運の尽きで、その後もずーっと、少なくとも25年は間違いなくつき合ってまいりました(笑)。

 私が彼とずっとつき合っていて「これだ!」とお互いに共有できていることは何かといったら、「人間は地面から離れて生きることはできない」ということ。これは地球上で生きる生物としてはありえない。ところが我々は地面というのを忘れてきちゃったんじゃないか。これがひとつ大事なことです。

 それから、「すべては呼吸をしている」ということですね。「生きもの」とか「生きる」というのは語源は、「息をする」っていう意味です。「息」から「生きる」という言葉ができているし、いのちの「い」というのも、「息」という言葉からできてくる言葉なんですね。ですから、私たちが大事にしたいと言っている「いのち」も、語源としては、実はこの生きものの、「呼吸をする」ということから基本があるわけです。

 で、大地は生きものか? 普通の方は「これはものだろう」「石ころだろう」とか軽く仰るんですけど、いや、「生きものとして見るってどういうことか?」っていったら「呼吸をしている」ということを見るということなんですね。生き物として見る。だから、「石ころを生きものとして見るんか」という、非常に偏った物質観に至ってしまった現代の私たちが、もう一度原点に帰るというのはどういうことかっていえば、物事はこういう循環、空気と水ですね、循環の中にあるんだという、この非常に基本的な、素朴な世界を、彼は実感を通して、実際の作業を通して会得していったわけですね。そしてその通りにやっていったら、本当に物事が生き返る姿を見せてきたわけですね。

 これは地面と関わって研究してきた私としてもですね、大気のことはいっぱい研究するんですけど、その大気が地下に行ってどうなってるかは忘れてるわけですね。地下の話になると水がどう染みていったかとかっていう浸透の程度を測ったりということをやるんだけど、そのときに空気は一緒にどう動いているかを実はまだ測ってない……。

前田 あの、先生……先生……ここは……。

 あ、授業じゃないですね……ついついすみません(笑)。

前田 もう、堀先生のお話は本当に面白いんですよ。ただ今日、この劇場での舞台挨拶の時間が限られてて、続きは2階のスペースで予定しているので、続きはぜひ、2階のスペースで。

○その前に、監督と矢野さんの出会いと、それからこれを映画にするまでをちょっと語ってください。

前田 はい、じゃあ1分で。

○……3分で。

前田 はい、3分いただきました。私はもともと紙媒体の編集者で、音楽雑誌をずっとつくってて、フリーになってから「Lingkaran(リンカラン)」という環境の雑誌に関わることになって、それで辰巳芳子さんという、鎌倉の料理家、「スープの先生」とも言われる方を、ぜひ新雑誌で連載したいと思ってお願いに行って、休刊するまで4年半、仕事をさせていただいていました。その中で辰巳先生が六ヶ所村の再処理工場のことをものすごく怒っていらして「いのちの海に放射能を流してはいけません」って怒ってらっしゃるのを聞いて、ガツンって頭叩かれたような感じがして、それまで市民運動的なことはやってなかったんですけど、これはやっぱりみんなで考えなくちゃいけないと「六ヶ所村ラプソディー」という映画を国立で上映したのが2007年。

 それから、そういうことをやっていたら、市民の代表を議会に出していく政党から「市議にならないか」っていう声がかかって、2011年から4年間、国立市議をやってたんですが、そのときに矢野さんに会いました。2014年の夏でした。街路樹の桜が全部伐られるという計画が浮上したときに、市民の人が「矢野さんに見てもらいたい、矢野さんがそんなに傷んでるって言うんだったら仕方がない」、そんな声が上がって、私が代表して電話をして矢野さんに来てもらったのが最初です。そのときに今日みなさんがお感じになったような、自然をいままで見てたつもりだったのに、一体何を見てたんだろうっていう気持ちになって、これはみんなで分かち合いたいと思ったんですけど、雑誌とか書籍よりもこれは映像、映画だろうというふうに思って、映画を誰かつくってくれないかなって願い続けて、纐纈あや監督に出会ったときにお願いはしてみたんですけど、なかなか難しいって言われて、それで2018年、もう自分で撮りたいと思って纐纈さんにも相談に行ったら「想いは技術に先行します。大丈夫。私はできることはなんでもします」と言われたので、その言葉を頼りに、学びながら走り続けて、3年半映像を撮って、2年半編集をして、500時間の映像を101分にまとめたのが、いま観ていただいた映画です。

○このあと、2階に上がりまして、15分ほど2人からお話をお聞きします。そこでパンフレットのサイン会もあります。これも非常に大事なもので、これで少し(映画の製作費に)還元できるということで、できれば買っていただくということで、もしお時間ある方は上がってください。じゃあ、最後にひと言ずつ、ほんのひと言ずつ。

前田 私、もともといま言ったように紙の編集者なので、このパンフレット、すごい気合入れてつくりました。なんといっても全シナリオが入っています。あと「風の草刈り」の仕方が図解で入っています。レイアウトしたのは娘で、家の中で家内制手工業でがんばりました。ぜひ手に取ってみてください。サウンドトラックCDもとても良いので、いま話せませんが、ぜひお手に取ってみてください。よろしくお願いします。

 ありがとうございました。いまからまだ続きがあるんですね。よろしくお願いします。

【後半~2階に移動して、トークショー】

前田 先ほどの続きをさせていただきたいと思います。堀先生、この映画、完成したのをご覧になったのは今回で2度目ですよね。

 はい、2度目ですね。

前田 いかがでしたか。ご自身が出演されているところも含め、全体としてどうでしたでしょうか。

 編集というのはすごいなと私思うんですけど、場面場面はバラバラなわけですよね。ある日突然前田さんにちょっとって言われて、突然白板の前に座らされて、「カメラいまから写しますから」って、「ところで」って言ってパッと「斜面ってどうして崩れるんですか」とかバーッと質問されて、もうカメラ回ってるわけですね。で、慌てて私が「えーっと」って言いながら説明してるのを別個に動画に撮られて、先ほど観ていただいた、ああいう画面に出てくるというのも、私の知ってるところじゃないわけですね。突然、あ……ああいうふうに出てくるのかっていう、すべて編集の力というか、ストーリーができていて、そのストーリーにしていくといいましょうか、矢野さんにしても、個々の出演してる人たちも、みんな場面場面がバラバラにその日その日の断面なわけですね。ところが、ああいうふうにずーっとひとつの流れのように編集されますと、ほぉ~と、ひとつの流れが見えてくる。ひと言で言えば前田さんの映像づくりとプラス編集能力に非常に深く感動しました。

前田 ありがとうございます。

 これはひとつ大事なことです。

前田 ありがとうございます。先生には完成前に2回観ていただいて、1回目はですね、私そもそもこれは1本にはとてもまとめられないと思って、いきなり2本立てって考えてたんですね。植物を中心としたものと土砂崩れを中心にしたもの、この2本だったらなんとかまとめられるんじゃないかと思って、最初に出来上がった「植物編」を周りの人に観ていただいたらダメ出しの嵐で。「現場に思い入れがあるのはわかるけど羅列になっている」って言われて。で、先ほども紹介した纐纈あや監督にも渾々と「ドキュメンタリーとは何か」を教えていただいて、初めて「そうだったのか!」って。

 で、じゃあ「植物編」はちょっと置いといて、「土砂崩れ編」をつくろうと思って、それを観ていただいたときに、名古屋に呼んでいただいて、学術連携会議という矢野さんと堀先生と他の方々が参加されるときに観ていただいたら、矢野さんは途中から寝てるんですね。堀先生は寝なかったけれども、ご覧になった後、感想をいただいたんですよね。覚えていらっしゃいますか。

 もちろんですよ。あのときと今日の映画との間はものすごい落差がありますよ。落差っていうのはストーリーっていいますか、編集の、やっぱり本当に、非常に私、感心しております。すごいなと思います。前田さんの、ひとつは極端に言えば執念ですね。ずーっと持続して考え続け、トライをし続ける力といいますか、気持ちの持続力。これがまずひとつ非常に感慨深いですね。時々出会って観てきた私としてはすごいなと。移り変わりがずっと見えてきてすごいなと思うんですね。ですから、とにかく出演者のひとりひとり、矢野さんにしても別に変わるわけじゃないんですね。あのまま、何年も前からあのまま、話してても、ふだん喋っててもあのままなんですよ。それを、どういうところが大事で、逃しちゃいけない画像なのかってというところを、眺めている前田さんが狙ってるわけですね。そうやってああいうふうに見せられてくると、なんでもない日常が輝いて見えてくるといいますか。これが映像のすごさと、それを信じてやってこられた前田さんのセンスとか能力に非常に感じ入ってます今日。

前田 本当に恐縮です。それで、そのときに先生が言われた言葉でとても大事だと思っているのが、「科学と詩をかけ繋ぐ作品にしてほしい」っておっしゃったんですね。なぜ土砂崩れが起きるのか、そういう地理学的なメカニズム、科学的な視点と、矢野さんの言葉って詩のようで、ひとつの言葉が違う角度で反射して自分の人生とか人間関係に重なって響くこともあるので、その科学と詩をかけ繋ぐ作品にしてほしいっていうことが、私はひとつの命題としてずっとあったんです。

 で、堀先生もすごく詩人なんですね。そして、学者さんにありがちな頭でっかちじゃなくて、ものすごくハートがある方なので、いろんな現場に矢野さんに呼ばれるともう、「そんな遠いところに行ったんですか」って驚くくらいにフットワークが軽くて。熱帯雨林に惹かれて若いときからフィールドワークを続けていらした方だからこそ、机上の学問じゃなく、自分で足で歩いて研究してこられた方だからこそ、矢野さんとの信頼関係も厚くて、なにかというと必ず「堀先生どうですか」って矢野さんは聞いていらっしゃるので、堀先生がいらっしゃらなければ、もしかしたらこんなに長く続けていらっしゃれなかったかもしれないというくらいに私は思っています。やっぱりその情熱っていうのがなによりだなというふうに思って。

 この映画は2018年の5月から撮り始めて、2021年の10月までが入っています。奇しくも撮り始めて2ヶ月後に、矢野さんが「このままだとひどい土砂崩れが起こりますよ」って2014年初めてお会いしたときに仰っていたことが現実になりました。西日本豪雨で広島、岡山、愛媛で本当に起こってしまって、私もうショックで、それを撮ろうと思ったわけじゃないのに現実になって、正直被災地に行くのどうしようかって迷って。そんな状況にいらっしゃる方にカメラを向けるってどれほど不躾な行為であるかということと、申し訳ない思いがいっぱいで。でも「矢野さんが行かれるんだったら前田さんも行ったほうがいい」って仰ったのは纐纈あや監督で、撮れないかもしれないけど行こうと思って行きました。でも、そこで嗅いだにおいとか、そこから立ち直ろう、立ち上がろうとする方々の気持ちの強さとか、そのときの暑さとか、泥に塗れた木の姿とか、行かなくては感じられないものだったと改めて思っています。

 この作品は名前のある人が出てくるわけでもないし、私自身も名前があるわけでもない。一体どなたに観てもらえるんだろう、とずっと思っていました。もちろん関係している方々、今日も来てくださっていますが、「大地の再生」を自分でされている方はたくさん全国で応援してくださるけれども、映画ってそうじゃない人に観てもらいたいからの映画であって。矢野さんが行けるところは矢野さんが行けばいい。だけどそうじゃない方の視点、植物への眼差しが変わればいいって思ってつくったので、どうやったら人に観てもらえるか、と思っていたら、4月15日に東京のアップリンク吉祥寺っていうところで公開してもらってから、もう私よりもご覧になってくださった方がみんな口コミで広めてくださって、すごい勢いでFacebookに投稿してくださったり、Twitterに書いてくださったり、東京から名古屋の友達に電話しましたって方もいらしたり、みなさんが「観て観て」って仰ってくださって。おかげでいま結構ロングランが続いていて、つい木曜日にアップリンクで6週間の上映が終わったんですけど、またアンコール上映をしてもらえそうな感じにもなっています。ピンときてくださって、心が震えたと仰ってくださる方もたくさんいらっしゃることは、なにより希望だなぁというふうに思っています。堀先生、いかがでしょうか。

 はぁ、あのー……(会場、笑)タイトルに「杜人」ってありますけども、矢野さんがNPOを立ち上げたりとかいろんなときに、実は地理学というのはあまり精神性といいますか、宗教的なにおいのするものは基本的に除外する傾向が強いわけです。それのにおいのするもの入れれば入れるほど、「あなた大丈夫か」って言われる世界がひとつあるわけですね。確かにふだんの生活で、みなさんが唐突にそういうことを言ったら「ちょっとこの人危ないんじゃないかな」というふうに思う人が多いと思うんですけども、私はそういう意味ではなくて、非常に大事な精神性というものが物事にないはずがないというか、そういうことをいつもこう、矢野さんに関係なくですね、ふだんの私自身の研究の姿勢自体がそういうことにむしろこう気持ちを寄せるといいますか、そういう気持ちがありまして、「杜」という字を巡って彼とやりとりしたことがあって、それを彼があるときすんなりああいうふうに矢野さん自身が言ってくれるようになって。ときどき僕がポロッといろんなことを呟くと、矢野さんなりにもういっぺん心の中で消化してふっと矢野さんの言葉としてまた出てくるわけですね。そういうやりとりが続いてきたことをすごく歴史を感じます。

 観ていて思うのは、彼は宗教的なことは一切何も言ってないわけです。聞いててもすごく普通に生態系のシステムだとかそういうことを淡々と喋ってるんですけども、それを支えてる背後に、自然に対する深い気持ちですね、その気持ちのより深いところへいけばおそらく今日出てきた玄侑さんのような宗教的な人たちのところのハートに訴える部分が必ず水面下で地下水のように繋がってると思うんですけども、それが結局映画の中に底流として流れているような気がするんですね。あえて何もそういうこと言ってないのに深い自然に対する想いですね、あるいは聴こうとする心だとか、それを感じとったものを表現していくときに、目に見えないもうひとつの世界が、彼とか映画の中全面に空気として漂っているように思うんですね。

 今回の映画の中に、もしみなさんがあるものを感ずるとしたら、それを背負って、あるいは感じとって「ああ、いい映画だ」という言葉を発しておられると信じておりますけども、これが「杜人」に限らず、いまの時代にとっても大事なことじゃないかなと。特にいのちに関しては、片方でとてもいのちを軽く扱う現象が現実にいま起きてるわけですね。ですから、いまここの映画の中に流れているいのちに対する気持ちがひとりひとりの中にもっと存在していれば、行動も変わると思うんですね。そのことを非常に願うばかりですけども、そういう点がこの映画のとても大事なメッセージじゃないかなというふうに信じております。

前田 「祈り」っていうとスピリチュアルな感じに捉えられたりしますけど、祈りを抱いて、移植ゴテで土に穴を開けるのと、ただやれって言われたからやるのとでは、たぶん全く違うものになると思います。ほんとに地表5cm、たった5cmなんだけれども、5cm表層に穴が開くと大気圧がそこに入って、地下に空気が誘われる。たった5cmがものすごく重要なんです、と最近特に矢野さんは仰っていて、5cmだったら誰でもできる。移植ゴテひとつあれば。風の草刈りはノコがまひとつで誰でもできる。それを日常的にやっていくことで、どれだけ地球が呼吸を取り戻すかっていうこと。その「誰でもできる」こと、小さい子でも、小さい子特にうまいんですよね、水脈を掘ったりするの、お年を召された方も、障がいのある方もみんなができるっていうところが、本当に希望だなぁというふうに思っています。

 堀先生は、映画にはちょっとしか出てこないんですけど、実は1時間ちゃんとお話してくださったんですね。前のバージョンはもうちょっと入ってたんですけど、先生ごめんなさいって言いながら、最後に削りました。でも、ご覧になった方々が、あれがあるかないかでもう全然違うって仰って。ホワイトボードに書いてくださったあれ、すごいわかりやすいって。本当にありがとうございますなんですけど、私、もともと地理のこと本当に知らなくて、「先生、土砂崩れはなんで起きるんですか」っていきなり聞いて。そしたら、「土砂崩れなんてものは起こって当たり前なんです」って言われて。「それはそうですよね」というところからスタートして。

 いまこんな短い時間でお話しくださってますけど、「風化」っていうものがいかに大事かっていうことも話してくださいました。物事の風化って、私たちちょっとネガティブな意味で使ったりしますけど、風化がなければ私たちが住んでる土ないですよって。

堀先生のこの時のお話はいずれどこかにアップしたいと思っています

 風が起こることの大切さ。なぜ風が起こるのかっていうと、足りないところに補い合うように空気と水が移動するからで。「満たされないことがあって当たり前」っていう矢野さんの言葉、そこがすごく響きましたって方が多いんですけど、まんまるだったらなんにも入ってこない。凹んでるから入ってくるものがあるんだっていうことを、私も映画づくりを通してものすごく感じました。私が非力だから、いろんな方が手を差し伸べてくださって。自分の中が欠けているってことは悪いことではなくて、そうすると絶対そこを補う風が入ってくるっていうのをしみじみ感じました。

 音楽の力もすごく大きくて。山口洋さんという、HEATWAVEというバンドをもう40年以上やってる福岡出身の人なんですけど、もともと音楽雑誌をやってた頃、デビュー当時に取材したこととかはあったんですが、しばらく間があって、市議の後、また音楽ライターとか編集者に戻ったときに再会して、「映画つくりたいんですけど」って言ったら「わかりました。なんでも使っていいですよ。そんな予算はないんでしょ。大ヒットしたらでいいです」って、自分の持ってる音源を提供してくださって。音楽が入ってやっと映画のようになっていったなと思っているんです。

矢野さんと同じ福岡出身、しかもバンドを始めて43年目(!)の山口さんの音楽にどれほど救われたか

 もう一つ、とても大事なのがピアノの曲。2曲入ってるんですけど、それはピアニストであり作家でありNVCというワークショップをされていた水城ゆうさんという方の曲なんですけど、2020年の8月15日に亡くなりました。その直前の6月29日と7月21日に生きている証のようにYouTubeにアップされていた即興のピアノ曲があって、それを毎日私も編集しながら、あっまた水城さんのピアノがアップされてるって聴きながらやってたんですけど、それを聴いたときに、桜のシーンや福聚寺さんのシーンに息が吹き込まれる感じがして、ご本人に会いに行って「使わせてください」とお願いをして。嬉しそうにこくって頷いてくださって、入れさせていただきました。

水城ゆうさんのピアノの音は、まさにいのちの雫でした

 ものすごく上手なピアノを弾かれていたんですけど、このときのYouTubeの曲が一番私は好きなんですと、パートナーの方が仰って、この映画に入ったことを一番喜んでくださって、とっても嬉しいと思っています。CDにはそういう想いも込められているので、よかったらぜひ聴いていただけたらと思います。

○はい、ありがとうございます。

必死で時間を死守してくださった木全支配人、お疲れ様でした!
サイン会もサクサク行きましょう!

シネマスコーレを出てきたら、なんと「出待ち」をされていた女子たち。「先生、お話会を開きましょう!」と大人気の堀先生でした